第十一話 閻獄峡ノ破『紅き焔』(後編・その5)

※やたら事件の起きた頃のことを「半世紀前」と作中で口にされますが、今となっては半世紀じゃ効きませんよねぇ(笑)。

 本作品は時空が歪んでおりますので、「昭和29年(1954年)」は、(ここへの掲載時の)令和2年の観点ですと66年も前になりますが、-20年分ほど脳内変換していただければ幸いです。


- - - - - キ リ ト リ - - - - -


5.


「でも、あなた達ミシェールの子なら――経緯も顛末も、全て知っているわよね?」


 和装の女性は、そういってふふっと微笑む。


「残念ながら、存じておりませんの。というよりも、既に記述も資料も散逸した本件、残された僅かなヒントだけを頼りに、それら過去の出来事を推理するために、わざわざこの隔絶された辺境の地まで参りましたの!」


 いや、だから部長、そーいった言葉のトゲトゲは……。


「推理?」

「ええ。発見時の状況と、当時の関係者の方々のアリバイ証言などから、謎の真相に迫ってみようかと思って」

「へえ、面白そうなコトやってるのね」

「丁度良いですわね。あなたが事件の顛末を『ご存知』でいらっしゃるなら、良い答え合わせも出来そうだわ」

「私があなたたちに真相を教えなければならない義理なんて、どこにもないじゃない?」

「そ、それはそうですけど……」


 高飛車な態度だった部長も、一瞬でたじろぐ。うん、まあ正論だと思う。っていうか、この人の方が部長より一枚うわかなぁ。


「……ふふ。なぁんだ、何も知らないで来たんだ。道理で、あなたたちったら、こんなに悠長だったのね」

「えっと、それって、どういう――」

「ここに来るのも、遅すぎなの。おば様の命日、とうに過ぎちゃったもの」


 和服の女性は、献花の置かれた碑を、すっと指さす。


「あぁ……それはその。失礼しました。確かこの時期でしたよね、楓さんと克太郎さんがお亡くなりになったのって」

「そして私は、死んだ楓おば様の姪──に、あたるのかな。名前ははた

「あーっと、ええと私たち……」


 慌てて私たちは各自、軽く自己紹介をする。失礼な上に、ちょっと遅すぎる気もした。それに、事件当時には生まれていなくても、思いっきり関係者の家族の人じゃないですか。

 もう、この段階で十分なほど、不謹慎だし非常識だしで、少し顔も紅くなってくる。

 そしてお婆さんのおっしゃってた、楓さんに生き写しの「キラさん」がこの人なら……紙に記された名前と文字でしか知らなかった、半世紀以上前の事件で被害者だった楓さんが、目の前にヒョイと現れたような、そんな不思議な感覚も湧きあがってくる。


「あの、半世紀前の事け……」


 いいかけた私の口を部長が塞ぐ。


「むぐぐ」

「それより、呪いが何ですって?」

「聞きたい?」

「もちろん!」


 部長だけがうなずいた。


「でも、杉峰楼のお婆さんから、皆さんもう殆ど伺ったんじゃないかしら?」

「今のところ、幾人となくこの村からは発狂者が出た話とか、戦時中この村に招かれていたドイツ人技師が、突如暴れ出して火をつけて逃げ出した件とか。それと、例のアベック殺人事件。そんな辺りかしら」


 いや部長。そんな話、面と向かって八幡家の方にするのもどうかな、って……。


「あら。じゃあもういいわ」

「ええええ!?」

「だって、今から私がそれと同じ話に、いちいち大袈裟な脚色をしたり、おどろおどろしく膨らませてなぞっても、時間の無駄でしょう?」


 うん。そこは私も同意見。

 というか、オカルト的な話にはそんなに興味がもてない、ってのもある。


「勿論、。今は楓おば様の事件より後の話は、余計でしょ?」


 ま……、まだ何かあったんですか……?


