第十一話 閻獄峡ノ破『紅き焔』(後編・その7)

7.


「現状を整理すると、行動条件だけ考えれば、克太郎さんが主犯でも、十分あり得るわけだし」


 カレンさんが、一番痛い点を突いてきた。

 心情とか動機を外して、加害者被害者の位置関係や条件付けを、数学的に考えたなら、その疑問が出て来るのはもっともだと思う。カレンさんらしい、カレンさんならではの突っ込みだとも思う。

 私が一番「決めかねている点」も、そこ。

 福子さん(たぶん)も、カレンさんの疑問を受けて、話を続ける。


「……そうね。喜一さん主犯で考えていたから見落としてたけど、『宿から現場に誘い出す』とか『逢い引き時間を変更する』は、克太郎さん主犯なら不必要な要素かも。アリバイ工作としての、事前の善三さんへの伝言にしてもそうよね」

「ゴメンなさい、それ、私が喜一さんに犯人なんていっちゃったせいで……」


 ここは本当に反省する。私も「生き残ってる男性が犯人」のでいたから、しばらく見落としてたけど。


「うん、むしろ、杉峰楼内の動きだけなら克太郎さん犯人説で不自然じゃないわ」

「確実に相手を殺し、その為に男手を一人用意する……この前提だと、可能性としては楓さんの方がやや高いにしても、それだったら克太郎さんだって病弱なんでしょ?」


 うん、先輩たちの意見も、ごもっとも。


「ですね。ですが、このアリバイトリックはで組み立てていると思いますか?」


 虚を突かれたような顔を先輩たちが浮かべる。綺羅さんと、花子さんだけは表情を変えていない。

 というか、そもそも花子さんは会話に入ることもなくキョトンとしているだけだけど。

 んんん、と2年の先輩たちが考え込む。


「ええっと……? さっき巴は、楓さん犯人説の場合『差し違えてでも』っていってたよね? いや、それは覚悟の問題か。う~ん……自死の覚悟があるかないかは、そんな心の中までは、憶測しか出来ないなァ」

「あ、待って。もし『どちらかが生き残っていれば』の仮定ね?」

「単純に残った方が捕まって終わり……とは、限らないかな? あ、これだと工作に何の意味もなくなっちゃうか」

「むしろ工作が裏目に出るわ。つまり退路が無い、必殺の意志で、自らの命を賭した覚悟の産物……そう考えた方が収まるのは……かなり条件が絞り込まれるわね。そもそも第三者の手を借りようって時点で、計画的な『殺人』か『無理心中』の二択だろうから、え~っと……」


 うん、やっぱり宝堂姉妹は頭の回転が速い。突飛な発想をしがちな人だけど、論証や討議には向いている。

 本当だったら、彼女たちに推理してもらうべきだったと、つくづく思う。

 とはいえ、自分でいっちゃ何だけど、「あるのかないのかわからない秘密の通路」なんて存在を、あのチャートだけを読んで推測してしまう「」、さすがにこんなのは、私にしか出来なかったと思う。

 ……そんな意味では、初代部長、真冬さんという人はどうだったんだろうか。真冬さんも、間違いなく同じことを推察し、それを探した筈。

 ……頭がおかしい人じゃなかろうか。

 私なみに。


「はい。『克太郎さん主犯で無理心中』というケースです。現状、克太郎さんか楓さんか、組み合わせは四パターンしかありませんから、そこは単純な消去法です」


 地面に、木の枝でザッザッと、A、B、C、Dの文字を書く。


A:主犯が克太郎さん、目的は楓さんを殺害

B:主犯が楓さん、目的は克太郎さんを殺害

C:主犯が克太郎さん、目的は無理心中

D:主犯が楓さん、目的は無理心中


「まず、A。これは理不尽です。喜一さんを抱き込んだ時点で、『宿を一歩も出ていない』と偽証させれば、それだけでも成立するんです。加えて喜一さんのアリバイ工作にも、頭巾の女性はともかく、わざわざ自分に変装させたタエさんを用意して、出て行く姿を他人に見せる必要がありません。前提が理不尽なため、ここから派生してアクシデントで無理心中状態になる可能性もありません」

