第15話 軍神出撃②

「伝令!長尾景虎一騎掛けで黒滝城に猛進中、景虎の後方より直江神五郎の軍勢約2千!」


秀忠は甲冑姿で伝令の言葉を聞いていた。


「思ったより、早かったではないか。景虎、殿」


秀忠は嘲笑するように景虎の名を零した。


「一騎掛けに対して一騎打ちで臨むが礼儀かと」


「分かっておるわ!虎千代如きクソガキに俺様が臆するとでも思ってか!」


秀忠は手にしていた盃を家臣に投げつけ、太刀を手にしてすくと立ち上がった。


「景保、景房同様ぶち殺してやるわ!」


「は!」


家臣は急いで、秀忠の前から立ち去った。


早馬を飛ばしてきた秀忠の家臣は、廊下を駆け、辺りを見渡して人影がないことを確認すると、裏庭に降り立ち床下に潜った。


甲冑姿から黒装束に着替えた段蔵が、床下から現われた。


「これでよし」


段蔵は得意気に両手の土を払った。


跳躍し二間以上ある城壁を乗り越えて黒滝城を後にした。


「……為景様」


秀忠は暗く沈んだ目を足元に落として独り語ち、少しの間を置いた後、深く長い溜息を吐き、迷いを断ち切るように大きく頭を左右に振って、凛と顔を上げた。固く口を結び、目を吊り上げて秀忠は甲冑の重く鈍い音を掻き鳴らした。


