方城七伝 ねずみ姫 002

「なあ、ひめちゃん、そっちの荷物持ってきてくんねえか」

「はーい、ていうか妃ちゃんって呼ばないでください、もう。どこに置けばいいですか?」

「裏の倉庫に、ありがとよ」

「いえいえ」

「お姉ちゃん、ポチがご飯欲しがってる」

「ああ、それなら一緒にもらいにいこっか」

「うん!」

「貰いに行ったら、うちに来てね? 昨日の授業の続きするからね」

「えぇ、やだよ」

「め、ですよ。君はあの家の長男なんだから、しっかりとお勉強しなきゃいいお兄ちゃんになれないよ? それに、お隣の子来てくれないと寂しがるよ?」

「ほんとに?! って、だから何だって言うんだよ」

「照れちゃって、お姉ちゃんには何でもお見通しなんだから」

「はーい、わかったよ」


むかーし、むかし。あるところに、それはそれは美しい少女がいました。嘘偽りない笑顔を町のみんなに見せ、ある時は商店街のお手伝いを、ある時は野良犬のお世話を、またある時はお勉強を町の子供たちに教えたりした、純粋で優しい少女でした。両親も誇りに思う、優良で優等生なのでした。


彼女の家は、貧乏でした。お父さんは都会に出稼ぎに出ていましたが、それでも収入は少なく、彼女の働きは「お金を稼ぐため」という側面もあったようです。


しかし、そんなことを気にしている人間はこの街にはおらず、口をそろえて「あの子は天使みたいな子だ」というのです。本人はそのことを「そんなことないんですけどね」と謙遜するのですが。


そんなある日のことです。その日もまた青空が広がり、彼女を呼ぶ声が響き、その声に対応する女の子が町中を駆け回る、平凡な一日になるはずでした。


「……どちらさまですか?」


早朝。扉を何度もたたく音で目を覚ました彼女のお母さんは、寝ぼけ眼のまま、玄関へと赴き扉を開けました。すると、そこには気の弱そうな青年が立っていました。


「……ええと、中央の方から派遣されてきました。大賀おおがと言います。この家は財部妃花たからべ ひめか様のお住まいで間違いないでしょうか?」

「妃花は、確かに私の娘ですが」

「……なら、よかったです。ちょうどお母さまにもお話があるので。今よろしいですか?」

「え、ええ。今起こしてきますね」

「すみません」

「いえいえ」


お母さんに起こされた少女——もとい妃花さんは、急いで準備をして、その会談に足を踏み入れました。


「で、お話とは?」


お母さんが切り出します。


「ええと、中央では、今才能のある人を養成するための施設を作ろうとしています。将来の国の幹部候補です。そして、それに彼女が選ばれまして、こうして出迎えに来たということです」

「……幹部候補?」

「ええ。学力や体力はもちろんのこと、様々な能力に長けた人間をお呼びしています」

「そうなんですね」

「もし幹部候補生となった暁には、毎月の生活費をこちらで負担させていただきます」

「……それって、つまりお父さんは出稼ぎに行かなくてもいいってことですか?」

「ええ。こちらで、好きなように生活していただければと思います」

「すごいよ、妃花!」

「で、でも私なんか? 何がきっかけなんですか?」


彼女にあった才能は、傷一つつかないその体でした。正確に言えば、傷がついたその瞬間に回復するという体でした。本人は——というか、町の人も気づいてはいませんでした。切り傷が早く治るとか、食あたりにあったことがないとか、それくらいで、彼女自身死にかけたエピソードを持っていませんので、知る余地もなかったのです。


