第二十二話『きっと、あなたを殺してみせる』(前編・その1)

 ゆるやかなメロディに包まれた中、男と少女がそこにいた。

 真四角に切り取られたような空間。

 うず高く積まれた幾多のダンボール、その隙間。

 窓から射す日光に照らされ、キラキラと舞い散る埃が輝く。


「どう……すれば、いいの?」


 震えた声で少女が訊く。

 絶えだえな息をしぼりながら、ゆっくり、男は説明する。


「弾、はっ、入っ……てる、よな?」

「うん」

「引き金ひきゃ、弾ァ出るンだ。あと、は……こう、角度を。上の方、確実……に……わかるな?」

「うん」


 少女は、両手に握った銃を男の口にグイッと突っ込む。

 絨毯はすでに、男の血の色に染まっていた。


 少女の非力な手でもどうにかなるよう、ブーツに差していたレプリカ物のデリンジャーを男は手渡した。咄嗟とっさの即射ができるよう、トリガは十分軽くしてある。

 片手にすっぽり収まるほどのサイズに、二発の銃弾が装填できる。型やメーカーは違えど、小型銃デリンジャーはリンカーンの暗殺にだって使われた。こんなちっぽけな物でも、44マグナム弾。人を殺すには十分な性能がある。

 それでもこの小型銃すら、少女のちいさな手には余っていた。


 部屋には、昼前の刺すような光が斜めに射し込んでいる。


 床に仰向けで倒れたままの男は、サングラス越しに黒服の少女をじっと見つめていた。

 男の外観は、大柄のがっちりした体に、サングラスにヒゲにコート。みるからにアウトローだった。

 それと対峙する、どう見ても小学生のちいさな子供は、丸い瞳に人形のような顔立ちと細い肢体、黒いタイツの上のミニスカートで、髪は短かくても女の子だとわかる。指先はたどたどしく、小刻みに震える。


「カノウさん、本当にこんな銃で大丈夫なの?」

「んぁ、ンふぁムぬぬム」

「何いってるのかわかんない」


 大丈夫。──男は、そう判断している。

 口に突っ込んで引き金を引く。

 銃なんて握らせたこともない子供であれ、これならば経験や修練も要らない。

 よっぽどの事がない限り、それだけで簡単に死ねる。普通なら。

 ただ、銃も所詮は機械、その「よっぽどの事」も考えられなくはない。シンプルな構造ゆえにデリンジャーで故障はまずないが、銃弾の不良だってなくもない。撃ったら撃ったで、単純に鉛玉が喉を突き抜けて大怪我だけで済む事も、稀にある。

 意外と人はそれだけで簡単には死ねないものだ。まあ、どちらにせよ大差ない、もうじき死ぬのだから、早く死ねるか遅く死ねるかだけの問題だ。


 口径の小さい銃だけに角度は重要だ。

 脳を確実に吹き飛ばせるよう、仰角を上向きに。

 そうすれば、空砲でも死ねる。


 面倒臭い上に今は一刻一秒を争う。

 男は片手でOKサインだけ作った。


 少女は引き金に指を置く。

 呼吸を整える。

 両手のひじをまっすぐ伸ばす。

 射撃の衝撃は、少女の指骨を捻挫させるぐらいの物であろう事も承知しているし、双方覚悟もできている。

 発射の瞬間さえ安定できればいい。

 ゼロレンジで、口にくわえた男との協力でそれは確実にイケるはずだ。

 物理的には不可能ではない。

 心理的には不可能かどうか。

 この少女にそれができるかどうか。


 できるだろう。


 男──カノウは、既にそう考えていた。


 何故なら、この子は

そばにいたのだから、と。


 口に銃をねじ込んだまま、少女は撃鉄をカチャリと引く。


 指が震えている。


 鼓動が早くなる。


 呼吸音。だんだん強く。荒く。それが少女自身にもわかる。


 指一つ、それだけで殺せるのに。


 指を軽く引く──それだけで、この男の人生は終わる。生命は消える。それが何を意味するかを少女は知っている。


 鼓動と、場違いなメロディだけがそこに響いていた。

 Hoagy Carmichaelの作曲した、スタンダード・ジャズナンバー。


『Stardust(星屑)』









 ──聖学少女探偵舎 第二十二話

         (番外編)──


『きっと、あなたを

殺してみせる』


        初稿:2005.08.18









「……むり」


 あっさり、少女はそうつぶやいた。


「ンぁヒ(何)?」

「できない」


 かぽっと銃口をひっこぬく。ヨダレと血が糸をひいた。


 ついでに数ccほど男は吐血する。


「俺ァ……もう、もたねェぞ」

「うん」

「どっちにしろ……死ぬ。お前、俺を、殺っ、したかった、ンだろ?」

「うん」


 意志の強そうな目鼻立ちの少女が、表情も変えずにそう答えた。

 ハッキリした子だ。


 カノウと『最初に会った時』も、確かそうだった。







 ──血が散乱し、死体が転がったあの場所に、その子はいた。


『私、殺し屋になりたいの』


 カノウは、銃を向けてその子を睨んだ。

 一瞬の迷いも無く殺せたはずだった。


『だから、あなたのそばに居たい』


 ──どう、すればいい?


