1-4.灰に伏しながら
青を忘れて久しい灰色の空。
緑に色付くことの無い葉を茂らせた草木。
塗装されてなお、元の地の色と変わらない鉄筋コンクリートの建物。
そんな『
まるで全てが静止してしまったような只中にあって、しかし、停まってしまうことを拒否するように素早く動き回る幾つかの影があった。
人間だ。
人数は十と少し。服装も年齢も背格好も性別もバラバラな彼等彼女等は、密やかに速やかに建物の影と影を渡り抜け、往来のすっかり絶えた通りを渡り、今、一つの敷地へと滑り込んだ。
そこはかつては一帯の物流の拠点となる配送センターがあった場所であり、今はとある怪人の支配する伏魔殿とも呼ぶべき場所である。
侵入者達はそんな場所を慎重に周囲を窺いつつ、身振り、手振りで意思疎通を図りながら、迷いなく奥へ奥へと進んでいく。それなりに洗練された、危なげの無い動きだ。
それでも、一同の表情が硬く強張っているのは無理からぬことか。万一怪人と出会しでもすれば、命の保証など何処にもないのだから。
「ここまでは、順調、か」
侵入者達の先頭、傷だらけだが丈夫そうな革のジャケットを羽織った十五、六歳ほどの少年が、建物の角から進む先の様子を窺いながら呟く。緊張を紛らわせるように握っては開く手には指出しの革グローブ。首元と耳には、何処かと通信するための小型無線機を着けていた。
「事前の調査通りってとこだな。行けそうだぜ、リーダー」
その直ぐ背後で同じ様に様子を窺っていた筋肉質の大柄な青年の返事に、リーダーと呼ばれた少年は頷いて返し、手振りで全体に進めの合図を送る。
一斉に角から飛び出した彼等は、大きく崩れて壁に穴の空いてしまっている箇所からスルスルと建物の中へ入り込んでいく。
最後に殿となったリーダーと呼ばれた少年がもう一度周囲を確認してから、屋内へと飛び込む。
幸いなことに、未だ怪人に気付かれたような気配はない。
壁の穴から中へと入り込んだそこは、様々な荷物が高く積み上げられていた。もくろみ通り、どうやら倉庫であったらしい。
ただ、入って直ぐの辺りは酷く雑然としている。元は綺麗にラックへと収められていたであろう段ボールなどが幾つも床に崩れ落ちており、中身がぶちまけられている。壁にぶつかって止まったままになっているフォークリフトや、上下一体の作業着が不自然にぽつぽつと落ちている様が、当時ここで何が起こったのかを音もなく少年に突きつけていた。
この地球に、『
怪人達が初めて現れたのが、少年の住む、この彩都市だった。
一切の対話もなく、突如として人類に牙を剥いてきた怪人達の来歴は未だに分からない。分かっていることは奴ら怪人が世界から色を奪い去った元凶であることと、そして何故か地球の花の名前を持っていることだけだ。
目的も文化も何もかも不明。だが、奴等が敵であることは間違いない。世界から無差別に色を、そして人々の命を奪ってきた奴等を、どうして敵では無い、等と言えようか。
当然のことながら、人類はそんな怪人達に激しく抵抗した。
警察。自衛隊。各国の軍隊。義勇の一般人達。
激しい戦いが各地で幾度も繰り広げられ、しかし怪人達は想像以上に強く、何より人類の知らなかった未知の力を振るう彼等に、徐々に生存圏を削り取られていった。
そんな苦境の中で何処からともなく現れたのが、虹の戦士アルカンシエルだった。
まさに彗星の如く現れた彼のアルカンシエルの活躍によって人類は盛り返し、一時は怪人達をこの地球上からの撃退に成功するかと期待された頃もあった。
――――が、そうはならなかった。
人類は失敗してしまったのだ。
あの日、アルカンシエルが初めて求めた助けに、人類は気付く事が出来なかった。
そしてアルカンシエルは敗れ、世界は瞬く間に灰色に染まった。
あれ以来、アルカンシエルが人々の前に姿を現したことはない。代わりに現れるのは怪人ばかり。
かの人は死んでしまったとも、人類に絶望して去ってしまったのだとも言われてる。
真相は分からない。
だがアルカンシエル無き後に怪人達は大攻勢に出て、多くの人々が倒れ、喰われ、やがて絶望に屈した沢山の人達が命の保障を求めて『
だがそれでも、少年は諦めなかった。
希望はある、と、別れの日に父が遺した言葉を胸に抗い続けた。
どこかにあるはずの希望を探し続けた。
抗い探し続ける内に、一人、また一人と少年と同じ様に諦めていない人々が、一度は散り散りになった皆が再び集まり始めた。
そうしていつしか少年はリーダーと呼ばれるようになり、少年の仲間達はレジスタンスと名乗るようになっていた。
「みんなは……、奥に行ったのか」
一時の物思いから立ち返り、少年は眼前に広がったかつての惨状に握り絞めていまっていた拳をゆっくりと解す。それから、先に進んでいるらしき仲間達の後を追った。
どうやら仲間達は壁の穴付近の荷物には早々に見切りをつけ、奥の方から使えそうな物資を探すこととしたらしい。
なるほど奥に向かいながら視線を這わせれば、確かに見るからに劣化の激しいものが多い。原因は壁に空いた穴から吹き込んだ風雨か、それとも怪人の仕業か。
「リーダー、これを見て下さいよ! この箱!」
少年と同年代ほどの、比較的年若いレジスタンスの仲間が奥へやって来た少年に嬉しそうに声を掛けてきた。
近寄って覗き込んでみると、開かれた段ボールの口から中にぎっしり詰まったサバの缶詰が見える。
「食料か! やったな!」
「はい、他の段ボールにも食べ物が入っているみたいです!」
「おい、こっちに来てみろ! 米だ! 米があるぞっ!」
「「「おおおおおおおおっ!!!」」」
少し離れた所では、見つかった
少年はその様子に少しだけ苦笑を漏らすと、低めの声で注意を飛ばす。
「みんな、静かにっ! ここは敵地なんだ、忘れるな!