「アクシデント?」


 Aの文字の上からザッと×を書く。


「後述します。次に、B。克太郎さんさえ殺せば良い。この場合、おびき出して、協力者の喜一さんのアリバイ工作もして、あとは再び抜け道から戻れば何の問題ありません。また、その場に止まって第一発見者になるもよし、喜一さんに頼んで、打撲なり瀕死の傷なりを、自力では不可能な位置に受けて、気絶しておくのもです。また、アクシデントで本当に無理心中になって、事件の状態になった可能性もあり得ます」


 これも、一点無理な箇所はある。

 一先ず、そこも保留。


「次に。Cは、先ほど申しました。必殺の意志と死を賭した覚悟を克太郎さんが持っての犯行。倒錯的ですが、あり得なくはないです。保留します」

「……無理心中に、赤の他人を二人も協力させるってのは、ちょっと難しいかな。札束で頬を叩くか、喜一さんタエさんに楓さんへの深い殺意でもないと協力はないか。まあ、可能性はゼロでないとしても」


 カレンさんはそういって納得し、大子さんは少し眉をひそめる。


「道義的にも、あまり考えたくないわね。男二人がかりで女性を殺し、自分も死ぬ。それに協力するのは、私がタエさんだったらかなりイヤね。本気で楓さんが憎くて憎くて仕方がない程の殺意でもないと」

「なら、D。そのCの想定を男女入れ替えただけですけど、それなら納得できますか? 男一人を男女ペアで殺し、それに協力するタエさん。被害者が女性だとイヤな感じ、男性だとドラマチックになるという話なら、それはそれでナンセンスだと思います」

「……そうね、ゴメン」

「ですが、『男女入れ替えただけ』では済まない点があります。Dの状況は、Bの状況からそのままスライドできます。むしろ、Bを目的とし、Dの状況に――という点こそが、ここでの『覚悟』でしょう」

「覚悟とか、動機とかの内面に入って行くのは私はゼンゼン納得できないわ!」


 黙って聞いていた部長が、怒り出した。


「行動心理からの推測なんて、そんなの『』の探偵のやることじゃないわ!」


 本格かどうかは、まあ……どうでも良いんですけど。


「ええ。ですから、保留です。私も決めかねていますから。決定打がないんです。確証がありません。ですが……」

「ですが?」

「杉峰楼に来たタエさんが、という確証はんです。『タエさんに見えない女性』なら何でも良かった、そう想定すれば、B、Dは何の無理もなく通ります」

「……えっ? あ、Bの場合、わざわざ『楓さんにしか見えない人物』で杉峰楼に来る意味がないわね、確かに。Aの否定理由とは、一見同じようだけど……」

「うん。『克太郎さん(仮)』と違って、女性の方は『楓さん(仮)』、って点ね。しかもDであれば『楓さん』でも良いわけかしら。この差は、大きいな」

「つまりBの場合、一時十五分に『楓さんを発見した』とでもいって、タエさんが楓さんを連れて八幡家に戻ったことにすれば、」

「アリバイは二人ともに成立するわね」


 阿吽の呼吸で双子が即答する。部長は不満をあらわに文句をつけた。


「それじゃ、Bの場合まるで『逢い引きに宿に来た謎の怪人物χの犯行』になるじゃない!」

「それで良いんです。楓さんが犯行後もし生きていて、面通ししたとしても、善三さんも初代部長たちも『同一人物とは確信が持てない』筈です」

「そ、そりゃ同一人物じゃないんだから……。でも、それだと楓さんタエさん二人の共謀で犯行を行った、って疑うことも出来るわ」

「だから、女子二人の力では出来ない痕跡さえ喜一さんで作れたら、そこは問題なかったんです」

「……仮定の話じゃない」

「はい。ですが、前提条件で『楓さんらしき人』が逢い引きに来てはおかしくなります。例えばC。必要なのは『杉峰楼から出て行く克太郎さんの姿』ですから。楓さんの八幡家からの失踪は、家族の者なら事件後にでも、通路の使用にピンと来る筈です。不必要要素です」


 地面に描いたCに、横線を一本入れる。

 動機や行動に理不尽が多く、整合性はつかないけど、それでも、「可能か不可能か」でいえば可能の範囲になる。だから、まだ消すわけにもいかないけど。


「そして、Bの予定が結果論としてDになった場合。死体となった楓さんと、顔を隠した『謎の女性χ』が果たして同一人物に見えたかどうかは、謎です。ですが、Bを計画し、Dになることをもしていたなら――同じ服装は用意していたしれません。ここは『絶対要素』ではありませんけども」


