薄れゆく夏の陽

ななくさつゆり

第1話【夏の匂い】

 夏の匂いが、だいぶ薄れてきている。

 縁側で柱に寄りかかり、外の風景をぼんやりと眺めながら、修司は夏の終わりの感触を掴んでいた。夜の涼風に、ひんやりとした風の芯が感じられる。甚兵衛の袖や衿の空いた隙間を、するりと通り抜けるそれが冷めて快い。蚊遣り豚が吐き出す煙は、冷風によってどこかへと浚われて、消えていく。

「でかい月だ」

 暗闇に紛れ、庭木の風に揺すりあいさざめく木の葉が、たなびく月光に照らされてきらめいていた。彼の瞳にはそれが頭上の幻想のように映り、心を安らげる響きとなって耳に届く。照らされる葉のちらつきは、深海で反射する魚のうろこのようだ。そのさらに奥、群青の空高い夏の夜にも月は眩しく、ただそこに在った。宵闇に儚げなきらめきを添えてくれている。

 その月から伸びる光の筋は、しだいに修司の足元にまで差し込んできては、片膝立てて柱に寄りかかっている彼を通り越して廊下を照らす。それもいずれは臥所の畳にまで侵蝕しようとするのだろう。十六夜の月だった。

 余韻に浸っている内に、ふと眠気が襲ってくる……。

 胸のうちに、耳に馴染んだあの子の声が沸き上がる。


 ――シュウちゃん。どうして帰ってきたんですか。


 奥底から沸いてきた。そしてまた、うまく答えることができないでいる。

 その問いに引きずられるようにして、ひとつの虚像が修司の意識の内に芽生えはじめた。

 そして、またあの夢を見る。

『ねぇ、修司……』

 先ほどとはまったく違う女の声。

 虚像の暗闇に佇む自分の背後から、声とともに生ぬるい光が射しかかった。呼びかける声に振り返ると、そこには「彼女」がいて、気がつけば自分は、彼女と一緒に田圃道を歩いている……。


 そこで、目が覚めた。

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