「それでもね、そういった話がまかり通るくらいには、ここは代々不穏なことが起こる因縁の地で、あんな殺人事件も起きて。そういった運命の数々は、果たして、人の意志で、人の手で、起こせるような物だと思うかしら?」

「起こせたから、真冬さんは……うちの初代部長ですけど、解決できたんじゃありませんの?」

「その少女探偵さんは、本当の意味ではこの村の事件を、何も解決はしていないわね」


 綺羅さんのその一言に、ムっとして部長は食いついた。


「そんなコトありませんわ!? ちゃあんとその事件は──」

ね。確かに、その真冬さんって人が片付けなければ……きっと、それだけでは終わっていなかったわ」


 私も、綺羅さんの言葉に無言でうなずいた。


「初代部長……香織さんのお婆様が、どこまで解決したのかは、私も気になりますね」

「と、巴さんまで何をおっしゃるの!?」


 解決とは、どこまでを指すのだろうか。トリックを暴くこと? 犯人が誰であるかを指名し、動機を暴くこと? それとも……。

 何より、初代部長は飲み込んだんだろうか。


「……うーん、ちょっとまだ、確証がもてないんですが……」


 コンクリートの慰霊碑を眺める。事件当時、この「現場」は木で出来た祠だった筈で……。


「発見時、ここにあった祠は、簡単な密室になっていたわけですよね?」


「厳密には、密室とは呼べないかも知れませんけど。確か、カンヌキが内側から──」


 部長が資料をパラリとめくる。まあ、その資料内容は見るまでもないだろう。


「ええ、紐一つあれば操作できますし。他にも、雪の塊を置くとかの、簡易なトリックは何パターンでも思いつきます」

「現場そのものが無くなった今となっては、何もかも闇の中ですわね」

「ですが部長。なくても、一つわかることがあります。『密室』と『アリバイ』はミステリーの王道ですけど、その違いは何だと思いますか?」

「え? えーっと……」


 部長は、少しうろたえる。とはいえ、そこはさすが部長。すぐに即答。


「トリックとは、『犯行は困難』と思わせることよね。可能か不可能かでいうなら密室は『不可能状況』でもあるわ。物理的な壁に阻まれて犯行不可能か、時間的な整合性で犯行不可能かの差ね。現実的かどうかで考えた場合、ようはアリバイの方に利があるって話かしら」

「江戸川乱歩の解説でもありますね。でも、警察は『物理的に犯行不可能』なんて判断は下しません。出入り不能な現場で不自然に人が殺されたとして、だからといって誰も出入りしなかったことにはなりませんから。ゆえに、自殺にも自然死にも見えない密室状況とは『犯罪の隠ぺい工作を行った証拠』になります。それに対しアリバイとは、特定人物に対する『犯行不能の証明』です」


 へぇ、と、さも面白そうな笑顔を向けて、綺羅さんは私を見ていた。


「前提として、自殺か自然死に見えるような物でなければ密室は意味を為しません。祠に何か細工があったとしても、それは精々、発見を遅らせる、あるいは早めるとか、現場に簡単に人を踏み込ませない為のものと考えて良いでしょう。私は、死体を《発見者にすぐ触れされない為》だったんじゃないか、と推測しています。密室トリックではないんじゃないかな、って。では、犯人にとってのは何なのか──?

 それはもう、答えは出ています。部長は確かこうおっしゃいましたよね?」

「あら、私ったら、何ていったかしら?」

──そんな不自然な話はありませんよ。なら、簡単です。入れ替わった謎の人物も、怪死も、全て『アリバイ工作』のみが目的になります」


 そう。その一点だけで、すべてが構成されているのがきっと、その「半世紀前の事件」なんだ。


「素敵ね。面白いわ。あなたの推理……もっと聞かせてみて?」


 綺羅さんも私に微笑む。どうしようか。確証はない。

 それに、私は先輩達に推理してもらおうと考えていたけど……。

 現に、宝堂姉妹は殆ど「解いている」と思うし、部長だってそこは同じ。

 でも、ここから先のこれは「」のだから。


 私が、それを口にするしかないのか。


 何より――今、ここには綺羅さんがいる。私にはまだ解けない、確証のもてない、知り得ない、最後の「一線」を越境するには、彼女から訊くしかないのだから。

 地元の他の人に尋ねようとも「答」は得られない。真相を「知る」には、正解を「得る」には、真冬さんに連絡をとるか、綺羅さんから引き出すしか、今は「」ということ。

 でも、真冬さんは――どうだろうか。私たちは既に、相当出しゃばった真似をしている。とてもじゃないが、訊けはしない。

 綺羅さん以外にも八幡家の人はいるだろうけど……当時を知る人なら、彼女以上に口は硬いかも知れない。

 そして、今目の前にいる彼女は、そう易々と正解を口にはしないタイプに思えた。


 私は――だから、まだ不確かで、最後の一手を詰められない、根拠の乏しい「推理」を開示することで、彼女と差し向かう手法でしか、解を得る手がない。

 それは、やって良いことなのだろうか?

