第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その7)


「……まあ、真冬さんや魅織さんの話は後々ね。そのうちお会いできるようセッティングもするわ」

「いえいえいえ、あの……」


 ちょっと興味はありますけども、むしろ怖くなってきたんですけど……。


「お二人のことはさておきで、そのハガキね……。昭和二十九年に起きたあの事件なら、とっくに解決したんでしょ? 今更再調査して、今回の件に何か関係でもあるのかしら?」

「解決っていうか、あらすじでネタバレを読んだ程度には、でしたけど……。細かい部分が、きっと重要だったんじゃないかって」

「枝葉を落とすことで何か見えるっていったじゃない」

「それはそれ、これはこれで。ケース・バイ・ケースです」


 少し呆れ顔で、部長は「やれやれ」というゼスチャーで、私の頭にポンと手を乗せる。


「根を詰めるほどの事件でもないわ、これ。手を抜いてもいいし、力を抜きなさい」


 ぐりぐりと小動物のように私の頭を撫でながら、部長は視線を合わせる。


「でしょうね。部長にとって面白いタイプの事件じゃないとも思います」

「正直、『事件ですらない』と思っているわ。こんなの、精々が程度じゃない。実際のところは、まだわからないけど……」

「まあ事件といえば事件ですけど、事件にならないでしょうねぇ」


 ここも、部長と私との共通見解。

 人が死んでいるのに「事件にならない」という認識を持っている時点で、ようは私も部長も非常識なのだろう。

 仮に。お婆さんの自殺、または綺羅さんの関わる自殺幇助、同意殺人だとして。

 いつお迎えが来てもおかしくない高齢の老婆の死に、未成年の娘が関わっていたとして、まずそれを伸夫さんは「事件」にはしないだろう。今のところ、これだけ奇怪なお膳立てがあれば、警察がこれを「事件」として捜査してもおかしくはないけれど、ここまで奇妙な状況でなければ、そもそも自然死で普通に片付くべき物だったし。

 だからこそ、前提の不自然さから既に考え込んでしまう。――


「そもそも、ここに来たのが大失敗だわ。横溝作品の舞台に近いと聞いて、私としたことが、何もあるわけでもないこんな辺鄙な片田舎ごときに、つい柄にもなく浮かれ過ぎていましたわ。もっとちゃんとリサーチしておくべきだったわね!」


 ひどい言いぐさだなぁ。わかるけど。

 あと、事前に情報を入れないようにしてたのは完全に部長の落ち度なんですけど……。


「ええっと。いえ、本来、土俗とか土着とか因習とか、そういったものを期待するだけ意味がなかったんじゃ、って。……部長ならご承知でしょうけど、横溝先生にとってO県での田舎暮らしは『人生最高の経験』だったんです」

「そうね。空気は綺麗、飢えもしない、人形佐七シリーズのヒットもあって、周りは先生先生と持ち上げてくれて、田舎にしては教養のある教職の協力者から土着の面白話を聞いて過ごす暮らし……長野での病気の療養時と違って心身健康な時に、既に戦局が決した頃の趣味的な疎開なのよ。悪い経験なんてしてないでしょうね」

「田舎暮らしが快適で、目に映る田畑や古びた家屋の光景が、美しくも侘びさびがあって、そこにイマジネーションを得たんでしょうね。因習というより、家柄がどうこうとか、太平洋戦争の時点で都会には既に消失していた観念を、当たり前のように持ち出すカルチャーギャップにも面白味を感じたのでしょうし」


 平和だからこそ。

 そこに、安心して猟奇や怨念にまみれた、土俗的なを横溝先生は思い描いたに違いない。


「……で、何がいいたいの?」

「都会を離れてリフレッシュ、とかの感覚以外でだと、博物学的興味で寺社の来歴や妖怪の伝承や、そんなのを求める人だけですよ、田舎に足を運んで、面白がれるのは。本来、奇妙な伝承や信仰の宝庫なんですけどね、O県は」

「ここにはそんなの、ないじゃない?」

「だから、なんでしょうね」


 この園桐に漂う妙な違和感……それは、土俗や因習でもなく、「普通」さにある。

 私はこの「普通」さに、安心もした。

 だけど、歴史を積んだ村にしては、やっぱりその「普通」さは、おかしい。何かを必死で覆い隠したような「普通」さには、必ず何らかのがある。その無理の一端は、伸夫さんから聞いた話で腑に落ちたけど……。


「……私、最初はもっと嫌なケースを考えていたんです。ここが、隔絶した村と聞いて」

「同和問題に触れるヤツね」

「あ、あのっ……」


 そこまでストレートにいわれると、さすがに焦る。


「ないわね。土地を持たない賤民小作人の、後の新平民ならともかく、ここは八幡家からして地主だもの。江戸時代のカースト制は、基本的に職業差別ですものね。それか、刑罰として身分を落とされた者と」


 後者のケースも、都市部を離れた農業の村落では、地理的に考え難い。


「いわゆるアングラ向け情報、実話なんちゃらとか裏なんちゃらみたいな本や匿名掲示板で、安っぽく語られる田舎の猟奇事件や地域ぐるみのもみ消し、なすりつけ、差別に原因を発する残虐な犯罪、そんな二束三文のゴミ情報なんてゴミ袋でも漁る人にでも任せれば良い話よ。探偵のする話でもないわ」

「ま、まぁ……同意はしますけども。そうなると、ここの隔絶ぶりって、……やっぱり信仰の問題だったと思うんですよね」

「禁教や隠れ宗教……。にしては、おかしいわよね、実際のところ」

「ですから、おそらく『無宗教』なんです。現代人の価値観からすればそれはおかしくはないですが、江戸時代なら異端も異端です」


 私や大子さんは、既に「それ」を八幡家の方から伺って、確認している。

 その異端さと、この村はどう折り合いをつけて来たのか。被差別集落ではないとしても、ともすればいつ、の判断によって、「罪」をきせられ賤民に落とされるかもわからない綱渡りは、この村にはあったかも知れない。

 一つだけ確実に断言できるのは、先々代の徳夫さんが「無信仰・無宗教」だったこと。そうでもなければ、八幡邸の宗教的にメチャクチャな混濁ぶりは、あり得ない。

 そして、無宗教であってもだけは存在した。

 宗教を持たないのに、朝の番組で「今日の運勢」だの「星占い」だのといったを、各局平気で流せるくらいに、現代の日本人も頭がどうかしているのだから、そこは徳夫さんだけが格別おかしいとは思わないけど。

 つまり、信仰とオカルトは、別個に相容れ得る。屋敷で目に映る幾つかの宗教モチーフは、舞台装置であり装飾と考えるのが妥当だろう。


「そんなのとうに判ってるわよ。なら……」


 じっと、部長は私にまっすぐ目を向ける。


「あなたと綺羅さんの、お堂の前での会話、アレは何かしら?」

「ええっと……」




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