葛藤と決壊、お祭り前日。(前編)

(彼女をけがすなど、ありえない。あってはならない――)

 そう、我慢はした。


 何年も、何年も、何年も、自分に言い聞かせつづけた。


 ――身のほどを知れ。

 ――お前ごときが。恥ずかしいとは思わないのか。

 ――情けない。いやらしい野獣め。


 責めて責めて、自分を極限までおとしめて耐えた。


 けれどどんなに押さえつけてもその欲望は膨れるばかりで、十九歳を超えたころ、僕はひとつの作戦をくわだてることになる。


 失敗したら『終わり』だ。

 慎重に、進めなくてはならない。


 僕はこれまでの経験から得た仮説を元に、少しずつ、に向けて動きだした。



✿✿✿✿✿



 僕はもう、二十二になっていた。

 結局大学へは進まず、高校を卒業したら神社の補佐を本格的に務めるようになった。

 元々そこまで要領の悪いほうではないけれど、心から余裕を持ってこなせるようになるまで時間はかからなかった……といえば、それは嘘になる。でも表向きは初日から、ミスなく笑顔で乗りきった。


 花姫様といられさえすれば、僕はなんだってがんばれるんだ。


✿✿✿✿✿


 五月もなかば。

 新緑の若葉が、朱に染まる鳥居をより映えさせる季節になった。


 明日は八代神社やつしろじんじゃでお祭りがある。

 僕が屋台のひととの打ち合わせや祈祷きとうの準備を終え、台所へ顔を出すと、花姫様は上機嫌に夕食の仕上げをしていた。

「♪~」

「わ、すごく豪勢だねえ」

 僕がすきな(ことになっている)魚介や筑前煮、はまぐりのお吸いもの……既に食卓へほとんど並びきった状態だった。しれっと真の大好物であるローストビーフが紛れこんでいることについては、申しわけないけれど触れないでいさせてもらおう……。

「くふふ、今日はどのお店でも、とっても『お得』にお買い物できたのじゃ! 祭事前さいじまえは『八代ふぃーばー』で『八代・みらくる・かきいれどき』じゃな!」

「なにそのパワーワード……」

 花姫様、本当に『お得』が絡むとテンション上がるなぁ……家計も大事にできて、理想のお嫁さんすぎる。

「特に魚屋のおじちゃんはすっごくての! “今日は投げキッスしてくれたら、特別にタダにしてあげるよ!”じゃって! 相変わらず面白いおじちゃんじゃな、がんばってちゅって飛ばしてきたぞ!」

「多分それお祭り関係ないよ今度求められたらキック飛ばしてあげていいんじゃないかな呪詛じゅそでもいいね★」

「目が……目がなんだか怖いぞ司!?」

 あのおじさん……要注意だな。

 脳内のブラックリストにしっかり叩きこんでいると、花姫様があうあう、と困りきった様子で(動きがかわいすぎる)、慌てて一升瓶を取りだした。僕のすきなお酒の銘柄だ。

「これも買ってきたのじゃ! むかの?」

「んー、今日はやめとく。祭事のとき、残ったら困るし」

「真面目じゃのう、司は……」

「まあ、八代の当主ですから」

 母さんは夫婦揃って今現在、父さんの母親(僕にとっては祖母)のお世話へ行っている。

 元々山登りがだいすきなアクティブ派だったのだけれど、うっかり転んで足を骨折してしまったらしい。

 まあ本人はけろっとしているものの(『当日から病室で、ダンベル片手に紅茶をたしなんでいたら看護師さんに怒られちゃったクッスン~』という、あまりにやんちゃなメールが僕宛てに届いた)、やっぱりすぐには動けないので、全快するまで母さんたちはしばらく滞在するそう。


(――お祖母ばあちゃんには、悪いけど)


 母さんはこれがきっかけで、正式に当主の座を僕へ譲ったし、そして母さんと父さんを同時にこの家から離せたのは、正直チャンスだった。


 実は、お酒を断ったのはもうひとつの理由がある。


 長年綿密に組んできた計略を、まさに今日、決行しようと思っていたからだ。

 ただでさえぎりぎりの理性を、アルコールなんかで乱されたらたまらない。



 もうすぐだ。もうすぐで、貴女を。


「司?」

「ふふ、上手うまくゆくといいな……」

「? 上手くゆくじゃろ? 司なら絶対!」

「そうだね、僕だもんね」

 お祭りのことだと勘違いしているらしい花姫様がかわいすぎて、思わずぺろりと舌なめずりした。

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