2020の夏にナニかあると思ってんの?

真白涙

2020の夏にナニかあると思ってんの?

「Tokyo」

 ジャック・ロゲ。と言っても伝わらないだろう。2020年の夏季オリンピック開催地を発表したメガネのおっちゃんだ。TwitterでTokyoの文字を消してクソコラになってるやつ。 あの発表で映し出された日本招致チームの熱狂っぷり、当時は全く共感できなかったけど、今ならなんとなくわかる。その場で立ち上がって喜びを叫ぶほどの出来事がある。

 2020年にオリンピックが決まって、それに向かって経済は緩やかだけど右肩に上がったし、インバウンドも増えて色んな事がいい方向に進んでいった。就職活動だって売り手市場って言われている。多少の悪いこともあったけど、それを帳消しにしてプラスになるくらい、世の中でいいことが起きていると思う。

 世の中全体がそんな感じじゃん。待ち歩けば駅のホームに、掲示板のポスターに、ネットを開けばポップアップの広告に2020の文字。2020と夏がセットになって出てくる。まるで夏以降の季節がないみたいに、8月31日より先のことは考えていないとでもいうように。


「お前、2020年の夏に何かあると思ってんのか?」

 2019年9月1日。高校生だった去年までははじまりの日って感じだった日付も、大学生になった今ではまだ夏休みの真っ最中だ。今日も今日とて、自由気ままにベッドで寝腐ってスマホを弄っている俺はいきなりの侵入者に飛び起きた。

「は、え、いや誰?てか鍵、へ?」

 学生一人暮らし用のマンションはオートロック式だ。玄関はおろか建物事体、自由に出入りできないようになっている。

「俺は未来のお前だよ」

「はい?何言ってんの?」

 とりあえず、泥棒とか強盗とかそういう命が脅かされるようなことではないらしい。だけど不審者は不審者だ。警察に電話、だけど一体なんて話せばいいんだろう?未来人をなのる自分が不法侵入してきたんです。なんて言ってまともに取り合ってくれるとは思えない。

「どうせ警察になんて説明していいかわかんないんだろ。お前は過去の俺なんだから何考えてるかくらいわかるっての。というか過去に入れるの十分しかないんだから本題に入らせろ」

 考えていたことを的中されて何も言えなくなる。

「2020年の夏はお前が思い描いているような輝かしいもんじゃねぇよ」

「なんでそんなこと言えるんだよ」

 未来のことなんて誰にもわからないだろ。諦めかけた人に努力型の熱血ヒーローがかけるような言葉が喉まで出かけた。

「それは俺が2020年の夏の終わりからやってきたからだ」

 何を言っても無駄だ。あくまでこいつは未来から来たという体で話している。

「じゃあなんか証拠見せろよ、未来から来たって言うなら未来のこと知ってるんだろ」

 くだらない押し問答しても埒が明かないのでそこだけは譲ってやることにした。

「証拠、そうだな。今お前が見てるこれ」

 指さされたのはスマホの画面。こいつに驚いて動画を止めていたらしい。広告表示の2020オリンピックと映し出されたまま止まっている。

「オリンピックがどうしたんだよ」

「なくなるぞ、ソレ」

「は?」

「厳密には延期、だけどな。ウイルスが流行してな。コロナウイルスってウイルスだ。そのせいでリーマンショック以来の株価暴落が起きて、政府から各家庭にマスクが二枚配布される」

「ごめん、全体通して意味がわからないけど最後の所だけ特に意味がわからない」

 なんだマスク二枚って、そんなんで防げるウイルスなのかコロナというやつは。

「俺も意味がわからなかった。それだけじゃない、渡航はもちろん、外出は自粛でそこら中で休校だ。そうだ、行きたかったライブ、あれもなくなるぞ」

「え、なんで?ツアー発表されたばかりだぞ」

「CDの最速選考もファンクラブ選考も落ちて、運よく一般チケット勝ち取れるもライブ自粛の煽りを受けてツアーそのものが潰れた」

「嘘だろ。てか、最速もファンクラブ選考も落ちるってどんだけ倍率高いんだよ」

 たしかに知名度上がってきてるバンドだけどさ。

「紅白出て知名度爆上がりしたんだよ、それで一気にチケット取りづらくなったんだ」

 たしかに紅白出場予想の噂は立っていた。応援しているバンドがそこまで大きくなったのは嬉しいけど、そんなに取りづらくなったチケットのライブが潰れたなんて。

「って、本題からズレた。今日はお前のその腐った性根を叩き直しに来たんだよ。お前、2020年の夏に期待してるだろ」

 またまた胸中をあてられてびくっとした。だけどすぐさま、その偉そうな口ぶりに反抗心が沸く。2020年の夏に期待していて何が悪いっていうんだ。これだけ世間で楽しいことムードになっているんだから、多少は仕方ないだろ。

