ねむるきみ、やさしい囲い

真里谷サウス

第1話



「ビアンカ、それは重いわあ」

「無いわー」

「それあんまり人に言わないほうがいいよ」


「……」


 寄ってたかって、なによみんなしてさ。

 創作料理が主の流行りの小料理屋。私は晩ごはんを食べる場所としてよく来るので親しみを込めていつもの食堂と呼んでいる。その中央の大きな食卓に座り女友達と飲んで食べているところだ。

 今しがた全員に私の持論を却下されたので、自分の胸まで伸びたくるんくるんの黒髪を思わず両手で掴み、膨らませた頬を隠した。


「ふてくされないの。よし、古代乙女のようなビアンカさんに一杯奢ってしんぜよう。すいませーんこの赤房果実のお酒、この子におかわりくださーい! あ、やっぱり十杯分入る小樽で! 私も飲む」

「エンナ、私今日はいいよ」

「やだビアンカ、エンナが奢るって言ってんだから気にしなくていいって! あたしは蒸留酒いこうかなー。シアは?」

「うん、モリナと同じのにするー」




 そうか……、そんなに重いのか、私は。



 この星で一番の先進国である大国の、全世界比率で人口密度がぶっちぎり一位のこの首都では、出身者よりも田舎から出てきて住まう人間のほうが多い。つまり固着した文化と呼べるものが、ここではかなり薄れている。

 この先進国の技巧や魔術、経済についていくためには多様、混在、許容、自立の意識が必要とされ、むしろそういった意識をすでに持っている状態の人間に、最先端の思考を生み出すことを求められるのである。


 ……と、この国の首都に必要とされる人間の定義を述べる。

 そして、ある特定の分野においていかに自分が狭く古くさいのかも自覚し、改めて、生きるもどかしさを感じたのだった。



「また始まったよビアンカのめんどくさい概念講座。楽しすぎ」

 モリナがにやにやと半目で私を見る。

「そんなビアンカが好きよ私」

 と言うシアも呆れたように半目だ。

「私も好きよ、ビアンカのその話があと数分で終わるなら」

「「ぜったい終わんない」」

 エンナの言葉でシアとモリナは一頻り笑って、

「ビアンカ、酔うと絡み辛いからねえ。あ、酔わなくても絡み辛いわ。はははは!」

 と、私で遊ぶ。


 ふん、いいもん。

 この三人はいつも私にはこんな感じ。いじられるのが私の定位置。でも今日の話題に関しては、私はどんなにいじられたって考えを変えられそうにはない。


 エンナたちとはこの食堂で仲良くなった。いつの間にか二週に一度くらいはこの食堂で、約束がなくても勝手に集まりそれぞれの他愛のない話をする。各々の私生活の深堀はせず大人な関係を保つ、大変気さくな集まりだ。

 今日は私が残業だったので大分遅れての参加。着いた時には全員出来上がっていた。まあ、いつものこと。


 実はこの都会の拓かれた考え方を周囲から身に染みて感じるまで私は、自分がド田舎から出てきた時代遅れの堅物だとは露ほども思っていなかった。

 確かに私の出身国はこの大国から三国ほども遠く東にあり、ここ、世界一の国の首都に到達するまでには特急速度の出せる有翼の獣車にて、のべ二日ほど揺られる必要がある。

 もしかしたら母国の首都であっても私は相当古風なのかもしれないが、学術院を卒業してすぐ大国に渡り、就職先で長年研究職に没頭してしまった私に比較基準なんてものはない。


「ビアンカは難しく考えすぎだよ。あと古い。先人の知恵や知見っていうのは『良いとこ取り』するものよ? 生活基盤の模範にしちゃったら当たり前に時代錯誤。衰退するわ」


 エンナに言われ、私は果実酒の入った木製の杯を両手に抱えながら項垂れた。


「エンナもシアもモリナもさ、なんでそんなふうに自由に考えられるの? 私も皆のような現代人になりたかったよ。皆、名前かわいいしさ……私だけすごい古風な名前で、生き方まで古風だ。……改名しようかな」

