第十七話『愛と死と』(後編・その2)
「暗号解析って問題になると、ようは
身の回りの多くの物に、『暗号』は存在する。それなしには通信も、キャッシュカードも、電車の乗り降りも、生活の根幹に関る多くの物が使えなくなってしまう。まあ、それは、自分たちのような理系のオタクどころか、誰でも知っている現代人の常識だろう……とミキも認識している。
逆にいえば、簡単に解読、解除されてしまうようなら、それら生活基盤の全ては、いともたやすく第三者に「悪用」されてしまう。だからこそ守りは堅い、いや、
実際、ある程度の知識と「
できるできないはともかく、誰だって
そして当然、簡単に破らせるほど甘いセキュリティも滅多になく、暗号化とはその「
ようはクラックとは、鍵の「情報」を掴むことにある。番号総当たりやジェネレーターで生成可能な物など論外。その
では、そういった「隙」がないなら? 究極的には、それは見知らぬ誰かの「頭の中を覗く」ような話でもあるわけで――。
「いや、思うにそこまで高度な話じゃないよ。ていうかさ、ミキも私も基本的に電子情報で考えがちだけど、これってそんな話じゃないと思うよ。アナログの『古典暗号』なんじゃないかな、たぶん」
「ん。アナログだろうとデジタルだろうと、ビットのオンオフ、8ビットで1バイト、0からFまでの十六進法2桁に置換できるって点こそが、
「それを基本って思う方がそもそもどうかしてるんだよ。『設題者』の性質を考えてみようよ。高校生の女の子だよ? その子が紙に書いた程度の物なんだ。手作業で復元できる範囲のはず、そう考えておかしくないって」
「いっとくが私らも中二のオンナノコだぞ、笑うしかないけどよ」
「笑わせるな」
お互い真顔で返す。
「……まーそうだな。『秘密の通信』であるなら、電子情報にしてメール出した方がよっぽど早ぇや。アナログで復元可な暗号文ってなると、やっぱ『
「まあ、そこは保証できないし、そもそもこれが本当に暗号文である保証もないけど」
「ひとまず暗号だとしようか。で、どっちにしたって
「単一換字式……符号化暗号のまさにcipherのキホンってやつは、まあ総情報量からすると、さすがにないと考えて良いと思うけど」
総情報量。一〇二文字か。換字――一つの文字を、別の文字や記号と入れ換える形式の暗号は、だいたい二文字で一つを示すパターンが多いけど……、
いやいやいやいや。
「これが『本文の全て』ならそうだろうけどさ。でも、そこだってまだ確証はないし、じゃあ
符牒――いわゆる「隠語」を元にしての、換字方式。約束語とも呼ぶ。言葉の入れ替えで違った物を指す古典暗号の典例で、卑近な例でいえば、餃子の王将で注文した際に店員が厨房にコールする「イーガーコーテルソーハンイー」のようなもの(中国語を元にはしていても、実質独自の「王将語」である)。
ある意味では「何度か聞いて、何例か目にすれば推測も可能」でもあり、換字式が「文字単位の入れ替え」であるのに対し、「単語単位の入れ替え」なのがこの方式。
そして、いずれにせよこれら「入れ替え」が古典暗号における解読でも一番容易な手で、暗号解読小説の元祖ともいえるポーの『黄金虫』から綿々と続く技法でもあるけれど、ミキはカレンと違って、ミステリーじたいには特に詳しくはないので、これはあくまで「情報技術者」の常識として得た知識だった。
符号、符牒とも、その唯一の「解読方法」は、ようするに徹底した論理学と統計だけにある。
暗号中で使用頻度の高い字、あるいは図版を抽出し、一般に頻度の一番高い文字や単語と照らし合わせることで解答を特定する。
ただし二十六文字しかないアルファベットであったり、暗号文が長文で「サンプル抽出」が容易に成立した場合にこそ、効果を発揮する話でもあるけれど。
「どうなんだろうなぁ。まず、抽出に十分な量じゃないって点もあるけど、それでも現時点で重複が多い辺り、その考えも捨てられないし。全文の符号化換字とか、転置――いわゆる『アナグラム』では、そもそも文章は成立しないはずだから、それこそクイズやパズルのレベルで解読できる暗号かも知れないよ」
「換字転置複合型とかもあるしな。IBMがHALになるようなやつだっけ」
「それだって、紀元前からあるシーザー暗号の典例だよ」
「ふ~む」
どうなんだろう。もう一度ジッと、文面を眺めかえす。
この世で報われないのなら
あの世で結ばれようねって
二人、誓った。
薬の壜を手にこの白い雪の中
二人はどこまでも歩んでゆく。
これは天国へ結ぶ恋。
これは天国へと続く架け橋。
これはふたりの赤い糸。
白い粉雪にうかぶ赤の絆。
「出来の悪い詩だな」
ぶっちゃけヘタクソだ。
しかし、何がどう拙いのか、何がどうヘタクソなのかを口で説明するのが難しい。文法的な知識とか、修辞的なノウハウもミキの頭の中にはないので、「何かムズムズする」くらいの感想を抱くくらいで、上手く指摘もできない。
「その、出来の悪さがミソだ」
カレンは、フタをしたままのボールペンを取り出し、文頭を指した。
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