第5話 鬼斬り丸②
東山道の宿場町に入ると人が溢れていた。
一足先に町に入った段蔵が大路の真ん中で突っ立っていた。
後ろから虎千代が走ってくると、気配を感じたのか段蔵が振り返った。
やっとの思いで段蔵に追いついた虎千代は、体を曲げて膝に手を衝き息を切らせた。
「はぁ。はぁ。はぁ、段蔵さん早い!早いよ!歩くの。これじゃ僕の護衛だか何だか分からないじゃないか!」
途切れ途切れ話す虎千代に段蔵が「ん」と言って両腕を突き出した。
「何?」と虎千代が重い頭を持ち上げると、竹串に刺さった五平餅が段蔵の両手に握られていた。
虎千代は、目を丸くして段蔵から五平餅を受け取った。
「ありがとう」
「宿を探すぞ」
温泉がそこらじゅうで湧き出る宿場町とあって、湯煙があちこちであがっている。手ごろな旅籠を見つけて、部屋に入った。虎千代は旅籠が珍しいのか、キョロキョロと視線をうろつかせている。
「ここは、温泉が湧いているんですよね。段蔵さん。旅の垢を落とすって言うじゃないですか。すぐ行こう」
腰を落ち着けること無く虎千代は旅籠に備え付けられた手拭いを引っ手繰った。
風呂は裸になる。武器を携えて入る訳にはいかず、敵に襲われれば、ひとたまりもない。段蔵は、渋い顔をして「俺はいい。お前だけいってこい」と言った。
「え~。一緒に行こうよ~。段蔵さん僕の護衛でしょ」
段蔵の腕を振って、駄々をこねる虎千代。
それも一理ある。段蔵が眉間に皺を寄せて「う~ん」と唸った。
決めかねている、段蔵に虎千代は、「来なさい」と両脇に手を置いて、仁王立つ。
「段蔵さんと温泉行たいのぉ」
屈託のない虎千代の言葉に段蔵は「そうだな」と苦笑して答え、重い腰を上げた。
時間が少し早かったこともあって、脱衣所には誰もいなかった。
段蔵は手際よく旅装束を脱ぎ捨てて、岩風呂に身を沈めた。
少し遅れて虎千代が高調した声を上げて浴室に入ってきた。
「わぁ~。お風呂広~い。スゲー。スゲー」
心弾ませ、右に左にと動き回る虎千代のこじんまりした白い尻を湯煙越しにチラと見て、段蔵はフンと鼻を鳴らした。
虎千代は一通りはしゃぎまわった後で湯に浸かり、嬉々として段蔵の傍らまでやってきた。
「これが温泉ですか?僕初めてです。林泉寺のお風呂と違って勝手に湯が出てくるんですね。びっくりしちゃった」
「温泉なのだから当然だ」
段蔵は憮然と言って、埃っぽい顔を湯で洗った。
「温泉ってよく温もりますね。僕もう熱くなってきちゃったよ」
虎千代はその場で立ち上がり、湯で火照った顔を両手で煽った。
段蔵が洗った顔を上げると虎千代の股間が目と鼻の先の距離で現われた。
「貴様、どこに立って……」
段蔵はそこまで言うと、電光石火で湯の中に頭を沈めた。
「段蔵さん。あれ、どうしたの?」
虎千代は驚いて自分も段蔵と同様に湯に潜った。
湯の中で段蔵は涅槃像のように横たわったまま刮目していた。
水中に現れた虎千代の顔を見ると段蔵は素早く己の股間を押さえて、虎千代に水上に顔を出せと言う風に顎をしゃくった。
人間に見つからないように恐々と水面から顔を出す河童のように、二人は頭を上げた。
段蔵は顔を赤らめて虎千代に背を向けた。
「どうしたの?段蔵さん?」
段蔵の不可思議な行動に虎千代は首を傾げた。
しばらくの間、顔をこわばらせ押し黙っていた段蔵が、口を開いた。
「貴様。おなご(・・・)だったのか?」
段蔵の言葉を聞いて虎千代が素っ頓狂な声を上げた。
「え~っ!どうして?僕男だよ?」
段蔵は腕だけ背中に回して、人差し指を湯の中に向けた。
「何?」
虎千代が首を傾げると
「無いではないか」
段蔵が上ずった声で言うと、虎千代は「何が?」と、眉根を寄せて湯の中を見る。
「だから、その。あれだ。なにが……その」
段蔵が歯切れの悪い口調で呟く。
「あっ!」虎千代は何かに気付いた様な声を上げて「これ?」と湯から立ち上がって股間を指差した。
段蔵はそうだという風にコクリと頷いた。
「ふふふ」虎千代はいたずらっぽく笑い、「これは、特別なんだって」と秘めことでも話すように段蔵の耳元で囁いた。
「特別?」
段蔵は眼球だけ上向かせて虎千代の話を訊いた。
「うん。光育様が言うには、僕は神の化身だから男だけど股間のものが無いんだって。如来様も観音様も四天王もお仁王様もみんな無いんだって。だから、僕だけお風呂はいつも光育様と一緒に入っていたんだ。他の僧たちにばれないようにね」
虎千代は曇りの無い笑みを零しながら、光育の受け売りで話した。
段蔵は平静を装い
「そうか」
とだけ言って、虎千代に背を向けたまま湯から上がり脱衣所に向かった。
段蔵は部屋に戻ると宿主に頼んで衝立を貸してもらい部屋を二等分して布団を敷いた。
虎千代は段蔵の心遣いに首を捻ったが段蔵の眼光に何も言えず、布団を被って寝た。
灯を落とした部屋で段蔵は一人感慨深げに闇を凝視していた。
家中で『姫若』と揶揄されていた虎千代の美男子振りは噂で知っていた。
確かに坊主頭だが顔の作りは尋常ではないほど美しい。
寺で初めて虎千代を見た時、衆道の趣味がない段蔵でもドキッとしたほどだった。
信心が浅いという訳ではない。
だが、私は神だと言われて、はいそうですか、とはいかない。
すぐ傍で聞こえる寝息が女のものだと考えるだけで身震いが止まらなかった。
この世に生れ落ちて一六年、女人に触れたことのなかった段蔵の心臓は、飛び出さんばかりに高鳴っていた。
膨らみかけた虎千代の胸が脳裏に浮かぶ。
天を衝く股間を己で殴り付け、もう少しで悲鳴を漏らすところだった。
「こいつは、男だ。子供だ。男だ、男だ、男だ、男なんだよ~」
男、男と呪文のように呟くが、言葉とは裏腹に、虎千代が放つ微かな女臭を胸いっぱいに吸い込もうとしている自分がいる。あーーもう!身をよじり、両手で自身の体を抱きしめて、段蔵は眠れぬ夜を過ごした。
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