第十一話 閻獄峡ノ破『紅き焔』(後編・その2)

2.


「ふむ……ということは、この岩山の奥に隠された秘密の地に、土俗と猟奇の排他的で因習にまみれた呪われし怨念村があると思って良いのね?」

「ないですないです」


 っていうか部長、祐二さんの前で何いってんですかちょっと!


「あら巴さん、ないっていいきれるの!?」

「断言しますけど、ないです。この周囲の様子を見ても、だいたいわかるじゃないですか」

「……そうよねぇ。まあ、私だってわかっててボケてるのよ。だって! ガッカリっ! してますもの!」


 まあ、さすがにそうでしょう。

 ごく普通の、それはどこにでもある日本の郊外の景色。思い描いていた猟奇世界とのギャップで、きっと部長は不満で一杯なんだろうなぁ。

 ……とはいえ、正直なところ、私はちょっとこの、地形の「隔絶っぷり」にドキドキしていた。今現在ならともかく、これなら過去の時代に、ある種の文化の分断が起きていてもおかしくはない。

 いやいや、それは決して、悪いことばかりでもないし。


「……でも『縁切り』って表現は本来、そう悪い意味で使われていた物でもないんですけどね」

「そうなの?」


 私の言葉に、不思議そうな顔で部長が食いつく。


「悪縁を絶つ意もありますし。近代まで世界的にもあり得なかった、女性からの離縁を幕府によって保証された『縁切り寺』の制度が、江戸時代初期から日本には二箇所も存在したんです。鎌倉と群馬ですけど。これは、わりと日本人として誇れる話ですよ」


 豊臣秀吉の孫にあたる奈阿姫が、家康の孫にあたる千姫の義娘だった為、大阪夏の陣の後に助命され、臨済宗のお寺に尼僧として預けられたことから始まる『縁切り寺』。

 豊臣の血はそこで途絶えたけれど、不当な暴力から女性を守る制度を、まだ武断社会だった江戸時代に、そこで確立させた功績はとても大きかったと思う。


「アナタったら、どうしてそーゆーのがスラスラ出て来るの」

「すみません……」

「いや今のも、別に謝る所じゃないでしょ!」

「ちさちゃんもホラ、そー威圧的にいうから巴も縮んじゃうんだってば。この子これ以上縮んだらなくなっちゃうって」


 うぅ……。


「でも、どうなのかな?」


 大子さんは小首をかしげる。


「ここって、そういった由来とは違うんじゃないかしら?」

「う~ん……まあ、確かにそうですけど」


 ……その千姫が再婚後に産んだ、実の一人娘の嫁ぎ先がここ、備前の池田光政なのだから、全く繋がりが無いわけじゃないんだけども、さすがにちょっと、そこは強引かな。


「何の縁を切ったのかは、実地で調べない限りわからない話かしらね」

「調べても、わからないんじゃないかって気もしますけども……」


 とりわけ「歴史」という物が絡むなら、憶測で「仮説」は立てられても、決定打なんて出ない場合が多いし。私たちはいまだに、邪馬台国の場所すらわかっていない。

 そして、「断言しますけども」なんていっちゃったけど、実際どうなのだろうか。

 ……うん、まあそんなおかしな村ではない、はず。たぶん。


「んー……まァ、ワシが聞いた話じゃと、『異名』ゆーんでもないようなんじゃけどね」


 こちらを振り向かず、祐二さんがボソリと告げた。


「えっ……?」

「あ、いやまァ……ホントの所はわからんよ? でもねえ、なんか、最初っからここは『縁切り村』とか『エンギリ峡』とか呼ばれよったそうなんよ。『園桐』の方が後付けらしゅうてね」

「そ……そうなんですか……」


 閻獄峡――そういえば、そんな異名がある、と聞かされた話を思い出す。

 ……う~ん、どうなんだろう。ちょっとこう……イヤな想像までしてしまう。


「それってエリンギが名産だったとか、そういった話かしら」

「それじゃコントですよ、部長……」


 祐二さんもははっと笑う。


「まァ、村ン中の方にしても、八幡さんトコにしても……色々あるけぇね」

「色々?」

「あ、いやァ、何でも」


 祐二さんは言葉を濁す。……そこで言葉を濁されましても、その。


「色々……ね。いずれにせよ八幡さんのお宅には、一度お伺いする必要があるわね、美佐さんとの約束もあるし。発見現場の祠も見ておきたいわ。ただ、当時の目撃者の証言なんかは、さすがに望めそうにはないわね」