「打って出る!城門を開けぇぇぇぇぇい!」


黒滝城まで後半里という所まで、放生月毛は馬脚を唸らせていた。


「秀忠が出てまいりました」


姿無き段蔵の声が景虎の耳に入った。


「段蔵さんありがとう。これで、無益な死人が出なくてすむよ」


景虎は前方を睨むように見据えると、馬腹を蹴って速度を上げた。


黒滝城が景虎の目に入った、その時、両脇の藪から無数の長槍が景虎を襲った。


「罠か」


段蔵はしまったとばかりに零して、棒手裏剣を藪の中へ投げ込んだ。


景虎は一髪の間合いで槍先を避け、鬼斬り丸を鞘から抜いた。


「段蔵さん!話が違うじゃない!」


虚を突かれた景虎は冷や汗をかきながら、段蔵に怒りの声を上げた。


「一騎打ちって、言っといたんだけどなぁ」


段蔵はポリポリと頭を掻いて、首を傾げた。


黒田軍の雑兵が槍衾を作って道を塞いでいた。


「命が惜しくば、道を開けい!」


景虎の警告虚しく、無数の6間槍が景虎に叩きつけられた。


「クソ!致し方あるまい!」


景虎は憎々しげに言うと、放生月毛の耳元に


「頼んだぞ」


優しく声を掛ける。


放生月毛は合点承知!と言わんばかりに漆黒の瞳を輝かせ、青く澄んだ大空目掛けて飛越した。


頭上を飛び越された黒田兵はこぞって呆気にとられ、首を捻って背を走り去る景虎の姿を茫然と眺めるばかりだった。


景虎の目に秀忠の姿が映った。


秀忠は馬上で槍を大仰に振り回して、猛然と景虎に突進してきている。


「秀忠!」


景虎は奥歯を鳴らし、怨嗟を露わにした声を漏らした。


「景虎!貴様如き餓鬼にくれてやる首は持ち合わせておらぬは!景保、景房同様死ぬがいい!」


秀忠は馬を飛翔させ、日輪を背に景虎に襲い掛かった。


「死ぬのはお前だ!秀忠!!」


景虎は鬼斬り丸を上段に構え、秀忠を人馬もろとも斬り伏せようと刃を振り下ろした。


しかし、鬼斬り丸から放たれる青い閃光が消え、鬼斬り丸は錆びついた鈍ら刀となっていた。


秀忠の槍先が景虎の頬をかすめる。


秀忠は景虎の背後を奪い、二手目の槍を放った。


景虎は背を完全に捕らえられていた。


「しまった!」


景虎はやむなしと身を竦めた。


キン


段蔵が投げた手裏剣が秀忠の槍先の軌道をずらした。


景虎の左腕に秀忠の槍がざくりと突き刺さった。


「ちっ!」


心の臓を狙っていた秀忠は舌を打って、頭上で槍を回して、三手目の動作に入った。


景虎は秀忠と距離を取る為、放生月毛を走らせた。


「逃がすか!」


秀忠の怒号が飛び、三手目の槍が放たれた。


槍先は景虎の脇腹をかすめた。逃げる景虎を秀忠が執拗に追う。


「鬼斬り丸!どう言うことだ!この戦、私に義が無いと申すか!兄を殺されておるのだぞ!」


景虎は逃惑いながら鞘に納めた鬼斬り丸に声を震わせて叫んだが、鬼斬り丸は押し黙ったままだった。


「くそ!」


景虎は鬼斬り丸をバンと叩いて、脇差を抜いた。


秀忠の槍が背後から豪雨の如く放たれた。


「ははははは!死ね!景虎!為景様が守り抜いた領土安寧の為、貴様はここで死なねばならんのだ!!」

秀忠の槍先を景虎は必死で凌ぐ。


が、鉄製の甲冑が見る見る襤褸雑巾のように毛羽立っていった。


「しゃーねーな」


意を決した景虎は、手綱を力一杯引いて放生月毛を反転させ、脇差で秀忠の槍先を叩き落とした。


「ガキが、なかなかやりよる」


秀忠は長刀をすらりと抜き、馬上で景虎を切りつけた。


景虎は秀忠の一撃を鍔で辛うじて受けた。


「領土安寧とはどういう意味だ」


景虎は目を吊り上げて、秀忠に訊いた。


「貴様如きガキに話したところで、埒もない」


秀忠は景虎の鍔を撥ね上げた。


段蔵の手裏剣を短刀で交わしながら、景虎の喉元を狙って、長刀の刃先を突いた。


「死ね!景虎」


パンと乾いた音が弾け、秀忠の右腕がだらりと垂れた。


「何!」


顧ると、神五郎率いる鉄砲隊が列をなしていた。


「遅れ馳せながら、直江神五郎ただ今参上!」


神五郎は玄武が描かれた軍配を振り翳して、高らかに叫んだ。


「今のは、ほんとヤバかった~。死ぬかと思ったよ」


虎千代が苦笑を浮かべた。


一瞬神五郎に気を取られていた秀忠の背に、段蔵の毒手裏剣がドスドスドスと肉を潰す鈍い音を立てて突き刺さった。


「クソが!」


秀忠は渾身の力を込めて最後の一太刀を振り上げた。後方では、神五郎が


「構えーーーい!」


と二発目の号令をかけていた。


「打つな!」


景虎が叫ぶと、突然の中止命令に神五郎が泡を食い、玄武が右往左往している。


「こいつは私がこの手で、仕留める」


景虎は愛馬を乗り捨て、地に足を付けた。


秀忠も転げ落ちるようにして、景虎に続いた。


「鉛玉の餌食にするには惜しいってか。虎千代も甘いな」


大木の枝に立ち、傍観していた段蔵がやれやれと言う風に零した。


「来い!秀忠!」


景虎がぎゅっと力を込めて短剣を握りしめた。


秀忠は段蔵が放った毒が全身に回り出し、立つのもやっとと言う風だった。


「虎千代如きにこの俺が地に膝を付くというのか。こなくそ!」


秀忠は折れ掛けた膝を両手で抑え込んだ。


ふらつきながら上体を起こし、剣先を震わせて、長刀を構えた。


「どうして、兄上たちを殺した!」


景虎は怒りと言うより、蹌踉

そうろう

としながら戦闘を続ける秀忠の姿に疑問を生じずにはいられなかった。


元々秀忠は為景の腹心であり、長尾家の為に長年尽くした重臣の一人だった。


「どうして?」


秀忠は鼻を鳴らし


「笑止!」


と、吐き捨てた。


「どうしてあなたが?私には分からない」


景虎はゆるりとかぶりを振って、哀しい目を秀忠に向けた。


ゴボと秀忠が喉を鳴らすと、どす黒い血が口角から流れた。


「晴景では、いかんのだ!!」


朝日連峰に秀忠の声が轟いた。秀忠は鮮血を霧吹いて、片膝を地に付けた。


「晴景では……」


「どうして、兄上では駄目なのだ。それに、景康、景房両兄は関係ないではないか!」


「だから、お前は子供なんだよ」


秀忠は馬鹿にしたように目を細めた。


「何!?」


景虎は怒りを露わにして柄を握りしめた。


「武田と!!」


秀忠は大声を張り上げて、ゆっくりと重い口を開き始めた。


「晴景は武田と手を結び、上杉定実様を討ち、越後を我が物にせんと画策しておったのじゃ」


「……まさか」


秀忠の言葉に景虎は目を大きくさせた。


「そのまさかじゃ。為景様が守り抜いてきた、南越後と村上の領地を武田に引き渡すという条件でな!」

秀忠は苦々しい表情を浮かべ、拳を地面に打ち付けた。


「村上とは長年同盟を結んできたではないか」


景虎は分からないという風に首を振った。


「その長尾に後方から攻められれば、幾ら戦上手の義清とは言え、成す術なかろう」


「それでも、景康、景房兄様は関係」


秀忠の話に言葉を失っていた景虎が、声を張ってそこまで言ったところで、


「関係あるのだ!」


秀忠が割って入った。


「武田との話を持ってきたのはそもそも景康、景房の二人なのだからな」


「そんな……」


景虎は落胆し、両膝を地に打ち付けた。


「だから、俺が為景様の遺志を継いで、この領地を、民を……」


秀忠は話しながら意識を失い、どさりと体躯を横たわらせた。


つづく

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