お題箱の何かしら
鉈音
生着替えマジックショー
お題:「美少女マジシャンが観客の期待を嘲笑う生着替えマジックを披露する話」
そこは地下深く、誰も知らない根の国の劇場。
誰も知らないので客も入らず、そもそも演者すらおらず、さながら寂れた大伽藍。
それがいったい、どんな経緯でこのようなことになっているのか、少なくともあなたは知らない。
あなたは劇場の観客席に、大勢の人々と一緒に座っている。観客らが漏らす小さな囁き声が重なって、少し騒がしいほどのどよめきとなって、あなたを落ち着かない気持ちにさせる。
こんなところまで、あなたは何を目当てに来たのか考える──そう、美少女マジシャンだ。美少女マジシャンを目にするために、あなたはここまで来た。
(本当に?)
違和感が思考に割り込んできたが、あなたは劇場の変化に気づき、そちらに注意を奪われる。
差し渡し何十メートルあろうか、大きなステージの上に、小さく二つ、スポットライトがパッと差した。
強い光があなたの目を眩ませる。思わず閉じた目をゆっくり開くと、ステージには二人の少女が立っている。
「さあ──前代未聞の生着替えマジックショー、開幕です!」
真っ白なドレスを着た少女が──司会だろうか──マイクを手に叫ぶ。
「生着替えマジックって何?」
と聞き返すのはもう一人の少女、燕尾服を着た、おそらくマジシャンだろう。マジシャン本人が演目を知らないとは如何なることか、あるいはそうした趣向なのか。
「あー……早着替えとか、そういう感じのマジックじゃないでしょうか?」
司会の少女も主旨をあまり把握していないらしく、しどろもどろになりながら答える。
「なるほどね」
マジシャンの少女は首を捻りながら、一応頷いてみせるが、いまひとつ理解していないことは明らかだった。
「まあ、やるだけやってみましょうか」
マジシャンの少女はゆっくりと腕を上げ──すると突然、観客らの前に薄手のカーテンが現れる。と同時に、スポットライトがひとつ消え、司会の少女が舞台袖に入っていくのがあなたには見えた。ここからはマジシャンが主役、というわけだ。
奇術と言うよりもいっそ妖術の類としか思えない現象に、会場がどよめく。少女は、
「種も仕掛けもないわ」
と観客席に向けて笑ってみせる。
「それと、リハーサルも必要ないのよ。全部アドリブだもの……私も何が起こるのか、実はわからないのよね。あははっ」
前代未聞でしょ? と彼女はウィンクした。
そして少女はカーテンに隠れる──彼女のシルエットが透けて見えて、あなたは唾を飲む──燕尾服のボタンを外すような動きをしたかと思うと、衣擦れの音とともに、彼女のボディラインが露わになる。
もちろん観客席は興奮に包まれ、あなたも少なからず期待して、彼女の身体のより細やかなディティールがわずかでも透けて見えはしないかと、じっと目を凝らしている。
「どう? こんな感じ?」
カーテンの脇から顔を覗かせた彼女は、そんな観客席の様子を見てにやにやと笑っていた。ちらりと見えた肩は素肌の色をしていて、それが一層、観ている者を興奮の渦に巻き込んでいく。
「あははっ! 期待しちゃった?」
と笑う様子は紛れもなく魔性だが、魅力的に思うよりもまず、苛立ちのようなうずきを下腹部に感じる。
少女は再びカーテンの後ろに引っ込むと、
「じゃあ、今から出ていくから……よく見ててね?」
あなたはぎょっとする。それは流石にまずいのではないか。この劇場がどのような規則を定めているのかはわからないが……法に触れかねない。だが、ここは根の国。もしかすると何も問題はないのかもしれない。
(根の国?)
違和感を覚えたとき、少女の弾けるような声が劇場に響き、あなたの意識はまたも、ステージの上に引き戻される。
「じゃーん!」
カーテンが開くと、そこあったのは滑らかな肢体を晒す少女の姿……ではなかった。先ほどまでのシルエットは間違いなく、一糸纏わぬ姿だったはずだが……
「どう? 似合ってるかしら?」
少女はその場でくるりと回り、真っ赤なワンピースを見せびらかす。ともすれば下品なほど光沢のある生地で、体にぴったりと張り付くような作りだが、何よりひどく裾が短い。100%の肌色が拝めなかったことで落胆していた観客も、ほとんど剥き出しの太腿には沸き上がった。
「それじゃあ、最後のマジックを見せるわね……もう時間もないみたいだし?」
短いスカートに見え隠れする小ぶりな尻は、裸よりむしろ刺激が強く、少女の幼げな容貌と相まって、背徳的な雰囲気を増した。
あなたは腹の底から、煮えるような熱が上ってくるのを感じた。
そして、その高まりが背筋を駆け上がり、首筋に達する直前に、異様な感覚に襲われる。
視界が塞がっていることにふと気づき、まぶたを押し上げる。
ひどく眩しい。瞳孔が開いているのか……まぶたを閉じ、落ち着くのを待つ。心臓の鼓動が本来の歩調を取り戻したところで、もう一度目を開けた。
記憶が混濁しているが、自分の部屋だった。分厚いカーテンまで閉め切っていて、薄暗い。
テーブルの上には乾燥したキノコが散らばっている。
「分量を間違えたか……」
私とあなたの区別さえつかなくなるとは、ずいぶんと悪酔いしたらしい。
しかし、今思い返しても艶かしい、不気味な現実味を伴う幻だった。これまでに体験したことのないトリップだった。
幻覚剤を多く使ってきたわけではないが、これは違う、と全身の細胞が囁いた。
幻ではなかったとしたら? たとえばこのキノコがただの幻覚剤ではなく、本当に根の国へと精神を誘う呪術的な効能を持っていたら──
「──まだ抜けきっていないのか? 馬鹿馬鹿しい……」
換気をした方がいい。
鈍痛が続く頭を振り、ふらつく足で窓の方へ向かったところで、気がついた。
そういえば、あのマジシャンが使っていたカーテンは、この窓用カーテンだった。
やはりただの幻覚か。記憶の断片をパッチワークした、つまり夢だ。残った薬効が、奇妙な現実感を錯覚させているに過ぎない……
首を振り、カーテンに手をかけた。
厚ぼったい布地が揺れ、少しだけ捲れ上がる。
赤いワンピースの裾が、ちらりと見えた。
お題箱の何かしら 鉈音 @QB_natane
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