「そこなんだけど、克太郎さんらしき人が出て行った姿は、香織さんのお爺様たちも目撃してて、楓さんらしき人は、出て行ってないんですよね?」


 大子さんが部長に問いかける。


「二階に上がって行くのはみんな見ているけど、知らない間に出て行った可能性はあるわよね、気付かなかっただけで。でも、誰も出て行く姿の目撃はしていないみたい」


 ん~、とカレンさんも首をかしげる。


「ホテルとか旅館ってさ、普通そう簡単にフロントの目をかすめて、コソっと出入りは出来ないんじゃない?」

「宿泊費を踏み倒して逃げられたら、大変ですものね」


 少し考え込んで、福子さんが口を開く。


「それもそうだけど……でも、正面玄関以外のどこかから出入り、いえ、この場合『出る』だけで良いのかな。それは、出来たのかも?」

「二階から?」

「う~ん、積雪があるなら、窓からぴょんと飛び降りるのもできなくもないだろうけど」

「音は? まったく無音で飛び降りるのは、さすがに無理じゃないかな?」

「広さに対して従業員が少ないから、聞かれるか否かは根拠に出来ないかなぁ」

「それに一階からならまだ、勝手口その他から出る手もあったのかも。階段だって一つだけじゃないでしょうし、足音を殺して二階から一階にこっそり降りた可能性も。この旅館の広さを見る限り、従業員や他のお客さんの目を盗んで、そっと『抜け出す』ことは、そう困難じゃないかな、って」


 う~ん。

 確かに、「抜け出せなければ」所はあると思うけど。ただ、そこには正直、そう面倒なトリックは必要ないはず。


「でもそれだったら、脱出しなきゃいけない理由って物が、必要になるんじゃないかな?」

「とすると……。入れ替わりトリック、」

「かな?」


 宝堂姉妹が交互にそう口にする。


「なんで?」

「誰かがやってきて、誰かが去ってゆく。どちらも、正体の掴めない格好をしているのなら……と考えればすっきりするわ」

「でも、それだと、入れ替わる意味がわからないよ?」

「いえ、わかるわ」

「わかるわよね」


 うんうん。というか、わからない方がおかしい気もしますけど、これ。


「むしろ、ここでおかしな点はどこだと思いますか?」


 黙って先輩たちの考察を聞いていた私も、大子さんに付け加えるように意見をする。


「おかしいっていうなら何もかもじゃない。なんで顔を隠してたのかとか。なんで一人消えたのかとか」

「楓さんがお忍びで、克太郎さんに逢引に来たとするなら、顔を隠す意味があるかも知れません。その設定でならです」

「アリかなぁ?」


 。ただ、それが「楓さんである必要」がまだ、私には想定できない。


「次に、消失トリック……これは、どうみてもオマケですよね?」

「オマケって。無視して良いようなポイントじゃないと思うけど?」

「あってもなくても良いっていうか、たぶん犯人にとっては考慮の外なんです。、と思って。あ、ここですね?」


 とりあえず、案内された部屋の前に立つ。ここで、当時からここにいるお婆さんにお話をうかがうことにした。

 仲居頭の指導役の位置とはいえ、実質隠居のような扱いでそのお婆さんはいた。


 雪さんか苗さんか留さんか稲さんのいずれかでしょうけど、祐二さんからはつい、お名前を聞きそびれていた。


「やぁ懐かしねェ。美佐の制服じゃーな。真冬さんも、そーやぁそーじゃっけなぁ。あど、あの子ら……え~何じゃっけかなぁ、えー」


 目を細め、お婆さんはウンウンと頷く。

 さすがに、いきなり当時の事件のことは切り出せない。部長は、再び可愛らしくも丁寧に挨拶を交わし、まずは世間話風に村のことや、八幡さん家のことから話を振り始めた。

 この話術は本当に見習いたい。

 お婆さんはウンウン会釈するだけで、結局お名前を訊いても、自分で自分を「婆ァ」と名乗るくらいに、ちょっとその、……ぼけていらっしゃる所がうかがえた。


「うん、せーでな、ヤハぁさんいぇーが、ここらぁでいじ番古ぅに由緒ある家じゃね。お武家様やら、そねーなんじゃーねーけどねぇ」

「あ、陸奥八幡氏の血筋じゃないんですか」


 武家でなく農民なら、下賜されたものか、祖先の故郷の地名由来かなぁ。


「そン昔になぁ、一代で財を為っしゃっさ、伊作しょー じゃ様ゆぅのがおっせな。関西かぁ九州かぁなんやヨソから来よぉな商人なんじゃけどね、せーが村においでんせーで……貧乏な村の庄屋様んいぇに住まわしゅもろぉよーなで」

