第十一話 閻獄峡ノ破『紅き焔』(後編・その1)
★前編のあらすじ★
瀬戸内を一望する、山と海との間に建つ、カトリックの私立女子校『聖ミシェール女学園』。そこに通う、中等部一年の少女・咲山巴は、なかばなしくずし的に『探偵舎』と呼ばれる奇妙な部活に誘い込まれる。その部活動の内容は『推理』――。即ち、『探偵』として『推理』をすること。
巴には、「安楽椅子探偵」としての隠れた才能――いや、
園桐村――またの名を、閻獄峡。
その奇妙な異名を持つ地で、半世紀以上も昔に初代部長が解決したという、「アベック殺人事件」の謎を追うために。
1.
信号機も一切なしのまま、どこまでも山を切り開いて続く道。山肌をセメントで固めた
長距離バスならではの、そんな眠気を誘う単調な景色が、ようやく終わる。
「ついたー」
バスを降りると同時に、ただでさえ大きなカレンさんが、ぐいっと背を伸ばす。
拍子抜けするほど、そこはごく普通の、どこにでもありそうな「日本の田舎」の景色だった。
やや曇天の空の下、舗装されたアスファルトと広い駐車場の外は、ぐるり全方向が紅葉の山に包まれている。
その山と山の隙間を縫うように、背後の岩山を背にした古い大きな旅館と、わずかばかりのビルが見えた。
看板を見る限り、それらビル群のいくつかは杉峰楼別館のホテルらしく、思った以上に美佐さんの実家は繁盛しているみたい。
付近に民家の数はまばらで、それでもマンションのような建物すらも目に入る。かやぶき屋根や土壁の家はどこにも見あたらない。
どの家にも屋根にはソーラー蓄熱とBSアンテナがあり、車庫に4WDの車も停めてある。
「まあ、そりゃ二十一世紀だもんね。当然といえば当然だよなぁ」
コンビニの看板すらも目に入った。
「田舎といっても、うちの学校の近くと大差ないですね」
ふっと見ると、部長はロコツにイヤそうな顔をしている。
「何? ちさちゃんガッカリした?」
「だって、だってだって何よこれ! こんなのゼンゼン呪われてなさそうじゃない!」
いや、呪われててどーするんですか。
「ホラ、もっとこう……あるじゃありませんの! 閉鎖的で因習に満ちた、土俗的で排他的で、ヨソモンを見かけたら住民が『チッ』と舌打ちしてフスマを閉めてカンヌキをかけるようなさぁ! 不吉な数え歌を謎の老人が口ずさんで、笑いながらどこかへ消えてゆくようなさぁ! あるでしょうホラ、そーゆーの!」
「いや、ないない」
「ないと思います」
「ないと思います」
「ないよねぇ」
「うん」
とりあえず全員で突っ込む。一体、田舎の村をどんなイメージで見ているのだ、この人は……。
「どうして! あった方が面白いでしょ?」
「えーと、面白いかどうかは置いときましてですね、仮にも観光地なんですから。お客さんに対しては、作り笑いでも愛想はしますし。土俗的なものを売りにしてるような所じゃないんですから」
「あら、巴さん。観光って、観るような物、あるとお思い? ここに!」
「えーっと……」
スキー場以外に何かあったっけ? ばさばさとパンフレットを広げると、カレンさんが横からヒョイとのぞき込む。
「そういや、山腹に毘沙門堂があるって話だけど、このパンフにはいっさい載ってないね」
殺人現場となった場所だ。そんなことがあった場所だから、載せづらいかもしれないけど。
大子さんと福子さんも、同じく覗き込む。
「多聞天じゃないってことよね」
「つまり、独尊像なのね」
さすがに家業が家業だけに、宝堂姉妹もこういったことには詳しい。とはいえ、カレンさんはきょとんとする。まあ無理もないか。
「……ナニソレ?」
「ああ、この天部の……ようは仏教の天使様ですけど。持国天、増長天、広目天といっしょに、四天王の一尊として
