第二十二話『きっと、あなたを殺してみせる』(前編・その3)
──話は、十二時間ほど前に遡る。
藪の中。
暗視スコープの双眼鏡で、趣味の悪い天守閣つきの豪邸を、山の中腹からカノウは覗いていた。
「まずいな」
「マズいっすね」
金髪に、安物のスーツを着た若者が、隣で相づちを打つ。
「さっき車で来た四人、あのまま居座ってるみたいッスね」
「かといって、今移動されても困るな。お前の仕掛けがパァになっちまうぞ。中々勘の良い連中だ。……いや、勘……かな?」
「ちょっと待って下さいよ……あ、今連絡取れましたが……あー」
「何だ? ヤマサキ」
光が洩れないよう張ったカモフラ済みのミニテントの中で、輝度を落とした小型液晶パネルを眺めながら、『ヤマサキ』と呼ばれた男は妙な声をあげる。
「移動するようなら、アチラさんで用意した鉄砲玉に出迎えがてら殺らせるみたいッスね。どうしますか?」
「鉄砲玉? そりゃ、確実性薄いな」
「薄いっつうか、無理でしょね。あいつらヤー公の世界にゃ
「あっちのヘマで俺らまで手繰られたら厄介だな。こっちで始末つけるしか無ェって事か」
焦っている様子はカノウの表情からは見えない。
そもそも、彼は常に無表情だ。
「しかし……どうします? 四人…予定外だなァ。なんか、揃いも揃って武闘派ってツラでしたよ?」
奇襲で仕掛ける分には大した人数でもない。しかし、やる気まんまん、迎え撃つ気まんまんでデカいチャカでも忍ばせている相手だとさすがに分が悪い。
「ん……まぁ、確かに素人でも油断は出来ねぇな」
「……ま、『素人』スわね。えぇ…」
ヤマサキは苦笑する。
彼の知る中で、『プロ』はカノウしか知らない。その仕事を職業にするには、あまりにリスクが大き過ぎるからだ。
何を機にカノウがそんな『仕事』をするようになったかをヤマサキは知らない。ある組事務所からの命令で、とある仕事を契機に、ヤマサキは彼の手伝いとしてつく事になった。
「しょうがねぇ……征くか。頼む」
「時限式じゃないから、切るのはいつでもOKすよ」
二人のやり取りをじっと見ていたスミが、テントからヒョコっと顔を出した。
「ねぇ……カノウさん」
「ん?」
「ついてっちゃダメ?」
「駄目だね。お前じゃ死ぬ」
「そうね。わかった」
「嬢ちゃん、そんなに人の死ぬトコ観たいのか?」
からかうような口調でヤマサキは囃す。
「観たくは無いわ。イヤだもん。だから、慣れたいの」
「……おっかねェなァ。ま、やる事ァある。手伝ってくれよな」
「見習いだからね。わかってる」
「ハハ。早くカノウさん殺せると良いな」
「ウン」
ヤマサキとスミの横で、腕時計を睨んでいたカノウが立ち上がる。
「じゃヤマサキ、頼む。コールが無いならきっかり10分後な。行くわ」
「いってらっしゃい」
「御無事で」
10分。この『A Night in Tunisia(チェニジアの夜)』を丁度聴き終える頃ね、とスミはポータブル・プレイヤーのボタンを押す。カノウの私物で、さすがに仕事の最中に聴きはしないから置いていった物だ。
カノウの趣味なんて、武器の手入れとジャズくらいしかない。「らしい」といえば「らしい」趣味だなと思い、普段ならちんぷんかんぷんな英語の流れるイヤホンをスミは耳にはめる。この曲には後付けで歌のあるバージョンも幾つかあるものの、今流れているのは原型に近い、歌詞のないスモール・グループのジャム・セッション版。
ヤマサキは、神妙な顔で液晶を睨み、細かく何かを調整している。
アドリブも多い軽快なベースのイントロにあわせて、スミもつい指をくるくる回す。
カノウの姿はとうに見えない。もともと闇の中、黒ずくめの男はテントを出た瞬間に闇に溶けていた。
10分、長いようで短い時間。カノウの足なら、この山中の獣道を足音も立てないまま1キロは進めるだろう。
イヤフォンから流れる音楽は、トランペットとサックスと絡み合い、少しづつテンションをあげて行く。