「ははは! ビアンカ、この歳で名前変えたって今更もう生き方は変わらないんじゃない?」


「楽しそうだね。なんの話?」


「あら! アルトくん。お疲れさまー」

「アルトくんだー久しぶり!」

「席空いてるよ、どうぞー」

「皆さんこんばんは。ビアンカは何杯目?」

「えービアンカ? もう十杯は飲んでるわよねえ? シア」

「あはは! そうだねー!」

「何杯目だっていいじゃないアルトくん、今日はなに飲むー?」


 一斉に友人らの声が色っぽくなった。エンナたち、適当なことを言って……。私まだ二杯目よ。


 アルトと呼ばれたその男性は、店員さんに一通り注文をすると私の隣の席に何の気なしに座る。横から急に人の温度と影が私を覆った。いや、どこも触れていないんだけど、とにかくこのアルトという人は縦も横も大きいのだ。

 剣術では未成年の内に師範代になり、学徒時代は大国首都中央にある高台にそびえ立つ王宮で騎士をしていた。大国の王宮騎士は、魔術と剣術の両方が優れていないと絶対になれない。夏季休暇だけの試験的な有限勤務中に、あっさりと世の男性が羨む王宮付騎士団からの推薦内定を獲得し、けれどなぜかそれを断り、今は大国の知識の最高峰である魔術とその技巧と経営などの総合研究所、通称『魔巧総研』に勤めているという、嘘みたいな才能と成功に向かった人生を持つ男性だ。


 彼が持つ北の森のような寒色を帯びた深緑色の髪は、魔術の優れた北国の民のもの。冬が近いから少し伸ばし始めたのか、後ろ髪は襟足に達しそう。切れ長の瞳は輝く銀に見える薄い灰色。それも北の出身者である証拠だ。

 北には古代から中世にかけて超大型獣を使役した魔導士の末裔が未だ多くおり、あまり他所の血を混ぜたくない閉鎖的な地域だ。そのためアルトのように異国に出てくる人は非常に少ない。

 現代における魔術の出番は医術と、生活基盤全般における物事の発明や開拓、改良である。超大型獣など、黒い魔法で全人類が暴れまわったとされる古の戦国時代にすべて絶滅してしまった。


 私のような、少しだけ焼けた肌色に黒髪、薄紫の瞳を持つ東の民は、閉鎖的という意味では北と同じだ。ただこちらは魔術の血統者はあまりおらず、その分、技巧に長けているので発明や文化の開拓というよりかは、今あるものの改良に努める愚直な技術者が多い。


 そして魔術と技術の両方に関われる研究職は大変人気で、どこの国でも研究所への入所は狭き門だ。とんでもない倍率なのである。特にこの大国首都の研究所は、どんな研究所だって世界中から入所を希望する人間で溢れている。

 そう、この土地で研究所に入所できた私って、一応かなり勉強を頑張ったほうなのだ。


 アルトは更にそうなのだろう。だって魔術の国出身なのに剣術の師範代。そして大国の王宮騎士から総研に鞍替えし、両方とも優れていないと選ばれない経営系の部に所属という、全人類が羨むようなことをしでかしている。文武が両道すぎるというものだ。

 それだけでもかなり目を引くのだが、更にこの人は日に焼け鍛え上げられた隆々とした躰と役者並の美貌を持つ、本当に冗談か嘘みたいな男性なのである。そう、普段とってもおおらかで気さくでワイワイはしゃぐ私の友人らがこんなに女っぽい声色になってしまうくらいに。


「ビアンカ、名前を変えるのか? なんで?」

「……アルトには関係ない。内緒」

「……なんで。モリナさん、ビアンカはなんで名前を変えるの?」

「えー? ふふふ、あのね、ビアンカが」

「モリナ言っちゃだめ!」


 そしてこのアルトと私は同僚なのである。……いや、語弊があるか。アルトが勤めるのは首都最高峰の『魔巧総研』。そこの支柱の一つ、取引先の魔力用途や技術的な生産工程を調査し助言する『魔巧環境研』の研究者兼調査官が私だ。要するに私は子会社。