意訳が多聞天、音訳が毘沙門天だけど、日本で仏像を安置する時は通例でそうなっている。
「なるほどねー。バンドの時とソロで芸名変えるようなもんか」
「デーモン小暮が伝衛門になるようなものね」
ははっと笑いながら花子さんも話に入ってくる。うん、まあ……。いや間違ってはないですけども、仏様にそういう喩えはどうかなーって。悪魔だし。
「森田一義アワーなのにタモリとか?」
部長も相乗りしてくる。いえ、
「それ全然違います」
「それ全然違います」
「それ全然違います」
「な、なにも巴さんと双子で、三人同時に突っ込まないでも良いでしょう!?」
そりゃ喩え間違ってんだから突っ込まれて当然じゃんさー、と笑いながら、カレンさんはパンフをパラパラめくる。
「ん~、それどころか、温泉とか大型リフトとか無農薬野菜とか、旅館のことだけだね、書いてあるの。村の文化とか歴史には何も触れてない。温泉の歴史が古い点だけだなぁ、載ってるのは」
確かに旅館──杉峰楼本館の方は、かなり年季の入った建物で、高さこそ二階建てだけど、それなりの風格や歴史を感じる佇まいがあり、事件当時から建て替えてはいないように思う。
だからといって、これといった特徴があるようでもないけれど。歴史の古さ……それがどれ程の物なのかは、少し気になる。
「ていうかさ、こんな立派な宿泊施設が、成り立っていけるほどお客さん来るのかな?」
うん、もっともな疑問よね。と宝堂姉妹も相槌する。
「だいたいスキーに適した山なら、もっと奥のT県寄りの方よね。確かにここは高地だけど、この辺り積雪もそんなに無いんじゃないかしら」
「それでも、ソノギリ・スキーフロントって結構有名みたいよ。足りない時期は人工降雪もやってるみたい」
「人工降雪って……ちょっとお待ちなさい、ひなびた温泉宿じゃなかったの!?」
あの、部長。そんな所で文句つけられましても。
門をくぐると、全員ミシェールの制服を着ているお陰で一目でわかるらしく、番頭さんが私たちを手招きで出迎えてくれた。
「だからさ、ちさちゃん。そんなどーでもいー所でぐずってもしょうがないし。さ、行きますか」
「う~。ゼンゼン納得いかないわ!」
小さい子をあやすように、カレンさんが部長の背を押す。うーん……カレンさんの方が下級生のはずなんだけどなぁ。
大きな和風の門をくぐり、石畳を進み、また大きな和風の入り口――こちらは自動ドアだったけど――をくぐって、本館に足を踏み入れる。
「……思ったより、お客さんいるね」
ぼそりと背後から花子さんがつぶやく。
思ったより……といっては失礼な気もするけど、まあ私も同じ印象だった。
ロビーには、OLさんや主婦のグループが、幾人か談笑する姿も見える。古いようでも手入れは行き届いてて、床の木板も綺麗に磨かれている。立派な掛け軸や奇木の柱、庭園には巨石や松の木が雰囲気を出していた。
額縁には水墨画や、達筆すぎて読めない漢字、印と花押があしらわれている所をみると、歴史上の有名人のものだろうか。褪色したモノクロ写真には軍人さんの姿もある。
「どうなのかしら、これも。温泉宿って、もっとこう……ヤル気がない方が良いんですけど! クモの巣とか破れ障子とかあって、便所はもちろん裸電球で。つげ義春の漫画に出て来るような感じで! そう思いません!?」
部長はむちゃくちゃな注文をつけている。
「女性客来ないよソレ」
「私はそのほうが面白いと思うのよ!」
「便所で和式は勘弁」
「わたしもー」
「ですよねー」
矢継ぎ早に突っ込む先輩たちに、私も無言で同意する。
「むぐぐぐ」
腰をまげ、眉間にシワを寄せ、はぁ~っと大きく息を吐いて、……クイっとまた背筋を伸ばした部長は、再び満面の作り笑顔で、すたすたとフロントへ、凛とした姿勢で足を向ける。