「……そんな体だったんですね、私」

「私は下っ端なのでどういう採用になるかはわかりませんが、当面はVIPや国王の警備にあたることになるかと思います」

「……どうする? 妃花」


彼女は悩みます。確かに、お金が入り就職できることはいいことです。ただ、この街を離れるのは少し嫌……というか、寂しいのでしょう。


そこで彼女はこう提案します。


「お父さんと、話してもいいですか?」

「ええ構いませんけど……。どれくらいかかりますか?」

「明日帰ってくるので、明後日報告するという形でいいですか?」

「わかりました、ならそういうことで」


翌日のことです。


前日の晴れ空とは打って変わって、この日は今にも降り出しそうな曇り空でした。


「……ふぅ、ただいま」

「おかえり、お父さん」

「おお、妃花直々にお出迎えか。いやあ、ありがとうありがとう」

「あ、あのね、お父さん」

「ん? どうした? いやあ、お父さん疲れちゃったから先にお風呂入りたいんだけど」

「……わかった」


そう言うと、お父さんは自分の部屋に戻りました。決して屈強ではないお父さんですが、衣服の下にはがっちりした筋肉があります。それを彼女は知りません。


そして、彼のその腹筋には、大きな傷があったのです。


「……間に合わなかったのかなぁ」


ひとり呟いたのち、彼は着替えを持ってお風呂へと向かいます。

浴槽につかり、彼は考えます。

娘の決意に満ちた表情、そしてその瞳を思い返し、ため息をつきます。


「あの子も、ついに呼ばれたか」


彼は出稼ぎ先で妃花さんに伝えられた話を聞いていました。


『なんか、中央が有能な若者を探してるらしいぞ』

『へぇ』

『もしかしたら、お前の自慢の娘も呼ばれるんじゃないのか?』

『いやいや、そんなわけないじゃないですか』

『とか言って。成績優秀なんだろ?』

『平凡ですよぉ。父親補正が入ってるだけで』

『それに、体も強い』


「……そうですね」


父親は、唯一彼女と血のつながりがある人間です。

妃花さんがまだ物心のつかない頃、お父さんはいつものように出稼ぎに出ていました。いつものように、そんな風に思っていました。


何も起こらない幸せが待っているはずだと、うきうきしながら帰ってきたお父さんが見た光景は、惨憺たる地獄でした。


『……ただいまぁ、帰ってきたぞぉ……あれ?』


居間へと扉を開けて入ると、そこには首を180度回転させられた妃花さんと、四肢をもがれた奥さんがいました。


『……はぁああああ? な、ななななな、なに、これ? なんだ、なんだよ、これ』


そのまま彼は失神しました。

気づけば、彼は病院のベッドで寝ていました。


『夢か……?』


夢であれば、どれほどよかったのでしょうか。


『あ、あの……』


声が聞こえて、その方角を向くとそこには奥さんの妹さんがいました。


『ええと、妹さん、ですよね。国王の警備をしている』

『その……』

『すみません。倒れちゃったみたいで。怖い夢でも見ちゃって』

『夢では、ないのです』

『……え?』

『……わ、私の姉は、亡くなりました』

『……うそでしょ?』

『で、でも一つ』

『……』

『妃花ちゃん、なんですけど』


妹さんは一呼吸おいて、それから話します。


『首だけでなく、体中の至るところを回転させられていましたが、今も生きております』

『……は?』

『それに、現在傷一つございません』

『……傷一つ?』

確かめるべくお父さんは、ベッドから跳ね起きて娘の眠るところへ駆け出します。

『……本当だ、確かに』

『これは、誰にも知られてはいけないことのように感じます。そこで、一つ提案があるのですが』

『……何でしょうか』

『私に、預からせてもらえないでしょうか』

『……』

『犯人は捕まりました。きっと無罪が下されるような人間です。どういうことか、わかりますよね?』

『精神異常者って、ことですよね』

殺し方からして、そうとしかありえません。

『一生病院の中でしょうけれど、彼女がこのような人間である以上、どこに情報が洩れて、命を狙われるかわかりません』

『確かに、そうですよね……』

『なので、ここは私に任せてもらっていいですか?』

『少し、考えさせてください』


そして、その数日後。

妹さんはお父さんの家に住むようになりました。


こうして、妃花さんが大人になるまでお父さんとお母さんとしてお世話することになったのです。


「……中央に任せるんだったら、いいかな」


風呂から上がって、居間へ向かうとそこにはお母さんと妃花さんが座っていました。


「私、中央に行きたい」

「……やっぱりな。なあ、お母さんはどう思う?」

「一人で行かせるのは不安だけど、中央なら任せてもいいかなとは思う」

「……それなら、僕は構わないよ。僕も定期的に行くしね」

「ほんと!?」

「ああ、頑張って来いよ」

「うん!」


こうして、彼女は中央という都会へと足を踏み入れたのでした。

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