 同じ系列なので、入所者は初期の研修が親も子会社も、すべて一緒だった。その時からの腐れ縁だから、もうかれこれ……数えられない、というか数えたくないほどの年月でアルトとは友人関係が続いている。


 周囲からは、そんなに長い間よくこんな良い男と『ただの友人』でいられるねと感心されるが、それはつまり、私がちょうど今しがた皆に『重い』と言われた古い考え方のせい、いや、おかげなのだ。


 文武に長けて姿かたちも立派なアルトはとんでもなく人気がある。老若男女に優しい彼は誰からも慕われており、物腰は柔らかい。総研勤務者というだけで、大抵の人間は簡単になびいてしまうのに更に彼には騎士の素質があり、北の民らしく簡単な魔法だってお手のものだ。

 この前だってお昼に頼んだ粗挽きの肉団子がちょっと生焼けで、お店の人は忙しく火入れを頼める状況でなかった時があった。その時はアルトが木皿の上で熱魔法を使い内部だけをじゅわりと蒸してくれた。熱魔法なんて火と水と風を絶妙に合わせないと発しない非常に難しい魔術である。そんなすごいものを、私のお昼ごはんごときに消費するのだ。

 日ごろから彼はこんな風に、とっても優しい。わざわざ訊かなくたって、お付き合いしていた女性などは過去にいるのだろう。こんなのを相手にいつまでも友人面をしていられる女はどうやら私だけのようであった。


「じゃあ私が言っちゃう。ビアンカは古風な自分の名前が嫌なんだって!」

「ちょっ……、エンナ!」

「古風な名前だから考え方まで古風になっちゃう。だから名前を変えよう! ってわけ」

「シアまで! 待ってよ、みんな!」


「ふーん。名前を変えたってビアンカの中身はビアンカのままだろう。というよりその『古風な考え』ってほうが気になるんだけど、なに?」


「アルトには全然関係ない話だから、気にしないで」


「……」


「ねえ、関係ないならぜひアルトくんに聞いてもらったら? 異性の意見を聞けばビアンカも考えを改めるきっかけになるかもじゃん。あのねアルトくん、結婚まで男女がお互い貞操を保つって、どう思う?」


 モリナー! なんで言っちゃうかなあ……!!


「えっアルトじゃん! なんの会? おーい、お前らこっち! アルトがいる」

「わ! 良ければどうぞ一緒に! 店員さーん席つなげていいですかー」

「はじめまして。アルトの同僚です」

「俺もはじめましてー、えっ、アルト、だれだれ? こちらの女性たちは」


 急にわいわいと男性らが来た。どの人たちもアルトの同僚、総研の精鋭たちのようである。

 うう、お願い、話題変えて。私のことは皆知らないだろうけど、親会社の人たちだから今後の往訪時に会う可能性だってたくさんあるのだ。


 皆で乾杯をし、でも私はハラハラして飲めず仕舞い。さきほどモリナがアルトに暴露してしまった私の考え方に関してアルトが何の返答もしないままこんな大宴会状態になっていることに若干焦燥を感じつつ、でもこのまま一旦あの話は終わってくださいと祈りながら適当に皆と話を合わせていた矢先、シアが、


「ちょうどさっき面白い話してたんですよー、結婚まで男女両方が操を立てる古代文化について」


 と言い放った。


 男性陣がドッとウケた。



 ……ああ……。

 こんな風に全員に笑われるくらい、私の考えは時代に沿っていないのか……。



 シアたち三人は男性陣に囲まれてウキウキ輝いている。それ自体は喜ばしい。シアは医術院、モリナは不動産店で仕事をしているので、同業以外で男性と知り合える機会は少ない。エンナは総合商なのでそうでもないが、ああダメ、全員完全に異性交流会の雰囲気で盛り上がっている。友人としては応援したい。でも話題は変えてほしい。