「やぁ! よーいらっしゃいました! いやぁ皆さん、先日は美佐がもォ、大変お世話になりまして……」
この人が美佐さんのお兄さんで、旅館の主である大杉祐二さんで間違いない。よく見れば美佐さんと同じく、日本人離れした彫りの深い顔立ちで、似ているといえば似ているかも。田舎の温泉宿の主人……というには、ややダンディすぎる雰囲気だけど。
「いえいえ、こちらこそ。この度はお招きいただいて、誠にありがとうございます。申し遅れました、わたくし、ミシェール女学園探偵舎代表の赫田ちさとと申します。本日は私たち一同、あつかましくも皆で押しかけまして、ご迷惑をおかけすると思いますが――」
部長は祐二さんを相手に、きっちりした挨拶をにこやかにこなし、社交的かつ丁寧に話し込んでいた。
恐ろしいことに、いつも意地の悪そうな顔をしている部長は、ふつーに微笑むと絶世の美少女なのだ。しかも話術も達者だ。
「……すごいですよね、ちさとさん。何重人格なんだろう」
いやもう、ほんと感心する。
「だから演劇部向きの人材なのよ。惜しいなぁ」
うんうん、と花子さんも隣で相槌を打つ。
「人格は一つに決まってるじゃない」
クスクスと大子さん(たぶん)は、たしなめるように、そして優しく、私に微笑みかける。
「どこかしらで、他人から求められる自分、理想とする自分、そういったものを『演じている』のは確かだけど、それは誰だって同じだとおもう。私たちだってそうだし、巴ちゃんもそうよね?」
「そ、そうですね……」
この姉妹にそういわれると、やっぱりすごく説得力がある。
……私も、確かに「皮を被っている」のは間違いないし、その自覚もある。だからといって、そう簡単にそれをひっぺがして本性を現すなんて、できそうにもないけれど。
「まあ、あの『お嬢様言葉』を引っ込めた時が、だいたいちさちゃんの本性だよね」
フフっとカレンさんは笑う。それはまぁ……何となくはわかりますけど。
お辞儀をし、戻って来た部長は、やや眉間にしわをよせてため息をついた。
「なーんか、やっぱり事件のことは禁忌みたいね。当時仲居さんをやってたお婆さんが、まだこちらにいらっしゃるようだけど、祐二さん自身はその頃は六歳で、あまり細かいことを把握してないらしいわ」
まあ、半世紀以上も前の話ですし……。
「それと八幡家にも、まだ当時の関係者がいらっしゃるようね。被害者の母親とか。それに現当主の、楓さんの弟さんとか、イトコとか」
「八幡家だけで当時、何人だっけ、きゅう、じゅう、じゅういち……なーんか、面倒そうだなぁ。パっと覚えるのも大変だ」
「カレンは数を数えるの得意なくせに、どうして人物だと面倒になるのよ!」
「それとこれとは別だってば!」
ん~、十一人はそんなに難しくないと思うけど。
「これって、ミステリーとしては『家系もの』とか『系図もの』ってジャンルに入るのかしら」
福子さんが、そういって小首をかしげる。
「いえ、構造じたいは単純ですし。当主とその弟さんとの二世帯同居ってだけで、傍流や別系まではありませんし、人数は多くないです。
暁夫さん夫婦の間には楓さん伸夫さんの姉弟がいるだけだし、善夫さん夫婦の間には恒夫さん一人っ子ですし、至ってシンプルで。そもそも系図がピックアップされる作品とは、関係性の幾何学化に面白みを見いだすジャンルで……」
ようは、「出生の秘密」などが主軸となるタイプのミステリーだけど、それ自体を「系図もの」と一括りに呼べるほど「ジャンル」にはなっていないと思う。どちらかといえば、推理のメインになる物ではなく
むしろ血縁とか、家族間の愛憎劇を主軸とした「物語」を
「うん。対称化、非対称化とかね。人物相関図に新たな接点を見つけ出すことが要の、いってみりゃ幾何パズルだよね。そんな意味じゃ、確かに私の得意ジャンルのはずだけど……」