とはいえ、これで食料問題は当面なんとかなりそうだ。持てるだけ持って、さっさと逃げるぞ!」
「「「おうっ!」」」
少年の号令に全員が喜色に満ちた声で返し、それぞれが背負っている大型のリュックに次々と段ボールの中身を詰め替えていく。
(拠点で自給できるものにも限りがあるからな。俺も楽しみだ)
一同の期待に満ちた表情を見ながら少年は頷き、それから身を翻す。
リーダーたる少年はリュックを背負っていない。それは皆を指揮する立場にあるからではなく、より危険な役目を率先して引き受けた結果だ。
「退路の確認をしてくる。事前の偵察ではまだ大丈夫なはずだけど…………もしもの時は手筈通りに」
「はい。リーダーも、どうか気を付けて!」
「まあ、ここに居る怪人はアイツ一体らしいし、きっと何とかなるさ!」
心配気に声を掛けてくる仲間にひらひらと手を振って返し、少年は元来た道を戻る。
少年の役割とは、偵察だ。今居るこの場所はもとより、この世界は何処まで行っても灰色、怪人の世界だ。ただの人間がのんきに散歩出来るような世界では無い。ある場所を除いて。
だから、例え通い慣れた道であろうとも、怪人と予期せぬ遭遇をしないために偵察は重要となのだ。人間は、怪人よりも弱いのだから。戦うよりも逃げる方が余程生き残る目はある。
では偵察の結果、怪人を避けようが無いとなった場合は、どうするのか?
「ふー…………」
少年は乾いた唇を舌で濡らしながら、壁に身を寄せる。すぐ側には亀裂のような形の大穴が空いている。
この倉庫に侵入する時に通った穴だ。
周囲の気配を窺う。顔を出さないように。
何も居ない。見える範囲には。
音を聞く。無音。
視線を仲間達の方へ向ける。
どうやらかなり手早くやってくれたらしい。既に少年の居る壁の穴の方へ移動を始めていた。
ハンドサインで外へ出る旨を伝え、もう一度様子を探ってから一息に外へ飛び出した。
右、左、上。素早く見渡し問題無いことを確認する。
そのまま外壁を伝って建物の角へ。
角の先を確認するために身を乗り出そうとして――――、
――どん、と何かにぶつかった。
恐る恐る顔を上げれば、そこには灰色の世界にあって文字通り異色な真っ白な虫めいた顔。
おでことおでこが触れ合いそうな距離。
目と目が合う。
「ああ~、ええっと、コンニチワ、ヒメノカリスさん。
今日も、お仕事ご苦労様です」
「お、おう」
「今日も素敵な白色ですね」
「そりゃあ、この俺様は”白亜”だからな!」
「そうでしょうとも。そうでしょうとも。
それでは、私も仕事がありますので、これで失礼します。
ごきげんよう!」
少年は朗らかに笑って一歩身を引き、大きく手を振って倉庫とは別方向に踵を返す。
「おう、そうか。頑張れよ。じゃあな、ごきげんよう」
そんな春先に見合う爽やかな空気に流されて、全身真っ白の蟹と蜘蛛と人を混ぜ合わせたような異形の怪人が同じ様に手を振って見送る。
二人の間には、その行く末を祝福するかのように春の柔らかな風がそよめいて――――、
「…………って、それで誤魔化されると思ったか! このレジスタンスめがぁっ!!」
「っち! 流石に駄目か!」
怒り狂ったように白色の怪人が吠え、少年が脱兎の如く走り出す。
「今日という今日は逃がさんぞ! お前等のせいで上司に目をつけられて、この俺様もそろそろヤバいんだっ!」
逃げた少年を追って、喚きながら怪人が走り出す。
そんな怪人の様子に、上手い具合に釣れたと少年がほくそ笑んでいるとも知らずに。
少年は走る。
怪人に遭遇せぬようにと様子見した先で、バッタリと怪人と出会したがために。
偵察の結果、怪人を避けようが無いとなった場合は、どうするのか?
答えは簡単だ。誰かが囮になれば良い。
これこそが少年の役割。今のレジスタンスがレジスタンスと呼ばれるようになる前から変わらず、少年が誰にも譲らずに成してきたことだ。
そうして少年は、いつも通りに持ち前の機転と運動神経を存分に駆使して、怪人との鬼ごっこを始めた。
仲間達を、安全に逃がすために。
いつものように。
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