「その昔って、如何ほど昔のお話でしょう?」

「わしが聞いせなんは、みづ政公の頃じゃっけのぅ」


 それって、軽く四〇〇年近くは前じゃないですか。さすがに、口伝伝承での正確さや信憑性は、望めない気もする。


「庄屋様ゆーよぅなでも、皆貧乏な百姓の村じゃから、そのしきり役ゆーじゃけで、暮らしぶりはそこらの百姓ど変わらんよーなんよ。そいで、伊作さまはこの村に毘沙門さまの堂をこしらぇなっせなぁ。それから村の暮らしぶりもぼっけぇよーなっせ。庄屋様もこりゃーえれぇゆーで、娘を嫁にやり、伊作さんの名で家をいだそうな。そもそもあざ名もない百姓じゃけ、庄屋ゆーのんも家を守らんにゃいけんよーなもんでもなしな」


 つまり、賜った物ではなく、伊作さんは最初っから「八幡」って苗字を「名乗って」やってきた人なんだ。

 お婆さんの話とは外れるけど、歴史的経緯を考えるなら、おそらくは八幡家が庄屋、名主になったのは、その人が来てだろう。


「それで、余所から来た人が村の庄屋に納まったわけですか」

「ヨソモンゆーか、まだ世がおさまる前の、いえみづ公の時代じゃけんね。ましゃあ、ねんねん飢饉が出る貧乏村を救いよぅな、えれぇじんじゃからねェ」


「八幡(はちまん)と書いて『やはた』……。本名かどうかは置といて、確かに関西か九州から来たっぽい名乗りですわね」


 そう受け答える部長に、不思議そうに宝堂姉妹が質問する。


「あの。八幡って地名なら、確かに京都や北九州が有名だけど、東北や近江、鎌倉、あとH県にだってありますよね?」

「あなたたち姉妹って、仏教には詳しいくせに神道はサッパリなのね? 日本中にあるわよ。八幡神社は日本で二番目に多いの。そして八幡様の総本山となると大分の宇佐八幡か、次いで有名所の三社の一つである京都の石清水八幡なのよ」


 部長も、こういった話題に意外と詳しいようで、ちょっと驚いた。


「そうなんだ?」

「はい。確か、日本の神社の三分の一は八幡神社ですし」

「あー知ってる知ってる」


 カレンさんが嬉しそうに手をあげた。


「カレンが? 巴さんが詳しいのはわかるけど、あなたがそういうなんて珍しいわね」

「基本は武運、弓矢とか、鎮守の神様だよね。の神様。それと鍛治神、渡来系の異人も祀ってるって聞いてる。飛鳥時代からは応神天皇ってコトになってるけど、ようは技術者の神様、って側面もあるんだ」


 なるほど。ハーフで技術系のカレンさんならではの関心の持ち方だ。


「現在の一般的な見識ですよね。渡来人はた氏が創建したのも、日本で一番多い神社の『稲荷神社』といわれています。他にも、欽明天皇時代に応神天皇と仏神の習合、八世紀に建てられた宇佐八幡自体が大神、辛嶋氏等の権力変遷に、そこに後の東大寺との仏教神道和合の政治的思惑や外つ国の文化、百済との……」

「あ、いや、そーゆー難しい話になるとわかんない!」


 慌ててカレンさんが手を振った。

 そういえばカレンさん、社会科は苦手だった。


「ようは仏教伝播時に、蘇我氏等の崇仏派の思惑から、八幡神は当時でもヒーロー視されていた応神天皇であり、菩薩――仏神である、と付会されたんですね。皇神であり仏様であり、武神で守護の神でもある点から各地に勧請され、公家も武家も一緒に拝む特殊な神様として、全国に蔓延した点もあるのかと」


 うん、ちょっとその、盛り込みてんこ盛りすぎな神様だとは思う。おかげで、何の神様なのかボヤけてしまってる所もあるのだけど。


「つーか、巴って中一なのに物知り過ぎ!」

「うぅ~ん、巴ちゃんが勉強熱心なのは良いことだけど……」


 宝堂姉妹も、にこやかに制する。心なしか苦笑いにも見えて恥ずかしくなった。

 まあ、確かにそこは脱線し過ぎたかも。ちょっと反省。

 ……つまり、ハッタリの効いた名前ではあっても、「どこにでもある」材から取ったものとも考えられる点。家系図をちゃんと残した貴族や武士でない限り(それすら江戸後期の「家系図屋」で捏造された物も多いわけだけど)、平民の苗字の出自は、わりと適当の筈なのだから。

 ……とはいえ、今のお婆さんの話で、また一つわからなくなる。「関西か九州」って、離れ過ぎじゃないですか、それ!


