青海のリグレス《序》

ななくさつゆり

【プロローグ】

【青海】のプロローグ

 あのころは、透いた碧い海を眺めるだけで穏やかに一日を過ごせていた。

 陽光を受け入れた薄青いさざ波が、寄せては引いてを繰り返している。それは海を見据える遥か向こう——青海原と蒼空を横一線で割る水平線の彼方から、潮騒の音を引き連れてやってきていた。息をゆっくりと深く吸えば、まるで海と空と土の匂いに、太陽の光をまぶして吸い込んでいるみたいで、それがたまらなく好きだった。


 いつだったろう。ひとりの女の子がここに訪れた。

 白い半袖のワンピースで、麦わら帽子をかぶっていて、さらりと長い金の髪は陽光を照り返してきらめく。肩まで伸びた髪は島の端に巻く浜風に吹かれ、静かになびいていた。

 その子は、そっと僕に手を伸ばし、

「今日はどこへ行くの——」

 笑みの奥に、光を湛えているかのようだった。

 海を眺めて、空の下で駆け回り、振り返ると、その子がいる。しばらくはそんな日が続いた。

 そしていつだったか。裸足で踏めば軋むように鳴く白砂の浜辺で、僕とその子は手を繋いだ。手を繋いだまま、海のずぅっと向こうをじっと見つめている。清々しい夏の空の下で、青くどこまでも広がる海を前にして。

 その間、交わす言葉はなかった。

 顔を見合わせることもなかった。

 ただ、僕もその子も小さく笑っているような気がして、それが心地よかった。繋いだ手はとても温かい。


 ふと足元に、ひとつのきらめく水晶のようなものが流れ着いた。

 その子がそれを手にとって海水の粒を指で払い、見惚れるような声でつぶやく。

「——きれい」

 声は高く遠くまで通るようで、僕の耳に優しくひびいた。

「これ、なにかな?」

 ……なんだろう。

 手のひらに収まる水晶のなかで、なにかが赤く光っている。

 ふと、思った。

「君のお守りに似てる——」

 その子が首にかけていた、透明な水晶のかけら。そのふちが、僕の言葉に呼応したかのように陽光を弾く。

「そうね。……なんだか、初めてな気がしないわ」

 空にかざし、今度はこちらを見て笑いかけてくれた。

 そして、

「そう思わない? セト」

 僕の名前を呼ぶ。

 声のあとに、風とさざ波の音が耳を衝いた。


 それからしばらく、ふたりでその赤く光るなにかを見つめていた。

 空と海のはざまから流れ着いた、灯されたように赤く光るもの。

 見つめるとどこか懐かしくて、吸い込まれそうになる。


 これを見つけたのはふたりだけの秘密で、これはふだりだけの宝物。

 そう思っていた。

 いや、そうなるはずだった。

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