――よし、とヤマサキは小さくつぶやく。
暫くの沈黙の後、天守閣の照明が消える。
銃声の連続音。
遠くかすかに、誰かの悲鳴。
「さて、と……ココ片しといてな。暗いけど、場所わかるな?」
「バッチリ。いってらっしゃい」
ちょうど10分。ピアノソロ、静かに消え入るベースが〆る。
森の彼方、遠く響くは、唸りをあげるマシンガンの音。
絶叫と悲鳴。
怒声。
そんな騒音とは関係なく、独りスミの周囲は森の闇の静寂だけがあった。
少女はテキパキとテントを畳む。
銃声は続く。
大きな荷物のカタマリにまとめ、台車に積んで押しながら、少女は夜道を進む。
排莢、床に響く金属音、打撃音、倒れる音。
ころころと台車を転がすと、見上げる頭上の木々の枝が、瑠璃色の天穹を背後に、真っ黒な影になって頭を撫でて行く。
曇天のせいか、星は見えない。
それでも薄い雲ごしに星々は、月は、夜空をぼぅっと淡く照らす。
怖くはない。ただ、この夜の闇の中にいると、鼻歌の一つでも歌いたい気分。
さすがに、ここでは無理だけど。幾ら聞かれる心配が無くたって、音はたてるべきではない。
自分もまた、殺し屋の一人なのだから。
屋敷前には黒塗りのベンツが何台か止まっていた。
そのうちの一台のヘッドライトが突如
大きな木で出来た門から飛び出す、幾つかの人影、懐中電灯、怒鳴り声、銃撃。
天守閣に灯りが灯る。
スターターの始動音、カラぶかしの音、他の車は動かない。
「畜生っ、中の車出せ! 追え! 逃がすな!」
誰かの叫び声。
発砲、絶叫、再びエンジン音。
その音は、スミのいる場所までは届かない。
草でカモフラージュした車のトランクをあけ、少女は「よいしょっと」と荷物を押し込む。
パキリと草木を踏む音が背後からした。
ちょっとヘンだな、という表情をしながら少女は振り向く。
「おかえりなさい。どうだった?」
カノウがそこに立っていた。普段なら、足音すらたてない筈だ。
「あぁ、問題無い。残念だったな」
「うん、ざんねん」
「一人、手強いのがいた。プロじゃねぇが、場慣れしたヤツだった。ナメちゃいなかったが、相手も必死だしな。腕をちょっとやられた。久々だな」
暗がりの中なので顔色はわからない。表情は、どちらにせよポーカーフェイスだろう。
計画の詳細を聞いてなくても、スミにもわかる。
実力行使はカノウ、それ以外はヤマサキの仕事。
リモコンで電源を予備ごと切り、カノウが『仕事』をこなす。この仕掛けだけでも数日がかりだった。
その間、ヤマサキは現場のかく乱、そしてカノウの逃走経路を確保する。
ここにこうしてカノウが居るという事は、その仕事は上手くいったようだ。今頃ヤマサキはどこかに、さっき急発進した車を乗り捨てに向かっているだろう。
「大丈夫? ……なわけないよね。撃たれてるんだし」
かすかに血の匂いもする。
「心配してくれるんだな。ま、カスリ傷だ。撃たれたってほどじゃねェ、
「じゃ、それ私がやる。平気、覚えたもん」
「……待て。無理だろ」
「足ならホラ、ティッシュの箱で」
少女は空き箱を下駄のように履いて、アクセルとブレーキに足が届くことをアピールした。
「いや無理だろそれ。第一、子供が運転して良いワケないだろ」
「まぁ法律違反ね。でも、あなたほどひどい法律違反じゃないし」
「……まぁ、説教いえた義理は無ェな、俺じゃあな」
ふと、何かを思い出したようにカノウはポケットに手を入れた。
「……そうだ、これ。オミヤゲだ」
ビニール袋を取り出す。
「ナニソレ?」
「やつら、中で酒宴やっててな。ポテトチップスとレーズンバターとアーモンドチーズ」
「……いらない」
カノウなりに、子供が喜びそうな物を考えたらしい。
スミはスミで、『車を動かす』事にもう夢中だった。
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