第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(前編・その36)


 ──途中、私は立ち止まる。

 振り返る。

 正門から、母屋へ――まっすぐ一直線上、真ん中の蔵がある。今は物置にしか使われていないであろう蔵、かつては楓さんが暮らしていたと思う蔵。

 間には、垣根。直接蔵には視線が届かないようになっている。その、直線上にあるのが円盤状の御影石、左右の貔貅ひきゅう、天禄と辟邪。


「……巴さん?」


 後ろから、部長の声がする。私はそのまま、ゆっくりと歩を進める。


「第一と第五を結ぶこの経路上にあったのなら……だから、楓さんもに気付けたとするなら、」


 アンチ・カトリック……。その、理由の一つにも思い当たれる。いつの頃だっただろうか。脳裏にリフレインする、あの子の言葉――。






 ──そう、このカードはまるで君自身を指すかのような物だよ。カトリックには本来ありえない概念、それゆえ反バチカンへの象徴にも使われるのさ。


「……どういう意味よ」


 ──意味ならそれこそ幾多もあるじゃん。知性、洞察力、優しさ、理解力、繊細、清純、あと生涯独身ってのも。


「な、何よそれぇっ!」


 ──例えばぼくの場合はこれかな。

 Justice ──裁きの女神様でもある。


「ぬけぬけとよく言えるよね、あなたって……」


 ──さしずめソヨカは Strength って所かな。


「ああ、それは異論ない。っていうか、占いなんて信じないけどね、私は」


 ──信じる信じないは置いておこう。そこに「在る」ということ。そこに至る歴史と、それを信じた人たちが「居た」ということ。

 軽んじられる物じゃないし、盲信もしないけど、そこに込められた意味や由来、意図や歳月の厚みに思索を巡らせるってのは、中々に素敵なコトじゃないかい? なら、特にそうだ。


「……うん、わかるけど。あなたはいつか、その詭弁と口車でとんでもない大犯罪でもしでかしそうね」


 ──失敬だなァ君は! ぼくは正義の味方だよ?







 流れる池の人工揚水、錦鯉。石畳を踏み、径の真ん中へ進む。


 コツ……コツ……コツ……。足下の音が――確かに、これはで、


「……君も、か?」


 えっ? と、振り返る。


「あ……」


 恒夫さんが、私の真横の方に立っていた。


「ええっと……『君も』、って。もしかして、初代部長もここに……?」

「あ。いや、別に……何でもない。だいたい、楓さんの事件の頃ァ、俺ぁまだガキでね。ろくすっぽ覚えてもないんだわ」


 苦笑を噛み殺しながら、恒夫さんはポケットからショートピースを取り出す。

 何でもない、なんていわれたら、余計気になっちゃいますけど……。

 煙草に火を点けながら、恒夫さんは首をかしげる。


「……うん、どうなンだろーなァ。あの娘は……君と同じ制服……じゃぁ、なかったとは思うンだが……暁夫伯父さんが真冬さんを家にあがらせなかったせいかな、よくはわかんねェや」

?」


 ええっと……真冬さん、この家で事件を解決したんじゃなかったんですか……?

 恒夫さんは頭を掻きながら、じつに不思議そうな顔で、じっと私を見ていた。


「……だから、楓さんの事件のコトぁ俺はわかんねぇンだよ。ただ……あの頃……そう、昭和の終わりっ頃だったかなァ。君みたいな女の子が……そこに立って……そして、」


 恒夫さんは、そこで言葉を切る。しばらく考え込むような仕草でくるっと後ろを向いて、ふぅっと、ゆっくり煙を吐き出し――そして、また振り返る。


「そう。これっくらいの間だ。その間に――その娘は、。いまだに、ワケがわかんねぇ」

「――あぁ」


 ……なるほど。


「……有難うございます。謎が、ひとつ解けました」


 ニコリと笑い、私は丁寧にお辞儀をする。


「……あぁ?」


 ――んだ。そして……その女の子っていうのは……

 ……首、突っ込んでるじゃないですか!


 ――ともかく。

 謎は一つ解けた。


 それは、あまりにも途方もなく馬鹿馬鹿しい大仕掛けだけど。

 無理筋な装飾、信仰すらも無いのに各所に散らばされたの残滓――それらが徳夫さんの信奉する、神秘主義、オカルトへの憧憬であるのなら……?


 数も合っている。位置も。なら――?


 ここに物の正体は、生命セフィロトの樹。徳夫さんが信奉していたのはに間違いない。


 第一のセフィラとなる正門、第六のセフィラとなる真ん中の蔵を結ぶこの地点こそが、セフィラ――ダアト。

 ――これで、隠し通路の謎も、徳夫さんの怪死の原因も、ひいては独逸人技師との悶着の原因も、全てが一つに繋がった。

 ……でも。それでもまだ、


「ああ、そうか。伸夫さんがいない頃なんですね。その当時、この家にいらしたかたは……」

「もう俺だけだな、生きてンのは」


 あ……。

 そうか。徳夫さんがお亡くなりになったのはもっと前だし、魅織さんが来たというその時期は伸夫さんが家を離れていて、粂さんと……あとは存命していたなら暁夫さん、操さん、善夫さんのうち、どなたか。……この人たちがいつ頃にお亡くなりになったのかはわからないけど、少なくとも郁恵さんが嫁入りする前には全員他界しているはず。


「まァ、そのすぐ後かな、伸夫が戻って来て、家督を継いだのは。暁夫伯父さんが不名誉な死に方をしてな。俺もその頃はまだ独身だったし、色々慣れてねぇモンだから、そこは問題なく伸夫にたが」

「ええっと……すごく失礼ですから、訊けなかったんですけど……もしかして、馳夫さんって……まだお若いかたなんでしょうか?」

「あァ。まだ二〇代の前半だぞ、あれで。我が子ながら、あんなフケ顔ねーよって思うがよ」


 クククっと恒夫さんは笑った。

 さすがに愛想笑いするわけにもいかず、ちょっと困る。


「ああっと……そういえばその、馳夫さんが刺されたって件は……」

「あぁ、アイツのことだから綺羅に何かしたんだろ。どうしようもねェな。殺されなかっただけ有り難いと思わなきゃな」


 実の親でもそんな認識ですか……。


「どうせロクな死に方をしねェのがこの家だ。俺の親父も……まあまだ俺がガキん頃だが、訳のわかんねェ死に方だったし、お袋も後を追うように首を括っててな。あいつが刺されて死んでたらそれはそれでしょうがねェ」


 えーと……。

 ……なるほど。お婆さんの怪死に対して、伸夫さんにしろ恒夫さんにしろやけに淡泊な反応をするなぁって思ったら、この家では代々そういった経緯もあったんだなぁ、と。今にしてみればよくわかる。そして──。


「そうか……」


 の、私の先輩たち……彼女もまた、この「謎」に気づき、そしてんだ。




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