第十八話『幾星霜、流る涯』(前編・その5)


「……麻衣さんにも、それは話せません」

「なるほど、じゃあ、聞かない」


 少しホっとする。それと同時に、申し訳ない思いもする。


「話せませんが……この二つの事件の間に、奇妙な『』がありました。『共通項』といっても良いでしょうか」

「ティーンの自殺と? 解体殺人と? ちょっと、考えられないなぁ」

「ですよね。接点なんて、考える方がどうかしていると思います。私のただの考えすぎ、妄想、妄執……そんな所かもしれません」

「ないと思った接点があった、女子中学生の自殺と、解体殺人……、って話――あぁ、そうね」


 私は、俯いたまま黙りました。

 麻衣さんは、頭の良い人です。これ以上の隠し立ては、不可能でしょう。


「もしそうなら、確かにこれ以上は聞けない」

「いえ……です」


 それは、認めたくない事実でした。


「……どうなんだろうね、それ。ただの偶然と考える方が良いような気もするけど」


 黙ってうつむいたままの私の前に椅子を引き、麻衣さんは顔を近づけます。


「わかってると思うけど、これって連続殺人なんだよ、進行中の。終わった話じゃない。過去の物語をなぞって読むようなモンでもない。現在いま、真ッ只中の出来事なんだ。追えば、更なる悲劇や暗黒を、深淵を、その目に留めることになる。その身に危険が迫る可能性だってゼロじゃない、ただの好奇心旺盛な傍観者、野次馬、観客のままで済むとも限らない。並じゃないよ、その業は。私だったらお手上げだ、手は出さない」


 ……何も、いえません。


「たとえ現実がどれだけ残酷でも、認めたくないものがそこにあろうとも、うつむいても、見上げても、真相を知ろうが黙殺しようが、どっちにしたって何も変わりはしないよ。立ち向かったって良いし、耳目を塞いで逃げても良い。いずれにせよ、それは香織の勝手だから。だから私は慰めない。応援もしない」

「……はい」

「でも、香織はもう決めたんだろう?」

「……はい」

「なら、顔をあげな。真相を知った所で佐和子さんが生き返るわけもない、弔い合戦にも名誉回復にもならない、知りたくもないことを知るになることもある。それでも『』と思うのが、香織の願いなら……」

「はい」


 私は、うつむいた顔をあげ、まっすぐに麻衣さんを見つめる。


「改まっていう程のことじゃないけど、この事件は香織一人の手におえるものじゃないよ。私も手は貸さない。きっと手に余るからね」


 麻衣さんらしい言葉です。


 でも、私にはそれが逆に、嬉しくも思えました。手は貸さない、応援もしない、好きにしろ……一貫してそれが麻衣さんの姿勢で、それでも、何よりも彼女は私のことを気遣っているのもわかります。


「元より、私独りで決めたことですから」

「だから、そうじゃないって。一人で抱え込まないで済む手をどうにかして必死こいて探すか、そうでないなら『』べきだね。あなたみたいな子が、おかしな覚悟はもたない方がいい。どっちか選ぶなら後者を勧める。これがまだ、一〇〇%身の危険に迫る物なら素直に『諦めなさい』っていえるんだけどね。海の物とも山の物ともまだ見当もつかない、曖昧模糊な、文字通りの『霧の中ミステリー』だ。私は先輩ヅラなんてしたくはないけど、もし命令できるものならこんなの『諦めろ』っていうね」

「ありがとうございます。でも、私は諦めません」

「じゃあ、友達として『お願い』する。諦めて」

「諦めません」


 微笑んで、私はそう答えた。ため息をつき、麻衣さんも笑顔を向けた。


「……もう、何もしないまま、何もできないまま、後悔なんてしたくないんです」

「後になって悔いる事を、何かを始める前にわかりゃしないよ。手は貸さない。自分で調べ、自分で決める。香織はそれができる子だから。どっちみち、こんな事件で誰かの手を借りるとしたら、その相手も香織と同じかそれ以上ののある人間じゃなきゃ、ってことになる。そんな無茶な条件の人を探し出すのもまあ、探偵の仕事だろうけど……」