」なんて。探偵として。


 ……探偵?

 私は、それを既にいるの?


 ……真冬さんは。初代部長は、何故探偵なんてやれたんだろう? 「謎」とは、究極的には二つしかない。「偶然」そうなったか、「誰か」が仕組んだか。前者ならまだ、興味や好奇心で真相を探って行くことに、何の疑問も抱かないでいられる。でも、後者なら?

 人の生き死にを見つめ、被害と加害の谷間で、誰かの塗布した「嘘」を見抜き、暴くこと。並みの神経じゃ、そんなことはできない。

 私は、どうなのだろうか。闘うことも、立ち向かうことも出来ないまま、臆病に逃げ出した私に、「探偵役」なんて……。

 踏み込むべきか。退くべきか。

 まるでぐるぐると景色が歪むように、私は考え込む。


 ――気にすることはないわ。そんなの、大昔の話じゃない。歴史の教科書に載ってるような話と大差ないわ――。


 そんな簡単に割り切れるものじゃない。

 首を振る。

 できっこない。


 ――知ることは何も悪くない。あなたは何ひとつ間違っていない。


 悪くなくても、間違ってなくても、それでも私は苦しんだから。

 真冬さんは――どんな気持ちでそれを暴いたの? 私には無理。できっこない。

 興味本位で、面白半分に首を突っ込み、過去の事件を暴くこと。それが、どれほどの痛みを引き起こすのか。つい先日だって、を噛みしめたばかりじゃないか。

 美佐さんはああいったけど、それに対して「そうですか」と涼しい顔でいられるわけがない。

 例えば、今だって。綺羅さんにとってそれは、「血縁者に起きた不幸の話」なのだから。産まれる以前の、面識すらない相手のことであれ、易々と他人が口を挟んで良いわけがない。

 ……ら、

 うん、その通りだよ。

 あなたは、いつだって、正しい。


 ……だから、逃げちゃえば良いんだ。

 こんな過去の事件なんて、知らん顔で、首をかしげながら、適当に相槌をうって。推理なんて、する必要すらもないじゃない。

 とうに終わった事件で、解決済みで。私の出しゃばる幕でもないじゃない、これって。

 ――そういわれてるじゃない?

 だいたい、どんな事件でも犯人がいて、被害者がいて。どんなに過去のことであれ、きっと今でも苦しんで――。


 ――後悔は、してません。


 美佐さんの言葉が、脳裏に蘇る。

 美佐さんの、あの微笑み。

 彼女は――そして、喜一さんは、今はきっと、幸せに暮らしている。

 幾多の苦難も、過去の罪も乗り越えて。

 彼女が幸せでないはずがない。

 立ち向かって行けた。逃げ出さないでいられた。どうやって? どうして?

 わからない。

 名探偵は――ただ「暴く」だけじゃない、颯爽と「解決」したのなら――。

 ……私は、

 その、「わからない」ことに対して、本心ではどう思っているの?

 真冬さんは、の?

 正直に。自分の胸に、問いかけてみる。


 延々と巡る内省。引っ込み思案で臆病で、それでいて……な、天の邪鬼な私の本心。

 ……わかってる筈だよね、本当は。

 取り繕わなくても。

 誤魔化さなくてもいい。

 私だって――立ち向かいたかった。

 逃げだしたくはなかった。

 もう――――

 だから……、

 ――――そう。


 ……私は、

 ――それを、「」と、思う。


 そうだよね。私は、真相を知らない。

 だからこそ、飛び込むしかない。物語の名探偵のように、颯爽と全てを「解決」なんて、できっこないんだから。

 ……対峙する勇気はないけれど、それでも、これは――


 閉じかけていた目を開き、ためらいがちに、私は口を開く。


「……お聞かせできるほどの物でもないし、正直まだ色々、必要情報が『足りない』のですけど……これから私のする話は『逆算』からの演繹えんえき、いってみればです。推理小説を結末から逆順に読むようなやり方です。その前提で組み立てます」