 この場合、謎の女性χの捜索を警察がしなくて良い点。

 おそらくは、それも目的としている筈。


「つまり、蓋然性で考えるなら、確かにB、Dってなるわけか……」

「Cは……無理が多いわね。『できなくもない』けど、理由不明の奇行を想定し、やらなくても良い工作を多くやることになるもの」

「それと服装もです。Cであるなら『克太郎さんらしき人』と死体の克太郎さんが、同じ服装でなければ困るわけです。幾ら『克太郎さんの外套』であることが証明されようと、杉峰楼から事件現場間であるのは、さすがに不自然と思います」

「不自然は不自然だけど、考えられなくも……」


 それすら、物だ。

 少し迷いながら、部長がため息を吐く。


「……確かにそうね。自分の替え玉と服装を違えるなんて『』わ。でも、やっぱりそれだけじゃ決定打にならないわ。克太郎さんが、よっぽどの馬鹿で頭がおかしい可能性、これだってゼロじゃない限り」


 ひどいなぁ。


「そして次の要素。確実に殺す為に、二対一の状況に持ち込むことが計画の要……と、現段階では推測しています。正直、ここには自信がないですけど。ですが、アリバイトリックは喜一さんの犯行参加を前提にしなくてはいけない物ですから、そこは外せません」


 ……ここは、どうしても引っかかる。

 何か、私は見落としてはいないだろうか。

 今挙げたパターンの中にない、もう一つの可能性。直感的にそれが何なのかを、モヤっとする頭の中で示しているけど、それはまだ「推理」という形で提示するには、材料が足りな過ぎる。


「そして、その前提で考えると、十二時三〇分に喜一さんが祠に到着した時点で二人とも生きてないとおかしくて、誘い出した方が話を長引かせる等、引き留める。そんな計画だったと思うのですが。なのに喜一さんが到着した時点で既に死亡、または瀕死状態……そう考える方が適切でしょうか」

「……それがつまり、アクシデントの発生?」


 アクシデント――その一言で、片付けて良い物なのだろうか。

 謎の行動、その理由。私が本来「推理」しなければならないのは、なのに。


「だとしたら、どっちが先に刺して、どっちが主犯かは……どちらが主犯であっても、結局絞れないわね、難しいわ」


 2年生たちが考え込む。


「う~ん、密室の中に二人、目撃者もなし、二人共死亡で『どちらが先か』は、まさにブラックボックスかな。科学捜査での死体検分でしか、結果は出せないと思うよ」

「もっといえば、主犯が結局喜一さんでもいいわけよね。主犯共犯の主述の関係は、実際に当事者の証言でしか絞りようもないもの。脅迫か甘言か、利害の一致か、それで共闘となったなら、むしろどっちがどっちでも同じだもの」

「それは乱暴な意見だなぁ……」


 部長の、もともと険しい顔をしていた(可愛い顔なのに……)表情が、更に険しくなる。


「乱暴なんてものじゃないわ! いいこと? 福子さん。ブラックボックスだからどっちでも良いなんて意見は、探偵にというような物よ!」

「そ、そうなの?」


 うん、部長はちゃんと大子さんと福子さんが見分けられるんだなぁ。


「そこは私も部長に同意ですけど。ともあれ、そういった点で私も決めかねているし、確証もないんです。ただ、一人で殺せるのなら、最初から喜一さんを共犯の実行犯には必要ない気もします。とりわけCなら、喜一さんには杉峰楼から一歩も出ないで、偽証だけさせておけば問題ないんですから。危ない橋を渡る必要もないですし」

「Cだと、不必要要素ばかりになるなぁ」

「絞れるじゃない」


 そういって、綺羅さんが微笑んだ。


「何にです?」

「動機」

「……仮に楓さんに何らかの秘密があり、それを嗅ぎ取った克太郎さんが脅迫していたとして。楓さんの幼馴染みかもしれない喜一さんと、お屋敷で親しくなったタエさんとで一致団結し、計画殺人にまで至るような理由は、私には想像つきません」

「わかってるじゃないの。面白い子」


 確証の得ないホワイダニットを推理の主軸にはできない。だから、その論は外す。


「……あの、綺羅さん。一つ訊いてよろしいでしょうか?」

「何かしら?」

「……先ほどのような、露悪的な因縁話、あなたの家系の人は、よく口外なされているんでしょうか? 例えば、熱心なクリスチャンの前で、先ほどのようにキリシタン虐殺の歴史がこの地にあったこととか」


