第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(前編・その16)
6.
着替えて、蔵を出た早々、大声が聞こえた。
「ですから、あなたのおっしゃってた意味を問いたいんですの!」
「高齢者が自らの死期をほのめかすのは当然じゃない? 別に知ってたわけじゃないわ」
何やら部長と綺羅さんのやり合っている声。
「あーもー、ちさちゃん、目離したらすぐケンカするー」
「失礼ね、してませんわよ。ただ、綺羅さんの言葉が気になりましたから!」
それは私も気になっていたけど。
「あらあら、大嘘つきの私の言葉が信用に足りると思ってかしら?」
くすくす笑いながら、綺羅さんは私たちに向き直る。
「そうそう、蜂には刺されなかった? 一言、注意をするのを忘れてたの。ごめんなさいね」
「はい?」
蜂って。べつに蜂の巣のような物が軒先にブラさがっていた様子は……、
「うっわ。怖ッ! 見てみなよ。お婆さんの蔵の外側……」
「ええっと……うぅわ! 巣箱じゃないですか」
四角い木箱を重ねた物が、蔵のすぐ真横に置いてある。てっきり虻かと思ったら蜂って……私たちは、気付かずにこの傍で着替えてたのか。う~わーこわーっ!
「な、なんでこんな物が……家の外ならともかく、お庭の中でしょう?」
「お婆さまが、趣味で養蜂なさってたのよ。趣味だからその一箱だけなのね」
「まさかお婆さまの死因、アナフィラキシーってコトはないでしょうね」
「紅斑確認なんてできる状態じゃなかったしなぁ。でも日本ミツバチじゃ、よっぽどじゃなきゃ刺されないでしょ」
「よっぽどとはいえ、蜜蜂だってアナフィラキシーはあり得ますし」
不意打ちでこんな物を見せられては、さすがに胸のドキドキは隠せない。
「……とにかくね、家族も皆、混乱してるんだよ。一体なんでこんなことに……」
騒ぎを聞きつけて戻って来たのか、そこに居た伸夫さんもため息をつく。
「ええっと。失礼ですが、ご家族が最後にお婆さんの姿をお目にしたのは、いつ頃でしょうか?」
「……後ろ姿なら、ほんの二、三日前にも見たが。しかし……こうなってくると、それが本当に母だったのかどうかも……」
まあ、それはそうでしょう。
昨日までピンピンしていたお婆さんが、ほんの数時間でミイラに。……そんなバカな話をこの二十一世紀に、誰も信じるわけがないと思う。つまり「密室で怪死」と同じくらい、これはとんでもなくナンセンスな話。こんな物は、まともな頭の人間なら、犯罪として計画はしないでしょう。
「正面きって、顔を見て、言葉を交わしたとハッキリ記憶なさっているのは、いつ頃のことでしょうか?」
「……いくら会話が少ないとはいえ、同じ家に住む家族だしな。しかし、改めてそういわれると……」
ここで、伸夫さんは少し考え込む。
「断言できるのは、九月頃の……九月半ばかな。医者が家に健康診断に来て、その時くらいか。母は健康そのものだと、先生から太鼓判は押されてたよ。百までは生きるだろうってな。ただ、寝付けないので薬を幾つか処方して貰ったとは聞いたが」
「んー、睡眠導入剤か、向精神薬、どっちでしょう?」
「さあ、そこまでは」
ふむ、とカレンさんは考え込む。
健康上に問題があったわけでもなし、そうすると自然死や、衰えや苦痛が原因で、先を
「九月半ばって、ずいぶん前じゃないですか。ご家族なんでしょう?」
今は十二月の初頭だから、軽く二ヶ月以上は前ということ。
「……母は、気むずかしい性格でね。私にも、まともに口をきいてくれない状態で。それでも、以前はそこまでじゃなかったんだが、歳をとると余計にこう、ね……」
うつむき、ため息を吐く伸夫さんをみると、色々と家庭の事情もあったように思う。
「あそこに引きこもったのも母からだ。家族皆で止めたんだがね。楓姉さんと同じように晩年を過ごしたい、せめてもの罪滅ぼしだとか、ワケのわからん事を口にしててね」
う~ん……。罪……?
「どれだけ健康であっても、事故死や突然死はあり得ますわね。自然死か、もしくは他殺か。いずれにせよ、死を隠していた何者かが、ご家族の中に存在することになりますわ」
部長はじっと綺羅さんを睨む。
いや、だからそのっ……。もっとオブラートに包みましょうよ……!
さすがに少し、いたたまれないので、フォローに入ってみる。
「いえ、そうとは限りませんけど……」
「そう?」
内側から改めて八幡家を眺めると、家の正面の大きな扉は鍵がかけられたままで、通用口は母屋に渡り廊下で繋がる一本きり。蔵じたいは庭の真ん中にある。
「ええっと、『誰が/いつ/どうやって』を推察するには、
そう、そこは「ミステリー」では大前提。開かれた状況では、意味を為さない推理もある。
「逆にいえば、このお屋敷なら、ご家族じゃなくとも侵入は可能です。奇怪ですけど、それそのものは、不思議じゃないと思います」
うん、十分に「不用心な家」だ。
「それに、例えばお婆さんがこれまでに、インターフォンなり、口頭での会話せよ、既に『お亡くなりになっていたというのに返答があった』という可能性。怪異ですけども、現代なら、これはトリックと呼べないほど単純な物かと……」
「ああ、そうね。この前カレンがやったのと同じトリックね」
宝堂姉妹も相槌をうつ。
「え、私? ……ああ、そうか」
「何の話?」
「ただ、それはあまりにも荒唐無稽というか……
現状、既に十分すぎるほどご遺体の状況が荒唐無稽だけど……。
「まー、確かにこんなじゃ、
「あぁ……。
「だから、何よ。変な専門用語でいわないで、もうちょっとワカリ易い言葉でいって頂戴ってばー!」
花子さんはそういうけど、「しょんぼりトリック」はべつに専門用語じゃないと思うし、聞いただけで意味もわかるような。
とりあえず、今の一瞬で花子さん以外の全員に、ここで何が行われていたかの、予想はついたと思う。
……うん。それ自体は探偵の出番じゃない。
大昔ならともかく、今や大人ならほぼ全員、子供でも(親や家庭環境、学校の規則次第ではあるにせよ)、カメラも録音機能も備えた端末を持ち歩いている時代。日用品としてのデジタルガジェットは幾らでも溢れている。
もはや、それを「前提」として推理を考えなければいけない時代なのだから。
サンプリング・レートの高い「高音質の録音再生機能を持つプレイヤー」だって、普通に日用品で存在する。
肉声と聞き分けがつかないレベルとなると、さすがに条件も厳しくなってくるけど、老人の声で、尚かつ後ろ向きだったり「マスク等でくぐもった声」のようなら、誤魔化し通すことも、可能かも。
ましてや……。
「伸夫さんがお婆さんの姿を見掛けて、それがお婆さんであると自信が持てないのは……養蜂用の
「……あぁ。まさに、その通りだ」
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