「覚悟……」


 本当に、私にそれがあるのでしょうか。

 自分では何ともいえません。

 私は、苦労知らずで、甘えん坊で、我儘で。

 だから、納得できない。それだけなんです。


 秋がすぎ、冬になり、そして春の訪れが近づく頃。

 麻衣さんと私の部活はあいかわらずでしたけど、私は校外に出歩く機会も多くなり、二人の間で「事件」の話題は禁句になりました。


 その間も──『殺人鬼』は幾度となく犯行を続けました。


 私はその都度、H県内での『自殺者』を探し、調べ、この一見何の関係もなさそうな事件の間にある物を、必死に探し続けました。

 連続殺人を『追う』ということは、更なる悲劇や暗黒を、深淵を、その目に留めることになる――麻衣さんの言葉の通りです。幾度となく、幾多となく。私は幾人もの被害者や、その遺族、周辺の人の悲劇を、目の当たりにすることになりました。


 犯行は留まるところを知らず、いつしかそれは「月齢周期殺人」とまで呼ばれるようにもなりました。まるで世間をあざ笑うかのように、その不気味な「解体殺人」は終わることなく、何の証拠すら残さず、機械的に、虚無的に、その狂気を重ねて行きました。



 小枝に、春の訪れのきざしがポツポツと見える頃。


「で、うまくいってる?」


 探偵舎に向かう小道で、珍しく『事件』の話を訊かれ、戸惑い気味に答えました。


「いいえ。ただ、事件のに関して、漠然と──何かが、見えてきた所です」

「まだ、殺されると思う?」

「まだ、死にます」


 今、自分で口にした言葉が、私には信じられませんでした。


「これから殺されるかもしれない誰かを、香織は助けたいと思う?」


 勿論、と、私はそれに即答すべきでした。

 しかし。


「……できれば」

「できれば?」

「私には、……何ともいえません。いつか犯人が逮捕されれば、もちろん事件は終わると思いますけど……」


 そう。終わらない事件はない。まない雨がないように。いつかは、必ず終わる。でも、それが果たして「」であるかどうかは、わかりません。

 幾つかの未解決事件がそうであるように、ある日ぷっつり犯人が犯行を止めて、何もわからないまま終焉を迎えることだってあるでしょう。

 何かの機会に犯人が現行犯で、射殺されたり、正体がバレて自殺を企ることだってあるかもしれません。そうなれば、真相は闇の中でしょう。

 私は――果たして、そんな事件の終焉を、殺人鬼の末路を、望んでいるのでしょうか?

「……私は、もし犯人を『止められる』立場にあるなら、勿論全身全霊をもって止めたいと思います。ですが、事件を『止めたい』という思いより、今は……真相を『』という思いの方が強いんです」


 神様。この罪深い私を許して下さい。


 私は──正義のために『探偵』を行っているのではありません。

 強いていうなら、自分のため。


「いいね。それでこそ探偵じゃない」


 クスっと皮肉な笑を麻衣さんはこぼした。


「私は……関わらない。高等部に進んだら、もうこの部室にも来ないし、香織は一人で頑張るんだ」


 その言葉は、私には意外に思えました。

 確かに、一年の約束と聞いています。それでも、まるで我が部屋の如くここで寛ぐ麻衣さんの姿が消えることは、想像がつかなかったのです。

 一瞬動揺はしたけれど、必死でそれを隠し、精一杯の笑顔で応えます。


「ええ、ありがとうございます」

「何故なら……」


 何かを口にしかけて、麻衣さんは黙る。

 桜のつぼみが枝にポツポツとみえる、春のことでした。





            (後編に続く)

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