第二十二話『きっと、あなたを殺してみせる』(後編・その4)
──数日後。
小汚い病院。
いや、そこが正しく『病院』と呼べる施設なのかどうかは疑わしい。
整形、堕胎、部分的な性転換、銃創の緊急治療、タトゥー消し、タトゥー入れ、シャブ抜き、違法入手の臓器移植、何でもありの施設だった。
混雑するほどでもなく、ほどほどにベッドは埋まっている。口を開かなければ日本人と見分けのつかないアジア人だけでなく、見るからに外国人も多い。待合室を眺めているだけでも、ここがどこの国なのかわからなくなる程だ。
医療施設と思えないほどのホコリまみれの天井で、プロペラがゆっくり回っていた。
悪趣味なポロシャツをきた、小太りで
包帯を巻いた手で、たどたとしく受付の台帳に『木村』と書き込み、何人かが押し込められている部屋の奥、窓際に進み、そこで包帯ぐるぐるの少女の前に立った。
幾つかの組織が睨みをきかせているから、少女一人でもそう心配は無いらしい。
この病室には、他には枯れた老人しかいない。
「なぁ……もう退院出来るらしいぞ。良かったな」
「……うん」
少女は、うつろな目のままでいた。
「なぁ……」
「……うん」
反応はいつもかわらない。
魂ごと抜け落ちたようにも見える。
この世の者ではないようにも見える。
意識はハッキリしている。
一時は生死の境をさまよったとはいえ、脳に傷害や、極度なストレスを受けたわけではないと医師は診断した。もっとも、ヤブなのでその医師の話をハゲの男は丸っきり信用してるわけでもないが。
「記憶喪失てのは、アリャ……嘘だろ?」
「……」
無言のままで、いつものように少女は首すら動かさない。
「スミって名前も、偽名だな。ホントの名前、オッチャンに教えてくれないかナ?」
スミは黙ったままだ。
「なんか、な。いいたくない事があるならそれも良いしな。こっちもいえない事多いしな。テッポーの傷とかねじ伏せといたしな、この病院ならポリも聞きに来ねェよ」
「……うん」
「アンタ、どこの子なんだ? 色々探したし聞いたけど、ホント最初わかんなくてな。嬢ちゃんぐらいの子の捜索願いも出てないんだわな」
おとなしく、口数も少ない。育ちの良い子なのは口調でわかる。そんな子が何日も姿を消して、どこからの届けも無いままなわけはないだろう。服はやや使い古した感はあったが洗濯もしてあるし、髪も伸ばしっぱなしのボサボサだが清潔感はある。さすがに日本の現代社会では身寄りの無い浮浪児の存在もあり得ないだろう。
木村にはもう、わかっている。ただ、それを少女の口から聞きたかった。
「家族、いないもの。出るわけない」
「あぁ……そりゃ気の毒になァ。すまん」
「うぅん。いいの」
ふっと、少女は冷笑のようなため息を吐く。
「哀しくはない。仕方ない。死んで当然のような両親だった」
「……そうか」
「……そんな親のせいで、子供も殺されたの」
「……そうか」
ハゲの男の表情は沈んでいる。
「きょうだい仲が良いわけでもなかった。血だって繋がってないし。でも……あの子が殺されたのは、やっぱり『仕方ない』のかしら……」
「いや、そんな事ぁ……無いと思うな、ウン……」
「ペスも?」
「ペス?」
「私の友達」
また、少女はぼーっと、遠い目で窓の外を眺める。
スミも、木村の言葉は少しだけ気になった。
「最初わかんなくてな――」彼は既に、自分のことを幾つかは知っているのではないか。
それにこの厚遇――もしかして、最初から何か知った上で?
……いや、それは無い。
殺し屋と共にいた事が知れれば、自分はとうに生きてはいない。
それに、カノウに殺された家族は、木村と同じ側についていたのかもしれないけれど、マスコミ発表では家族は皆殺しになっている筈だ。行方不明の子供がいると発表されていたとしても、殺し屋と一緒にいた少女が『それ』だとは、即座に結びつけないだろう。
なら――?
表情を特に変えることもなく、感情も見せず、スミはざっと思索する。
そして、その横顔をじっと眺める木村。
ここに至るまで少女のたどって来た道のりが、並大抵のものではない事は、木村にだってわかる。
それ故、木村なりに、持てる力で色々と少女の事を探った。
「ゴメン、俺もな、少しだけ調べたんだ」
「調べた?」
「まあ、俺にそんな才能ないけどな、まあ、あるんだ、世の中」
木村はごそごそと紙片を取り出す。
「探偵にカネ払ってな。けっこう良い仕事してくれたわ。……確か、黒峯興産ってトコだったかな。K会系の組と繋がりある、手広く密輸とかやってて……いや、子供の嬢ちゃんにゃソレ関係ねーか」
「探偵……」
「……あ、でもホラ、施設とかそんなのから捜索願い出さないかな? フツーはさ」
「そんな所入ってないもの。入る前に逃げてきた。知らない親戚の家なのか施設なのか、そんなの決まる前に」
「そっかー。むー」
「……あの日も、私は家族から逃げ出していた。見知らぬどこかを歩いてた。だから……生き延びた」
あの日、とはいつだろうか? あの山中で殺し屋に銃撃された日の事とは思えなかった。
きっと、それは彼女が家族を失った日に違いない事は木村にももうわかっていた。
わかっていたが、しかし、詮索しても仕方ない事だ。
ある種の人間には、過去を問わない事は重要だ。
「なぁ、おっちゃんトコ来る気ないか?」
「お気持ちは嬉しいわ。でも、ノーセンキュ」
即答。
「そっかー。まー、なー。オッチャンやくざだしなァ。ハゲだし怖いもんなぁ。しょうがねぇな、ウン」
それでも、木村ははにかむような笑いを向け、テレ臭そうに口ヒゲをかいた。
「じゃ、おっちゃんどこか世話してあげるっつっても、やっぱイヤか?」
「……いずれはどこかに行かなきゃいけないでしょうね。木村さんにお世話になりっぱなしなのもイヤだわ。入院費はいつか必ずどうにかするわ」
「いや、いいってホント。まぁ、その気になったらホラ、相談にな、乗るから。電話番号、渡しとくわホラ」
名刺大の紙を、少女にそっと差し出す。木村の手には包帯が巻かれていた。
「あー。コレ、気にしないでな、ハッハ。おっちゃんもう、ヤクザ辞めたんでな」
「指?」
「そ。指。ま、カタギ者にゃ見えねぇわな、ヘッヘ……」
「……」
「……あ、キミ関係ないから、ホント。大丈夫」
何も訊かれていないうちから慌てて否定して、帽子を手に、座っていた椅子から木村は立ち上がる。
「まぁ何かね、話したくなったらオッチャンとこにね」
「うん、ありがとう。でも……」
「ん?」
「……なんでもない。うん、大丈夫」
「そかー。ウン、じゃ、オッチャン行くから。またあとでな」
ペタペタとスリッパを鳴らしながら、木村は去って行く。
スミは、独り、伏目がちな視線でボーっとしていた。
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