 位置としてここからじゃ、それぞれ真反対だし。……ってことは、やっぱり「」なのかなぁ。さすがにそれは、ここでは口に出せないけど。


「で、まあ……そのヤハさんいぇーがねえ」


 ここで、おばさんの声のトーンが落ちた。


「なんじゃいな、不幸が続きょうで。一身で財を成しょうで、温泉も掘りよぅで、湯にゃー池田の殿どの様もいらしゃるゅう、えれーいぇじゃーのにね、けーは何かのだだりじゃーゆぅ噂んなりょーでねぇ」

「たたり!」


 部長は目を輝かせている。

 ん、池田家って、こんな山奥まで来てたんだ?


「……けーはねェ、大きな声じゃーいえんけどネ。……ひょいひょいヤハさんいえは死人も出よぅでねェ」

「死人!」


 あの、そんなキーワードに反応して身を乗り出さないで下さい、部長。


「何人かァ気ィが触れだり……まあ、わりー噂っゆぅんはどーしょうでも出るもんじゃけ。大きなお屋敷じゃし、お大尽じゃけんね。せーでも……明治になろーからも、わかりょぅだけで結構な数、早死にしょーりゃの、家を出だまんま帰ってこんよーなも、あそこんいぇにゃ、ようけおぉでね。今かんがえよぅやー楓さんも……。あァ、せーで例の大火事じゃ」

「例の?」

「あァ。聞きよぅでないかぃね。戦時にねぇ、ヤハさんいえに招かれよぅな、ボイラー技士のイヅ人さんがねェ、なんでか知らんけど、が触れよぅでねェ。お屋敷に火ィを放ぁで、燃やしよぅで、雲隠れしよんなぁ事件がおきようでねェ」

「まあ! おそろしい!」


 言葉とは真逆に、部長は目がキラキラしはじめた。

 んー……温泉の湧く村にボイラー技士……熱量の足りない冷泉を加熱する目的だろうか?


「原因は、一体何ですの?」

「せーが、ぜーんぜんわからんのよ。何しろリヒデルさん……あぁ、その独逸人さんな。サッパリ日本語を覚えよぅせんで。愛想はえーんじゃけどね。ワシなんかも、よーウインクやらされよーでな。ヒャッヒャッ」

「プレイボーイですのねぇ」

「……まあせーで、おらんようになーで暫くしゅうころ、ヤハさんのォお女中さんがリヒデルさんの子ォを身ごもうよんのよォ。まァ、子供に罪はねーけぇ、ゆう話で、身よりもねーし、ヤハさんの家で預かぁでな。めんどう見はえぇんよ、ヤハさんの家は。カネばらいもえーしなァ」

「身寄りがないってことは、じゃあ、そのお手伝いさんは……」

「産んですぐ、亡くなーでじゃと。フキさんじゃっけなァ。火事からナンボか過ぎよぅ頃、けーお腹抱えぃで、ようメソメソ歩きょうなァ。まァ、その事件で、母屋の半分くらいは燃えよぅでねェ。ヤハさんのお屋敷にも、大怪我でなげーあいだ顔もみせんようなんもおっでなァ」


 う~ん。

 殺人事件とは直接関係ない話だろうけど、こういった「因縁話」は、何らかの形で「犯行の動機」に直結しそうで、あまり良い気分はしない。こんな猟奇的事件で、ホワイダニットに不用意に踏み込むことは、私はできるだけ遠慮したいのだけど。


「原因や動機がわからないままの怪異譚は、正直あまり面白い話じゃないけど、こういった『人が人の手で起こした事件』には、必ず動機はあるものね。少し面白くなってきたかしら!」

「……部長の感想は私の真反対ですね」

「あら、何故!?」


 とにかく、気が触れるとか逃げ出すとか、そういったことが「しょっちゅうある家」ってだけで、何だかもう、私は滅入ってくる。


「ああ……ほんで、あの心中事件じゃわね」


 心中?

 あれっ、殺人事件じゃなくて……?






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