第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(前編・その26)

9.



・証言 八幡恒夫 


「さて、困ったもんだねェ」

「ですねぇ」


 恒夫さんは、伸夫さんの従兄弟にあたる人で、年齢も近く、一つ屋根の下でほぼ兄弟同然にすごして来たという。

 当家とか傍系とかの別もないようで、尊属だの卑属だの、生物学的に遺伝交配の代やら系譜、エンドウ豆やマウスに置き換えての概念理解は出来るとしても、家督だ主従だの話はカレンにだって今ひとつなのだから、ある意味ではこの、八幡家の「」は気が楽だった。


「まあ、実際……綺羅だろうな」

「あ、やっぱりそうなりますか」

「粂さんと、この家の中で唯一親しくしてたのは、あの子だけだからねェ」

「唯一って……」


 どういった家庭なんだろ、とカレンも少し考え込む。

 しかし、そうなるとますます粂さんの死後に、家族の目からその事実を隠すよう、綺羅さんに遺言でも残して共謀……という線が考えやすい。彼女らの関係性がどんな物だったかを善く知る八幡家の者であれば、尚更そう考えるだろう。

 こんな奇妙で不気味な事件でありながら、諦めにも近い「気にしなさ」の漂う空気。その原因も、少しは理解できる。

 仮に、綺羅さんが関わっているなら……。


「お婆さんの離れの様子を観たかんじ、高齢者にしては十分健康だったように思えましたけど。死に繋がるような大病も患ってはいなかったんですよね? そうすると、粂さんの自殺か、まさか他殺か、って話にもなりますけど。後者はあまり考えたくありませんが」

「俺だってヤだよ、そりゃァさすがに……」

「お婆さんに処方されたお薬の種類とか、何かわかりませんか? 私の見たところ、窒息や血液の凝固、不自然な変色や疸はなかったんですが……」

「薬ってそんなの……エッ、君、粂さんの死体ワザワザ見ちゃったんだ? うっわ~」


 うん、今の反応もまあ普通。それに、一般人が薬の名前とか、まして成分なんて、いちいち把握してはいないか。

 とはいえ、今日び抗不安剤程度で簡単には死ねない。バルビツール酸系やブロムワレリル尿素の眠剤だって何百錠、何百グラムとかの量をカッ込まなきゃ、致死量には至れないだろう。自力で行うにしろ、他人が飲ませるにしろ、いくら何でも過剰摂取のODで死ぬってのは、ご老人にはハードルが高い。

 表情や様子、嘔吐の痕もなし、かといって安らかな死に顔が「安楽死」と考えるのは早急で、暴れた様子こそなくても、窒息系なら凄まじく苦しいはずで、致死量に至らないレベルで眠剤、吐き気止め、鎮痛剤、筋弛緩剤を服用した後に酸欠死の線も考えられる。


 ――推理力はともかく、こういった点を詰めるのは自分の役目。カレンはそう考える。


 巴がどれだけ賢かろうと、絶対的に足りないのはこういった知識のはず。だからこそ、そこを見落としてはいけない。

 経口投薬は、やっぱ考え難いか。

 そうなると……。


「まぁ、その辺り粂さん本人と青柳先生と、先生から処方の説明とか受けてンのは……うん、やっぱ綺羅と、お手伝いの藍田サンくらいじゃないの」

「まあ、そうなりますよねぇ」


 考えるのが馬鹿々々しくなるくらい「怪しい登場人物」が確定しているのも困る。「実は一番怪しい人物はフェイク」というミステリーの王道も、必ずしも通じるとも限らない。さて、どうなんだろうね、これ。


「その青柳先生って、どんな方でしょう。粂さんとだけ特別親しかったり、何か隠したりするようなタイプでしたか?」

「んー、そりゃないな。ウチ中みんな、いや村中が診て貰ってるようなもんだし。あまり腕の良い医者とも思えないし色々ボケてる所もあるがね、頼まれたらイヤっていえない性格の、まァ悪い人じゃないね。面倒見も良いほうだし」

「ああ、村にはその、青柳先生以外ほんとに居ないんですか、お医者さんは」

「だな。まァなんだかんだでお陰様で、ここに住んでる年寄りだって皆健康だし。あァ、年寄りしかいないんだわ実際、この村。高校だってねーから、義務教育終わったら大抵、村を出て行くし、それっきりの奴も多いンだわ」


 ……まあ、確かに若者が居着くような村じゃないでしょうし。綺羅さんだって、好きでここに居るわけじゃないだろう。健康上の問題で離れられないだけで。

 現状、東北の無医村ほど酷い状況ではないにせよ、限界集落(っと、O県じゃ使っちゃいけない語だっけ?)の条件は満たしている。なるほど美佐さんがお婆さんを引き取ってあっちで暮らしているのも、頷ける。


「あっ。あまりこういったプライベートに首を突っ込むのも何ですけども、綺羅さんの持病って何なんでしょう?」

「色々だよ。あのコ、身体弱いから。肝っ玉は太いンだけどねェ。心臓に穴あいてたり、喘息あったり、神経のなんちゃら硬化症とか、まあ他にも色々。ハタチまで生きられないとかいわれてたんだが……まァ、でもあの根性なら、大丈夫じゃないかね」

「……インターフェロン系とか免疫抑制剤とかステロイドとか、自己投与してますか?」

「さー?」


 突っ込んだ薬事話題はこの人にゃ無理か。

 ここは、諦めよう。


「で、そうなると粂さんと綺羅さんの関係性なんですけど……」

「……俺が思うに、粂さんはこの家ン中で、自分と『血が繋がってる』のはあの子だけだと思ってたんじゃないかな、ってね。いや、どーかわかんないヨ? ただ、粂さんがそう思ってるってだけでさ」

「それ、どういうコトでしょうか? 伸夫さんも粂さんのお子さんなんでしょ?」

「あァ、実際の所、伸夫は暁夫伯父さんの妾腹の子だよ。そんな意味じゃ、八幡家の血筋としちゃあ俺ンが正統なんだろうがね、いや、そんな事ゴチャゴチャいう気もないわ。あ、今の話は内密にな。頼むよ?」


 思いっきり衝撃的事実じゃないですか、それ。すっごくアッサリ、軽く口にしちゃってましたけど。良いんですか?


「ま、ウチはそーゆーの気にしない家系なんだろうな、代々。別に武家とかじゃねえし」

「はぁ……ある意味、進んでますね」


 とはいえ……そうなると、やっぱりそれは少々話がおかしい。




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