第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(前編・その25)


「義母様は……主人を……伸夫さんを、実の息子だとは思っていなかったみたいで。ですからきっと……義母様にしてみれば、『赤の他人の家の中にいる』ような感覚、でしたのかしら……」


 さすがに少し面食らって、ちさとは花子にちらりと横目で見合わせた。

 ――いや、こちらに振られても反応できないから! 私ったら只のお人形さんだし!


「実の息子じゃない、って……一体、どうしてですの?」

「……あまり、大きな声ではいえませんけど、どうやら……義父の暁夫さんが、ある日『俺の子だ』といって連れてきたのが、主人のようなんです」

「……あの。伸夫さんは、当家の嫡子、ですよね? ……一応」

「あまり、そういったことは気にしない家なのでしょうね。この八幡の家は」


 さすがに、どう話を続けて良いのか。

 確かに、「」わけだ。

 ――もしかしたら、思った以上にバックボーンが重いんじゃないのかしら、この家。花子も、脇で考えを整理する。


「ええと……粂さんは、自分と血の繋がらない子供を息子として育て、当然暁夫さんの弟である善夫さんとその血筋だって、全く血も繋がらない赤の他人で……」


 一緒に隣にいるのだから、せめてメモを取るくらいのフリはしなければ。


「そうね。だから、血を分けた肉親が、後にも先にも、亡くなった楓さんだけだったようなの。私は、その楓さんがどんな人かも知りませんけど……」

「そうですか。でも、その楓さんも……」


 例の事件で他界。つまり、粂さんは半世紀以上もずっと、誰とも血の繋がらない「家庭」の中で暮らすことになったわけだ。


「ええ。そう思えば、義母様も、少しは気の毒に思うわ。だから、気性が荒くなっても、厳しくなっても、それはそれで仕方がないことだと……そう思いましたの」

「うぅ~ん……」


 ちさとも考え込む。それでは、粂さんはこの八幡家で、完全に孤立した存在にならないだろうか。

 嫁入りで園桐にやって来たのか、村内出身の縁者だったのかは不明だけど、今の茜さんの言葉からすれば、他に粂さんと縁のある者は、家の外にすら居ないのかも知れない。

 いや、血の繋がりだけが尊いわけでもないけれど……。

 そもそも「夫婦」とは元より赤の他人同士。養子を迎え入れ、我が子同然に愛情を注げる者もいる。虐待を続ける非情な肉親より、愛を持って接する他人を選ぶ子供だっている。一辺倒な判断はできないだろう。

 ただ、旧家で、戦前からの価値観を持った老人にとって、そこはどうだったのか。

 それに。


「……粂さんは、綺羅さんとは親しくされてましたのよね? どうしてですの?」

「それは……」


 平静のようでいて、茜さんの表情が強張るのが見てとれる。


「写真で見る限り、綺羅は楓さんに生き写しですし……面影があったからでしょうか」

「でも、血は繋がってませんのよね?」


 ちょっと嫌ないい方だったなと、ちさとは自分でも即座に反省する。茜さんだって、同じく八幡家と血は繋がっていないのだ。娘の綺羅さんを除くなら。

 ぐっと、茜さんは何かを堪えるような顔をみせる。


「……私は……私は、それでも、少なくとも……義母様の気持ちは、少しはわかるつもりでいます。実の我が子を失った気持ちも、血の繋がらない子を育てる気持ちも……。でも、私は――綺羅を、あの子を、、愛情を注いで育ててきました……」


 茜さんは、ぽろぽろと涙をこぼした。


「あっ……えっと、あのですねぇっ!?」


 えっ、ど……どーゆーコト!?

 さすがにこんな展開は予想もしていなかった。

 って、それって……あのっ!?


「……ゴメンなさい。……今の話は、どうか、内密に願います」

「は、はい……。つまり、綺羅さんは……茜さんの娘さんではなかったのですね?」

「……えぇ。ですから、そこはまったく義母様と同じ境遇のはずなんです。主人の子であるのは、確かなのでしょうけど……」


 幾ら平素、図太く傲慢に振る舞えるちさとでも、さすがにどういって良いのか、言葉が出て来ない。

 横でニコニコしているだけ、ってのも無理じゃない、と花子も焦る。――いやもう、重いってば、これ!


「ですから、私はいつか、それでも、義母様とはわかり会える日も来ると、そう信じて……でも……」


 ぽろぽろと泣き続ける茜さんの前で、さてこれ以上、どう話を続けたものか。


「ゴメン、さすがにこれ、私じゃうなずき役にもなれないわ」


 小声で隣の花子が、ちさとの脇を突つく。

 勿論、ちさとは最初から花子には何も期待はしていなかったけど。


「ああ、ええっと……失礼。ごめんあそばせ、もう、これ以上不躾に茜さんに色々お伺いするのって無理ですわね、私も!」


 降参!


 こうなったらもう、後は巴たちに期待するしかない。



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