 正確には、虐殺とは違う筈だけど。「殉教」は切支丹たちにとって、ある種のだったから、嬉々として死を選ぶ彼らに対し、幕府は改宗を迫るための「拷問」を行った。

 もっぱら、その苦痛で大半は死んだそうだけど、外人の宣教師すら、改宗して切支丹を側につくほど、その拷問は熾烈だった。


「そこはわからないわ。お爺様なんて私が産まれる前に亡くなっていたもの」

「なら、なんでこのお堂の天使様はこんな形にされているんでしょうか?」

「さあ? 卍文が必要だから、仏閣にする必要はあったんでしょうね。そして、これが何なのか。それはきっと、もう誰にもわからないわ。この村の由来が何なのかと同じく」


 ――な、何の話? ……声には出さないでも、宝堂姉妹が私にそう、目で訴えている。ちょっと答えにくい。そもそも、私だってわからないから、こうして質問してるんだし。

 ただ、宝堂姉妹の指摘した「隠れ切支丹」の否定をしていながら、私の話に即座に受け答えられたからには、綺羅さんもを理解している筈。


「……八幡様ではないですし。何なんでしょうね。とにかく――」


 が原因かはわからないけど、何らかの理由で、そのドイツ人はこの村に憎悪を向けた。恋人にも。どの程度の恋仲だったのかはわからない。簡単に捨てられる程の物だったのかもしれない。

 原因は、理由は。現時点ではまだ、何もわからない。でも、その放火事件が後の殺害事件と、無関係な筈はない。


 火事の後の、親御さんによる拘束――「娘を人前に長期間出せない理由」があったか、楓さんに心因的な理由で自発的に引きこもったか、そのがあったのなら、そこからは実にシンプルな「答」が導き出される。

 とはいえ、あくまで私の憶測だから、は口にはしないけど――。


 しかしこれらの「組み立て」「構成」は、もう一つの可能性を示している。


 ……もし、そうだとするなら。初代部長、真冬さんって人は、私にとって、やはり尊敬に値する「」だったのかも知れない。

 喜一さんが、で出て来られたことも。お婆さんもあんな淡々とした語り方をしていたことも。

 誰にもそのことは話さないで、胸の奥に仕舞い込んで、そして飄々と、颯爽と、その「名探偵」は園桐を去って行ったなら――。


 凍てつくほどの殺意の刃を。

 きつくす程の情念のほむらを。

 深い悲しみと狂気のつぼを。

 血の紅に染まる想いを。

 救われない物語を。

 その名探偵は――解決したんだ。

 私には、ただ逃げ出すしか出来なかったようなものに、悠然と立ち向かって。


 ――私は、真冬さんがどんな人なのかを知らない。会ったことも、話したこともない。どんな推理をしたのかも、ましてや、今ここで知れたのは、犯行の結果と当時の人たちの行動足跡のメモ、そしてそれを「解決した」という事実のみ。

 だけど。


 私の旺盛な想像力が、ひょっとすると「ただの妄想」が、この「タイムチャートと登場人物」だけの表の中からを浮かび上がらせる。

 名探偵と、その推理の過程。その、結末を。

 凛として「立ち向かえた理由」を。


「……元々用意されたと思われるアリバイトリックが、変装による時間ずらしだとすれば、怪死の理由もわかりますよ。腹を引き裂いたのは胃の内容物の消化による死亡時刻特定を誤魔化すための物でしょうね。ではなく、です。犯行直前に科学捜査のことに気付いたか、何かのアクシデントがあって、喜一さんが『そうせざるを得ない』事態に陥ってしまったか。朝食に関係あるかもしれませんし、そこは鑑識の領域なので推測に留めさせて貰います」


 ……犯行直前に何らかの理由で、殺害対象を、可能性も。

 それは、初代部長が闘うに足る理由。

 ――「う」推理。


「……AとかBとかまどろっこしぃし、何より、一々理尽くめ過ぎて面白味にも欠ける推理だったわ。それでも、あなた達の話を聞く限り、事前に知り得た情報の乏しさから考えても、そこまで導き出せたのはお見事としかいいようがないわね」


 ゆるやかに綺羅さんは手をあわせ、音のしない拍手を贈る。



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