「ズル?」


 綺羅さんが小首をかしげる。


「――まず、アリバイトリックを必要とした前提から『犯人、または共犯者が八幡家に関わった人間に限定され、ゆきずりの犯行の可能性はる必』という点。また、初代部長に『解決』された時点で、部外者犯行の可能性はという点もあります」

「……前提条件からの逆算は、……ちょっとひどいわね」


 さすがに、部長も少し顔をしかめる。


「すみません。でもここは私たちにとっての『大前提』ですから、無視もできない要素なんです。次に……共犯に女性がいる。構成から考えて、該当可能なのは八幡家のお手伝いさんでしょう。杉峰楼の女性従業員には謎の女性来訪時にアリバイがありますが、仮に証言の幾つかが偽証で、従業員の誰かだと想定しようにも、声色や変装で、さすがにのは無理があります。そうなると、」


 ……「共犯者その一」の宣言。ここは、やっぱり少し、気が重い。


「――タエさんが、変装して杉峰楼に来る、克太郎さんの外套を羽織り、出てゆく。帰る。そしらぬ顔で家事に戻る。タイムチャートを見る限り、少し考えれば誰でもそこには思い至れるでしょう。つまり、一番肝心な点は


 えっ? と、綺羅さんは不思議そうな顔をした。

 部長も、いや先輩たち全員がそうだった。


「……巴ちゃん、私も同じこと考えてたわ。犯行には同じく杉峰楼の従業員の喜一さんが関わっている、って。後姿しか見てない刑事さんならともかく、『』見てそれを克太郎さんだと証言するのはさすがに無理だもの」

「そうね。その時間には既に、被害者の二人は殺されていたかもしれない、ってことも。朝八時からお昼までの間に『』を克太郎さんに伝えるのだって、杉峰楼に居る人にしか出来ないものね」


 阿吽の呼吸で、宝堂姉妹が交互に口を開く。


「だから、さっきの巴ちゃんの犯人宣言に、『ああ、よかった。やっぱり』って思ったの」


 ……スミマセン。


 言葉を交わさないまま、大子さんも福子さんも同じ推理を展開していたのはさすがに感心する。


「私はそこまで考えてなかったなぁ。あ、そうか。克太郎さんがコトを隠蔽できるのも、従業員の喜一さんなら可能だね。ん、時間の変更って?」


 やっぱり「替え玉を用意して、克太郎さんは午前中のうちに抜け出す」という推理は、カレンさんも考えていたみたい。


「うん。事前に、善三さんには昼頃に来客の旨を伝えていたのよね? その後、何か『変更』の連絡を受けた克太郎さんが、フロントが喜一さん一人の時を見計らって、それこそ『口止めを願い出るような形で』なら……被害者自身が慎重に、コッソリ宿から抜け出したとして、不自然な痕跡も残さないかな、って」

「そして、少なくとも最初の時点では『忍ぶ』ような話でも相手でもなかったって訳よね? だから、そこに何らかの『変更』はあったと思うの」

「この来客の伝言がなかったら、顔を隠した人がそう簡単に奥までは上がれなかったでしょうから、工作には絶対必要で、これには最低でも『克太郎さんの事前協力』がないと、あり得ないもの」


 うん。交互に口をひらく宝堂姉妹は、既に十分な推理を展開していた。阿吽の呼吸でこれをお互い理解していたのか。


「でも、それ以外で何か重要な点はあるの?」


 不思議そうに、不安そうに、宝堂姉妹が訊き返す。

 旅館なんだし、朝のうちから食材の配達等の出入り業者も多いのだから、逢い引きを誘うような手紙でもどこかからことづかって受け取る等、克太郎さんへの「変更」の伝達手段は幾らでも考えられるとして。この時間変更の要素は「アリバイ工作」に、絶対欠かせない点なのも確か。


「……このタイムチャートを観る限り、一番不自然な点はどこでしょうか。そして『内臓をえぐりとる』ような怪死にしなければ、ともすればこれは『心中事件』で収まっていた筈です。何故、わざわざそんなことをしたのでしょうか?」


 ――動機に。


 結局、私はそこに踏込まないといけない。




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