美少女が人を殺す短編集

かぎろ

破滅少女

 ぼくはいつもの帰り道とは反対方向へと下校していた。

 足音をできるだけ抑える。自分のランドセルが立てる音にすら神経質になる。

 視線の先には、長い黒髪をして赤いランドセルを背負ったあの子がいる。

 何やら見知らぬ大人の男性に話しかけていた。

 一言、二言かわすと、ふたりして近くの空き地へ向かって歩いていく。

 背の高い草むらの奥へと消えていくのを見て、ぼくは慌てて足を速めた。




     ◇◇◇




 不思議な女子だと思う。


 あの子が笑うところを見たことがない。話すところも、あまり見たことがない。小学校の休み時間、男子も女子も外へ遊びに行く人が多い一方で、あの子だけはたったひとりで本を読んでいる。給食の時間ですら、食べ終わり次第すぐに本を取り出している。文庫本サイズの革のブックカバー。何を読んでいるのかは、訊く勇気もなければ覗く勇気なんてもっとない。

 常に無言の威圧感があった。

 かといって目つきが悪いわけでもなく、表情がこわばっているということもないのだけれど、なぜだか近寄りがたかった。何かを諦めきったような、死体のような瞳が原因だろうか。何を言われても最低限の言葉しか返さない、周囲への興味のなさが理由かもしれない。

 あの子はきっと威圧しているつもりはないのだろう。

 けれど、今この瞬間死んだとしても構わないとでもいうような、そんな危うさがあって、周りの人間は怖くて近づけないのだ。

 そしてぼくもまた、その雰囲気に怖じ気づいているから、あの子と接したことはない。

 いや……あるか。

 たった一度だけあった。

 ぼくが学校の廊下を走っていて、あの子と曲がり角でぶつかりそうになった時、ぼくの謝罪に対してあの子は小さな声で、気をつけて、と言った。

 初めてあの子の声を聞いた瞬間だった。

 静かで儚げで、ほんの少しだけ敵意があって、しかし心底どうでもよさそうなその声は、ぼくにはとても綺麗に聞こえて。

 それだけでも十分だった。


 今日、ぼくはあの子に告白をする。


 昨日の夜にそう決めて、学校に来た。


 こんな気持ちは初めてだった。


 振り向いて、微笑んでほしかった。


 ぼくの好きなあの子は、名前を、夏崎なつざき巫織みおりという。




     ◇◇◇




 混乱していた。

 状況を整理しろ。


 放課後。下校途中。夏崎さんへ告白すると息巻いていたぼくだったが、踏ん切りがつかず、下校する夏崎さんを追いかけていた。そういう状況。なのにどうしてこんなことが。落ち着かないと。夏崎さんと男性が空き地の草むらに入っていって、ぼくも茂みの外から様子を窺ったんだ。血の海。落ち着かないと。男性の首から血が噴き出している。うつ伏せに倒れて呻き声を上げる男性。血が止まらない。真っ赤な血で濡れた草がそよ風になびく。乾燥してひび割れた地面の土には血が赤黒く溜まっていく。そして夏崎さんが立っていた。夏崎さんは向こうを向いていて表情は読み取れない。血のしずくが垂れた。夏崎さんが無造作に握ったナイフから血のしずくが垂れていた。初夏の陽射しを照り返すナイフ。なにが起こっているんだ。

 なにが。

 なにが起こっているんだ。

 夏崎さんが振り返った。

 振り返って、こちらを見て、そして。

 微笑んだ。

 頬を染めて、目を三日月のように細めて、瞳をぬらりと輝かせた、とびきり色っぽい微笑。

 同年代のどんな女子でもできない、いや、しちゃいけないような、妖艶な笑みだった。


 初めて見る、夏崎さんの笑顔だった。


 夏崎さんは人差し指を立てて「しーっ……」と声を出すと、倒れた男性に向き直る。

 びぐん、びぐんと痙攣している。既に死が近いように見える。


「おじさん……」


 夏崎さんのみずみずしい唇が、儚い声を紡ぐ。


「知らない女の子についていったら酷いことされちゃうって……知りませんでしたぁ……?」


 ナイフが振り下ろされた。皮を破る音、肉を貫く音。どっ、どっ、と鈍い音が繰り返されるたびに、男性の体が大きく震え、身をよじる。男性の手が夏崎さんへと伸びる。その手にもナイフが突き刺さり、地面に縫い止められる。悲痛な叫び声は、先に喉を潰されたためか、かすれていて、遠くまでは届かない。


 一時間以上経ったような気もするし、一分にも満たない時間だったような気もする。

 男性が完全に動かなくなると、夏崎さんは、ううんと伸びをした。

 もう一度こちらを向く。

 清々しそうな表情をしていた。

 風で揺れる長い黒髪を押さえながら、白い肌に飛び散った返り血を、舌なめずりで舐めとる。


 それから、こちらへ歩いてくる。

 血塗れのナイフを持ったまま、こちらへゆっくりと近づいてくる。


 夏崎さんがぼくを見ている。


 確かにぼくは夏崎さんに、ぼくのことを見てほしかった。

 ぼくに向かって振り返ってほしかったし、ぼくへ笑顔を向けてほしかった。

 願いは叶った。

 だけど、どうしてこんな形で。


「あのね」


 いつの間にか夏崎さんが至近距離にいて、ぼくの耳元で囁いた。


「あのおじさんで、六人目、なの……」


 それだけ言って、夏崎さんはすました顔でぼくの横をすれ違った。

 シャンプーの香りと、血のにおいがした。


 ぼくはあまりに無知で、夏崎さんのことをこれっぽっちも知らなかったのだと思った。


 これからあの子はどうするつもりなのだろう。

 このまま破滅への道をゆくのだろうか。

 どうしたらあの子は正しい方向へ行けるのだろう。

 正しい方向って、何なんだろう。

 わからないことばかりだったけれど、ひとつだけ確かな感情があった。

 その感情は、揺らぐことはあったけれど、初めて声を聞いた時から続いてきた、甘い想いだった。


 ぼくは夏崎巫織さんのことが、好きなんだ。






 ――『破滅少女』了――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る