第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(前編・その10)


 萎縮して言葉を詰まらせたままの私に、綺羅さんはクスっと微笑む。――なあんてね。ただの冗談よ、とでもいってくれたら少しは気が楽なんですけど、今回はそれは無し。


「それにね。お婆様が、苦しんで死んだとか、何者かに惨殺されたとかなら、少しは動揺もするでしょうけど、こんな意味不明な亡くなり方では、何ともいいようがないし、どう考えて良いかもわからないじゃない?」

「……確かに、そうですけど」


 うん。綺羅さんの言葉はいちいち、もっともだ。


「昨日まではピンピンしてらしたのよ。今朝だって。うちのお手伝いさんたちも、そう答えるでしょうね」

「……不思議な話ですね」


 極めて理知的で冷静な分析、納得の行く返答。やっぱり、「頭がおかしい」人のできることではないと思う。


「ね。これって、探偵の出番よね?」

「不思議でも何でもないわ」


 つまらなそうに部長が答えた。


「あら、どうして?」

「ですから、先ほども申しました通り、それこそ偽証だけで可能なトリックじゃありませんの? 幾ら何でも、そんな展開では凡百すぎますわ。いえ、起きた事件そのものは、十分に怪異で『面白』ですけど」


 ……あの。ご家族の不幸を前にして、まだ面白そうとかいっちゃいますか、部長。

 それに、さすがに偽証だけでどうにかなるような話じゃないと思いますけど……。


「でも、これは『面白そう』に見えて実際には『面白くない』典型例に思えますわ。一見して面白そうな雰囲気なのに、喋らせてみたらサッパリ面白くないタレントっているじゃありませんの。そんなカンジかしら。例えば……」

「いや、あの。っていうか、よしましょうよ、どこの誰とか具体例まで挙げるのは!」

「あなたたち、ずいぶんと仲がよろしいのね。ずっとだった私には、とても羨ましいわ」

「いや、あの、えぇっと……」


 綺羅さんは、中庭にある蔵の一つを、すっと指さす。


「これが、お婆様が暮らしていた離れなの」

「……離れって、普通に蔵ですよね、これ」


 ここに来る途中にバスの窓から見た蔵の群れと同じく、白壁黒板の蔵が庭に建っている。庭にこんな物のある家っていうのも、冷静に考えたらすごいけど。銘醸地でもないのだし、単純に個人資産の貯蔵庫として蔵があるっていうのもなぁ。しかも、十数メートル間隔でもう二つ蔵が隣にある。珍しいことに、なまこ壁は十字ではなく籠目紋になっている。

 ……これ、なんじゃなかろうか。

 ある意味、ペンキで模したなまこ壁より無茶だと思う。構造上。

 フっと思い返して周囲の「格言」を見返す。

 ここを建て直した人って……にでもハマっていたのかな……?

 それだと、どこかに「」を模した何かがあっておかしくはないか、と再び目で探してみるものの、さすがにそこまでベタな物は見えなかった。


「お婆さまは、座敷牢暮らしでしたの?」

「蔵座敷ね。江戸中期から後期には、蔵を『離れ』として使う資産家は、そう珍しくなかったそうだけど」


 財を成したことへの慣用句の一つに「蔵が建つ」という言葉があるように、蔵は蓄財の証。そして常にそこにギチギチに家財が詰まっているわけでもない。空きの有効活用の術として、他の用途に使うケースも多く存在した。


「現存の蔵座敷の殆どは、明治期のブームで改良、あるいは新造された物ですわね。こちらも、そのクチかしら?」

「あなたも、随分とお詳しいのね。そうね……建てられた本当の時期はわからないけど、今ある形には曾お爺さまの徳夫さんの手による物とは聞いているわ。せいぜい大正末期あたりかしら?」


 蔵の中に居住性を持ち込んだ物……というのは、そういう意匠の居酒屋も存在するくらいポピュラーではあるけど。ただ、目の前に立派なお屋敷のある庭の中で、わざわざ選んでここに住むのは、少しふに落ちない。


「……ということは、楓さんも同じ状態で暮らしていた訳ですよね、これって」


 蔵の前には、さきほどの駐在さんより少し若そうな警官、そしてエプロン姿の女性が何か話し込んでいた。


「あの、本当です。本当に私……粂さまの声を毎日聞いて……お食事も運んで……お、お嬢様もですよね?」


 この女性が、おそらく発見者のお手伝いさんだろう。不安そうな顔でこちらをみている。


「ええ、確かに。私も毎日聞いていたわ」

「じゃあ、なんでその……いるんです!?」


 隣の警官も、心なしか震えてる。

 部長は私に、小声でそっとささやく。


「普通ね、事件現場に一般人が入れるわけないじゃない? でも、ここならOKよきっと。居るのは頼りない警官二人だけ、肝心の医師も倒れているとなると、所轄本署の職員が来るまで私たちのやり放題し放題だわ!」


 あの、いくら何でも不謹慎っていうか。


「それにね。駐在ってことは、ただの巡査じゃないのよ。最低でも巡査長以上、巡査部長か警部補くらいの役職なのよ、あれだけ頼りなさそうでも。つまり……それなりの権限が使えるってコト! おわかり?」


 ニヤリと、邪悪な企み笑いを部長が浮かべる。


「いや、ソレってさすがにム、」

「お初にお目にかかります。私たち、聖ミシェール女学園『探偵舎』の者ですの。この度はこんな大変なことになって、心よりお悔み申し上げます。それで、私たち、先ほど綺羅さんと伸夫さんから頼まれましたけど……」


 大袈裟な身振りと口調で、軽やかに、華麗に、警官とお手伝いさんの前へ部長は一歩乗り出し、丁寧に名乗りをあげた。


 ……ああ、もぉ。知~ぃらないっ!




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