 その仕事を始めて以来、初めてカノウは迷った。

 そもそも、女子供は殺さない。

 ポリシー以前に、意味が無い。

 女子供がいるような現場状況は作らない。だから、ここにもこんな子は「いるはずが無い」のに。


 舞い散る羽毛が血に濡れて、割れたガラスから陽の光が射す。

 宗教観も信仰も無いカノウに、何かの「神性」が感じられた。


「天使」という単語が一瞬、カノウの脳裏にチラついた。

「悪魔」という単語も同時にチラついた。


 カノウには何の信仰もなく、宗教観も持っていない。

 それらは彼に何ら意味も為さない。

 そんな物を心に留めるのは、もとより不可能な「職業」だった。

 もしも天国や地獄があるのなら、確実に自分は地獄に行く。

 だったらそんな物、あろうが無かろうが信じるだけ無意味だ。

 もしも神や仏がいるのなら、理不尽に殺される奴もいるわけはない。

 命とは等しく不平等で、ド汚いド悪党も清廉な聖者も赤ん坊も老人も、惨たらしく無慈悲に殺される時は殺される。


 カノウは同類の「悪党」しか殺さないよう心がけている。

 別にそれは綺麗事じゃない。

 そもそも「殺人」という行動に、私見で優劣をつけ、命の選別をするような真似は、傲岸で無意味だ。

 ド汚いド悪党も清廉な聖者も赤ん坊も老人も、その命に重さ、価値の差などありはしないのだから。

 それでも、その一線をもし超えてしまえば――覚悟の無い者、罪の無い者、理由の無い者までもを平然と殺すようになってしまえば、それは獣と同じだ。

 目についた者を無差別に殺して金品を奪い、ただ愉悦や暇つぶしのために殺人を重ねれば、それはそもそも人間社会の中では自殺行為も同然だ。

 追われ、追い詰められ、手をかざす者も助けてくれる者も現れないだろう。

 やがて警官隊に囲まれて銃殺されるのがオチだ。

 よしんば上手い具合に「逮捕」されたとして、死刑は確定。執行までに不審な獄中死を遂げるのがせいぜいだろう。


 だからこそ、厳格なる「ルール」は必要――そう考える。

 社会のルールから外れた者でも、代わりのルールがあるからこそ、生きて行ける。「依頼」も来る。武器弾薬の調達、逃走経路の確保、潜伏先の手配、闇の社会の中で「居場所」が持てる。


 ――だが、時と場合にもよるだろう。


 破るべきか?

 今、ここで「目撃者」を殺さなくてどうする?


 怯えもせず、迷いもせず、身じろぎもせず。

 まっすぐに向けた銃口を見つめながら、少女は一歩、足をすすめる。

 カノウへと一歩、近づく。


 ――何だ? この、子供は。


 この光景、いつかどこかで、何かで観たような思いもした。


 凛として一点を見つめる、少女のつぶらな瞳。

 強い意志を感じる。同時に、それはこの状況ならば狂気と同義だ。

 黒いタイツに黒のミニスカ、黒のフリースの少女は、天使ならぬ悪魔に見える。

 いや、悪魔というより昔の歯みがきのCMなんかに出てくる、擬人化された虫歯菌のような黒づくめだ。何故、そんなものが天使なのか。

 そうか、悪魔か死神か。そう思えば納得いける。

 宗教観も信仰も無いはずのカノウに、何故、そんなものが脳裏をよぎったのか――。その一瞬、やっとに納得が行った。


 カチャリと銃を下ろした。


 指一つ、それだけで殺せるのに。

 カノウにはそれが出来なかった。


 ──こんな「人間」の「子供」はいない。

 普通だったらどうだ? 泣くか喚くか、逃げ出すか、自分を失うか。

 こんな子供はいない。なら、悪魔か天使のどっちかか。いずれにしても、人間じゃない。

 なら、殺す必要も、殺す意味もない。何にせよ、殺しの現場の「目撃者」として、警察にかけこむような相手じゃないだろう。

 カノウは、そう考えて納得してみた。


『名前は?』


 カノウは少女に訊く。


『スミ』


 少女はそう答えた。

 カノウは、それ以上何も訊かないまま、いわないまま、そこを出て行った。少女はただ無言で、あとをついて来る。


 血と死骸の渦の中、ただよう硝煙の匂いの中、まるで光を放つ天使のようにその少女は凛として、曇りの無い瞳を向け続けた。

 そんな出会いが二人の馴れ初めだった。





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