でもなぁ、と考え込むカレンさん。
「家系物ってじたい、そう多い物じゃありませんわね。目立った作家として、我が国を代表する推理作家、横溝正史先生が燦然とそこに在るっていうのは間違いありませんけど」
「海外だと、ロス・マクドナルドとかですね」
「その二者を比較対象に出す時点で、巴さんも十分に
「うっ……」
「……何の話?」
花子さんだけ、完全についていけないって顔でキョトンとしている。
「ああ、ええっと海外のハードボイルド作家のですね、」
「だから、ミステリー的教養のない相手にいちいちイチから説明してたら日が暮れるわよ!」
「いや、でもほったらかすわけにもいきませんですし……」
「ああ、良い良い、気にしないで。わかんないなりに、みんながそうやってあーでもないこーでもないって喋ってるコト、ハタから見ててもなんか面白いから」
うぅ……。花子さんは大らかな人で助かる。
「ようは、とにかく家系だ何だいったところで、戦国武将の出自を覚えるよりも遥かに単純でラクで登場人物も少ないって話だわ。どうってこともないわよ」
「それ、極論です。いや、わかりますけど」
とりあえず、現在の状況にメモをとる。
事件当時の八幡家のうち、暁夫さんと、その弟の善夫さん夫婦、兄弟の父親である徳夫さんは他界、お手伝いさんの二人も既に村には居ないらしい。でも、それ以外の方はまだいらっしゃるみたい。
事件を当時目の当たりにした、遺族の方たちが、今でも健在でいる……。
昔の話とはいえ、よそ者がのこのこと、土足で立ち入るのは気がひける。どれだけ時が経とうとも、そう簡単には風化しない話だと思うし。
「でも、村って感じの集落って、この周りには殆どなかったですよね」
バスの窓から見た限り、かなり長い間、原生林や採石場、田畑ばかりの景色にポツリポツリと民家が点在する様子が続いていて、ここに来てようやく、杉峰楼を中心に、目視で二、三十軒ほどの建物が密集している感じ。民家はそのうち三割ほどかな?
あと、ここって正直O県というより隣県寄りの、相当に山奥の方で、そうなると江戸時代に備前池田宗家の影響力も、薄かったのかもしれない。
……そう考えれば、もし毘沙門堂が
「村は……旅館の後ろに岩山があるでしょう、その向こう側なんですよ」
「え?」
先導していた祐二さんが割って入る。
「石灰質の岩山が窪んで、その中に村があるみたいね。洗面器の中みたいな感じ?」
「洗面器っていうか、スケベ椅子……っていってもわかんないか、アハハ」
「何ですの? それ」
カレンさんの言葉に、部長のみならず、花子さんも宝堂姉妹も首をかしげる。私もわからない。
「あ、いや、今のナーシ! ナーシ! コホン……。え~っと、まあ歪んだ二つの岩山に挟まれているみたいな形かなぁ」
パンフを広げて、カレンさんが手持ちのガジェットに映し出した地図と見比べる。
「ほら。面白いカタチした土地でしょ」
「う~ん……」
なるほど。これでは、外から村なんてわからないか。
「ここが隔絶した土地だった理由はそこにあるみたいね」
……これじゃ、殆ど「隠れ里」じゃないだろうか?
地理的状況から考えると、高低差が激しかったり、原生林が広がっていたりで、まとまった「平地」がこの岩山の中の窪地くらいしかなかったことが、この村の始まりだったのかもしれない。実際の経緯は、ちゃんと歴史資料に目を通さないとわからないけど。
とはいえ。少ーし、嫌な感じもする。
「こうなると、異名の
縁切り村──そんな異名も、ここにはあったと聞いた。
ある意味、美佐さんもこの地とは縁が切れた状態だけど。
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