「ははは、互いで操立てかあ。古風というより、うん、古代だね」

「でもなんでそんな話に?」

「私たちも今日はじめて聞いて。ビアンカの主張なの。ね?」


 そうモリナが言うと男性陣が一気に私を見た。そのあと、隣にいるアルトへ視線を移し、次は皆それぞれ違うものを見ている。

 気まず過ぎる! もうこれは適当にへらへらと笑い、道化師になるべし。


「えっと、へへ、私の考えってそんなに古くさいかなーって。田舎では割と普通だったので……まあ、確かに祖父の世代の話でしたけど」


 とはいえ、祖父しか身寄りがなかったので私の古代化は当然の結果なのかもしれない。


「ビアンカの考えは超古い。体の相性はすごく大事なことだ。童貞男に限定して相手を選んで、結婚してからそいつのそれが短小だったらどうする。一生その短小で我慢するのか? はっ! 絶対に物足りない人生になる」


 突然、さっきからほとんど口を挟んでこなかったアルトが発言した。


「たんしょうって?」

「はあ? つまりち」

「ちょーっと! うぉおおい」

「わーわーわーアルト何言ってんだお前」

「どうしたー? アルトらしくないな」


 そして今度は突然男性陣がアルトに被さるように言葉を畳みかける。女友達らもちょっと驚いてアルトを見上げていた。


 そっか、皆はこういう少しつっけんどんなアルトを知らないのか。私は研修時代から長く友人をしているので、アルトが私へ真正面から意見交換でぶつかってくることに慣れている。

 つまりアルトにちやほやされたことは無い。

 だから私は無事に勘違いすることもなく、彼のことは尊敬に値する友人として、ありがたく仲良くしている。


「はっ、いいんだよどうせ明日には憶えてない。……その童貞野郎がビアンカと同じ貞操観念でない可能性は想定しているのか? 君の貞操はもらって、すぐに次、って奴だっている。離婚も今は簡単だ。どの国も個人の尊厳を守るために黒い魔術で婚姻を縛ることはずいぶん前から禁忌なんだから、相手の気持ちを考えずにそういう古代の条件に縛られ続けると、自分の直感や選択が洗練されなくなってくるだろうが。なのに童貞野郎しかビアンカの選択肢に入らないなんて、だからビアンカはせっかくこの首都にいてこれだけ多くの人間に会って大量の情報に触れているのに目利きが全っっっ然あがらない」


 隣を見上げると、……早口で言い終わったアルトは座った目でただ正面を見て、黙々とお酒を飲んでいた。


 皆も一斉にぽかーんとアルトを見る。


「アルトくんって、……ああ……なるほど……!?」

 エンナが感心したように言い、シアとモリナに同意を求める。

「アルト言うねえ? でもおまえ学徒時代めちゃくちゃ遊ん」

「ぅおっほんジルくん黙ろうかアルトは今非常に微妙な立場にいるようだ」

「微妙……? いや、アルトはずっとヴィ」

「はあっくしょーーーーい」

「ジャマール、なにその変なくしゃみ」

「えっと、アルトって基本は仕事も私生活もあっさりこなす感じだけど、特定のことにはものすんごく筋は通すから安心してくださいね」

「レヤンシュはビアンカさんに何言ってんの?」

「ジルは空気を読む練習をしようか」


 私はそんな彼らの謎の会話を聞きながら、手元に残る果実酒を一気にあおった。

 アルトの言っていることは非常によくわかるけど、でも。


「……まあ。私はもうこの歳まで過ごしてきた。だから夫になる人だけでいいし、相手もそうだといいなって思う。いなかったら、それはその時だよ。そういうのは無理しない。出会いは自然が一番」


「……あっそ」


「「「「「「……」」」」」」


 例え誰かと出会い結婚し、そのあと離婚したって仕方ない。自分の魅力や才能が相手と合わなかったということだ。

 というより相手もいないのに先のことなんて、起こってもない未来まで考える余裕はない。



 ただ一つ、今、わかってしまったこと。


 やはり、アルトはまったく私の手には届かない人なのだということだけだ。



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