第十四話『イン/アウト』(前編・その3)
この辺りは古い民家が幾つか密集していて、他に入る隙間が見あたらない。
遠目に、古いビルの裏側が空き地になっているのは見えた。
裏面も当然、窓には金網が張ってある。勝手口のようなドアが見える。でも、そこもあきらかにチェーンで塞いであった。
空き地の側から別の建物の裏口まで出られるのは見えた。同じ管理者の物件だろうか? 裏側の設錠はそこから入って行ったのだろう。防災上ではちょっと問題ありそう。
走って元の場所に戻る。
私が気がついたことに、もう二人も気付いているようだった。
「巴ちゃん、入れそうな場所、あった?」
首を振る。
「じゃあ……」
私も、香織さんも同じことを考えていた。ゆず子さんはそれを口にした。
「あの人……いったい
三人で顔を見合わせる。
これじゃ、まるで「不可能状況」だ。
さっそく私は「不可解な謎」に直面してしまった。
「窓からは……どうです? 金網づたいに三階までのぼって、窓から……」
「それができるようなタイプの金網じゃないわ。足がかけられない」
確かに、つま先を通せるほど目も粗くない。指は通せても、指の力だけで登るのは、女の子にはさすがに無理っぽい。
それに、三~四階の窓も全て閉まっている。内側からしっかり施錠されているかどうかまではわからないけど、外側から開閉したなら、これだけ埃まみれだと手の跡だってついているだろうし、どこかガラスが割れている様子もない。
「ん~っと、隣の立体駐車場の屋上から、ロープをかけて昇った、ってのはどうかな?」
「営業中の立体駐車場には、エレベーター操作とか管理に常に人がいます。それ以外の時間はシャッターを閉めてるでしょうし。簡単には入り込めないですよ」
車に潜んで、営業時間終了後に抜け出して……という可能性だって、一応は考えられるけど。
でも、そこから三階ぶんロッククライミングのように登るのも、やっぱり現実的じゃない。
それに、もしそこまで泥棒まがいのことをやって、何故あんな所に立たないといけないのだろうか。それだけの無茶なことをするに十分な、明確な意志と下準備の末に、廃ビルの屋上で自殺……は、私には考え難い。極端な話、「もっと簡単に飛び降り自殺が出来る場所」なんて他に幾らでも思いつくだろう。
前提条件やクリアしなければならない障害が多すぎる上に、何らかの「意味」や「目的」をあそこに見いだすには、状況に整合性がつかない。何か個人的に重要な意味をもつ理由があるのなら話は別だけど……。
そして、隣の12階建の屋上から、ロープか何かで降りるにしても、同じく、普通の女の子にはゼッタイに無理。
っていうか、今いったような行動は、それこそ知弥子さんレベルの女子じゃないと、まず不可能だと思う。ああいった人を「見慣れている」と、そんな考えが出て来てもおかしくはないだろうけど、そもそもあんな目茶苦茶な人はそうそういないと思う。
いや、今「無茶な話」を延々出してるのって、ゆず子さんの方か。
ゆず子さん、もしかして知弥子さんとも面識……あるのかな? いや、「三年ぶり」って言葉からすると、それも考え難いか。
意を決したように、香織さんは大きな声で叫んだ。
「ねえ、そこのあなた──!」
ええっと……ヘタに刺激しない方が良いんじゃないでしょうか?
少しハラハラする。
遠目にはよくわからないけど、屋上の女学生は、なんだか幽霊みたいにはかなげで、弱々しく見える。
ちょっと尋常じゃない雰囲気を醸し出しているようにも見える。直感的なことはあまりアテにはならないけど。
ゆず子さんは番地をチェックし、素早くスマホで警察に電話を入れる。
何のためらいもなく即行。私はその行動力に、少しビックリした。
「刺激しないようサイレンを鳴らさないで、できれば覆面でお願いしたいんですが。救急隊員にもそうお伝え下さい」
香織さんは、屋上の女の子に何かを呼びかけ続ける。しかし、屋上の彼女からの返事は聞き取れない。
何か「ほっといて」「警察を呼んだら飛び降りる」といった内容なのが、かろうじてわかる。
「ほら、まずいですよやっぱり」
赤の他人の私たちが、でしゃばれる状況なのだろうか?
「ホラってことはないわよ。彼女は、迷っているわ。本気ですぐにでも死ぬつもりなら、とっくに飛び降りてるわ」
「でも、狂言自殺でもないでしょうし……」
私たちが気付かなければ、ここには一切ギャラリーはいない。
「衝動的に一気にならともかく、死ぬことを即決するなんて、そう簡単にはできない物よ。恐怖と立ち向かっているの。足がすくみ、どうしていいかわからない状況だから……ヘタに恐怖を克服させちゃいけないのよ。感情的にさせてもダメ」
いつものおっとりお嬢様とは人が変わったように、香織さんは表情も口調も真剣だ。
ゆず子さんも、さっきの騒々しい、ふにゃっとした雰囲気からガラリと変わっている。
「どうしよ、どうすればイイのかなァ、何か、あの子がどーしてあんな所にいるか、その理由がわかればなぁ……」
「直接、上がって説得するしかないわね」
香織さんとゆず子さんはキョロキョロ周囲を見回す。
本気で、屋上まで行って説得するつもりだ。
二人の行動力と素早さに、正直、私はずーっと面食らっていた。
今、私の前に見せている香織さんの顔は、私が普段学校で知り得たものとは全く違う顔。人には当然、多面性があって、私はまだ、ほんの少ししか香織さんのことを知らない。その事実を、改めてまざまざと実感させられる。
とはいえ。どうなのだろう、この即決、速攻の姿勢と、その対応。
「あの。彼女のそばに行って、どうにかなるとは限りませんよ。せめて救急隊員のかたが、下に網とかクッションを用意するまで──」
「それまで待ってはいられないの」
瞬間、ふっと閃いた。
香織さんのこの態度。
友達が「自殺」──。
きっと、この二人の過去に、何か似たようなことがあったのかも。
「雨どいをつたって登る……には、六階か。難しいなァ」
二人とも、本気でそんな相談をしているみたいだけど。……理解できない。
入り口の札をそっと指でなぞる。土埃がかなり積もっている。そこに書かれている内容を読むと、どうやら来年早々にはこのビルは解体されるらしい。
雨どいも、埃がまぶされた状態で、もしここから伝って登ったのなら、手の跡だってついてそうだ。
「築年数はかなり古い建物ですよね。外付けの非常階段もないし、防災に必要なものも見えないし、壁面のヒビとか……たぶんこれ、現代の建築基準じゃアウトですよ。少なくとも、昭和五〇年代以前の建物でしょうか?」
つまり、他に侵入口があるような建物じゃないはず。見えないどこかで、それこそ地下から入れるような「抜け道」がある可能性も今はまだ否定できないけど、その考え方にしても、幾ら何でも現実的な物ではない。
「香織さん、ケータイもってます?」
ゆず子さんが自分のスマホを向ける。
「ええ、今は」
ああ……中学の頃の香織さんは、ご両親から「ケータイを持たせて貰えなかった」んだな、と今頃気がつく。そうでなければ、ゆず子さんと何年も連絡がつかないなんて事もなかっただろう。
「じゃ、番号交換して、えーっと、常に連絡しながら経路を探しましょ、あとホラ、ロープとかそういった物とか」
「……まさか、ゆず子さん、
突如、キキキッと音を立てて、狭い路地に車が一台
警察の覆面パトカー?
……いや、違う。
あきらかに違う。濃紺のBMWだ。
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