第十九話『在りえない、知りえない』(後編・その5)

 園桐の紅葉の舞う中で、綺羅さんの前に立った時に、私は彼女にこういった。

「逃げない。あなたを人殺しにはしない」──私は、ただ怯えて、目をそらして、なかったことにして──そんな風に逃げ続けてもいけないって、決意したんだ。

 あの時の私は、ちさと部長のいう通り、実際、捨て鉢になっていたと思う。

 今は、どうだろう。ヤケクソになって、盲目的に知弥子さんを信用してるわけじゃない、はず。

 感覚的なこととか、直感的なこととか、経験則とか、そんなことで動けるほど、たかが十三年間の人生で私は身に着けてはいない。

 騙されることも裏切られることもあるかもしれない。

 でも、今は、信じること、それだけが原動力になる。

 知弥子さんを、人殺しにはさせない。


「必要なのは証拠です。そして、それはきっと、確実に、得られるはずです。それさえあれば、知弥子さんを開放するのは簡単です」

「あるのか? そんなもの。私の見た限り、あんなナイフはどこででも手に入るし、おそらくは足のつかない物だ。他に物証は──」

「つまり『ある』べき物が『ない』のが証拠……になります。ただし、それは私が知弥子さんの証言を一〇〇%『信用』して成立する物です」

「どういうことだ?」

「現場には──ダイ・イング・メッセージなんて『なかった』んです。少なくとも警察の調べた中には」

「……それは証拠としては、弱いんじゃないのか?」

「たまたま、断末魔に指がのたくったような物じゃなく、一目で『メッセージ』ってわかる物だったんでしょう?」

「……まあ、うむ。そうだな」

「そんなの警察が調べないわけないじゃないですか、現場に『在った』なら。幾ら黙秘してても、知弥子さん、ゼッタイ何か訊かれてるはずですよ」

「……そうか」


 知弥子さんはちょっと考えて、そしてつぶやいた。


「つまり、現場でそれの意味を理解できて『拭き取れる』ヤツが犯人──か。しかし、それが証拠には……」

「なります」

「……ふむ。つまり、」


 表情も変えず、知弥子さんはじっと私の顔を見る。


「血液反応か」


 さすが、物分りが早い。


「ルミノール反応が『』わけがないんですよ、血で文字が書かれていたとするなら」

「警官が犯人なら、消せるんじゃないのか? だいたい現場でそれを鑑識が調べないわけはないだろう」

「血まみれの、犯行直後の現場で、『隠れた血痕を探す』ために高価なルミノールで調べるバカはいませんよ。ルミノール反応とは、血液中の鉄錯体てつさくたいが発光する物ですけど、それを還元剤で中和させるとかも考えられますけど、まず無理です。亜硝酸ナトリウムやホルマリンで反応を幾分か抑えることはできても、完全には消せません。そもそも、どちらも劇物で、簡単に持ち歩けるような物でもないし、強烈な臭いや痕跡が残ります」


 科学捜査の知識があって、ある程度隠せる人間がいたとしても、市販の洗浄剤程度で拭き取っても完全には消せないなら、調べればその痕跡は必ず出てくるはず。


「事件が事件ですから、捜査一課や科警が現場を調査していないはずはないと思いますが、具体性のない場所まで調べはしないでしょう。つまり……探せば血液反応は出てくるです。……となると――」

「それを現場で『拭き取れた奴』こそ、犯人――確かに、消去法でもあの警官のどっちかしか居なくなるな。たぶん先に蹴った方か。投げた方は暫く気絶してた」


 ……単独行動できる時間与えてちゃってるじゃないですか。


「と同時に、それを現場で知弥子さんが『拭き取れる』わけはないんです。すぐ捕まって、所持品も調べられ、現場周辺だって念入りに遺留品の調査がされているはずです。血のついたハンカチとかが、どこにも捨てていなかったことは捜査一課で調べ済みです」


 それは、絶対的に重要な「物証」だ。


「オッケー。……やっと勝算が出てきた」

「……調べるように、警察に伝えれば良いんでしょうか?」

「無理だ」


 知弥子さんはニヤリと笑って(いや、それもいつもの無表情の薄ら笑みのままかもしれないけれど。私にはそう感じた)、耳打ちするように顔を近づけた。


「なかなかに上出来だ。しかし、圧倒的に巴は未熟だな。今のお前の『推理』とやらは、まさに私の証言を一〇〇%無根拠に信用しない限り、本当にバクチだ。論証としてはおかし過ぎる」

「……私も、そう思います」


 同時にそれは、『安楽椅子探偵』という存在への徹底的な疑問視でもあり、アンチテーゼでもあるけれど。知弥子さんが、私の推理を鵜呑みにしないという姿勢の根源かもしれない。


「しかし、それは『私のがわの立場』なら、一変する、何故だかわかるか?」

「……わかりません」

。つまり、――私の目から観るなら、それはバクチにはならない」


 ……確かに、そうだけど。


「そして、だ。そのセンで捜査をし直せと、警察に要求できる力がお前や私にあるか? ないだろう。無茶な話だ。無茶を通すには、ある種、危険な賭けに出ないといけない。しかし、賭けは賭け、アタリもハズレもある。私は、ハズレるわけにはいかないんだ。可能性を極限まで一〇〇%にあげるには……私の側だけでは見えないものを見るための『目』が必要だ。巴には、それがある。それと……」


 不適な笑みで、知弥子さんは私に顔を近づける。


「判っていると思うが、推理をして欲しい為だけに巴を呼んだわけでない」

「は?」


 では、どんな理由……?


「さーて、暴れるぞ。ちょっとガマンしろ、あとで何かご褒美でも買ってやる」

「え? い、いやあのですねぇっ、ちょっと!」


 暴れる……?

 エッ?


 言うが早いか、知弥子さんは私をヒョイと小脇に抱えて立ち上がった。


「巴が一番ちっちゃくて軽いから『』んだ。飲み込みも早いし都合が良い」

「って、ちょ、うわ──っ!!!!!」

「巴の命をタテに何かを警察どもに要求しても、何も出ないならこれは意味がない。しかし、証拠が一〇〇%出てくるなら賭けの意味はある。絶対ハズレのない賭けだ。安心しろ」


 予想の何倍メチャメチャなんだ、この人は!!!!!!!!!!!

 うわあああああああっっっっ!!

 ありえない──っ!

 しんじらんない──っ!!!





         To Be Continued





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