「というか2020年の夏に限った話じゃねぇよ。環境に変えてもらおうと思っているやつは環境変わっても中身大して変わんねぇからな。勝手に期待して裏切られて被害者面してんなよ」

「被害者面なんてしてねぇよ。その、確かに期待はしているかもしんないけどさ」

 だって世の中全体がいい方向に進んでる感じじゃん。2020夏って、そこがゴールみたいに囃し立てている。少しくらいそれにノッて何が悪いんだ。

「いいか、2020年の夏になってもお前はイケメンになってないし金持ちにもなってないし身長が伸びることもねぇし童貞のまんまなんだよ」

「マジで!?俺童貞のまんまなの!?」

 一気に事の重大さが身に染みて背筋が伸びた。それは大変由々しき事態だ。可及的速やかな具体的対処が求められる。

「そうだ。2020年の夏はいつもの夏と同じで、偶然も夏の魔法もアブラカタブラな力もないんだからな」

「あ、音楽の趣味まで変わってねぇんだな、俺」

 目の前の人間は間違いなく俺だという確信が掴めた。のと同時に何も変わっていない、ということの確信まで掴みかけて急に未来への展望が薄暗くなる。

「変わっていけるのは自分自身だけ、それだけさ」

「ちょくちょく好きな曲の歌詞ねじ込むのやめてくんない?」

 そっちの俺はもう映画観たのか?無限列車編。原作泣きながら読んだ覚えがある。もう二期の放送もしてたりするのだろうか。

「思い出せ、大学に入ってお前何が変わったよ?」

「何が変わったかって、そりゃ色々と……」

 一人暮らしをはじめたし、二十歳を過ぎて酒を飲めるようになった。タバコだって吸えるようになった(吸ってないけど)。車だって運転、できる年齢だけど金と時間がなくて免許取れていない。

「何が変わったって?言ってみろよ」

「なんでお前にそんなこと言わなきゃいけないんだよ」

「俺はお前だから言えない理由くらいわかってんだよ」

 何も言い返せなかった。

「環境をあてにして、いい方向に変わるのは難しい。今のままがダメなら自分から変わらないとダメなんだ」

「別に俺は今のままでも」

「童貞のままでいいのかよ」

「嘘です、魔法使いにはなりたくないです」

 童貞を引き合いに出されたらかっこつけてなんていられねぇよ。

「だったら自分が変わるしかないんだ。自分から行動を起こしていくしかないんだよ、この世界はラノベじゃねぇんだ。異世界転生はできないし、お前に超絶美少女の幼馴染も姉妹も許嫁もいないだろ」

「俺のことお前って言ってるけど、お前が俺なんだからな」

 そもそもお前、未来から来きたって異世界転生みたいなもんじゃんか。とは突っ込まないでおく。めんどくさそうなので。

「なんでもかんでも斜に構えて、わかったフリして、効率良く生きている気になってるなよ」

「……わかったよ」

 ムカつくし言い返したかったけど、ちゃんと言い返せるくらいの材料がなかった。大学に入って大きく変わったわけじゃない、高校生の頃は大学に入れば新しい自分になれると思っていた。中学生の頃は高校に入れば色鮮やかな青春があると信じていて、小学生の頃は中学校に入れば大人の仲間入りができるって信じてた。

 ずっとずっと環境に甘えて生きてきた。

「何か伝えに来たんだろ、勿体ぶらずに教えてくれよ」

 変わらなくちゃ変われない。本気でそう思えた。充電器に差しっぱなしのスマホ片手にベッドの上で寝転んで、140文字の世界で何かを発信しても俺は変われない。

「いいか、よく聞けよ」

 目の前の俺がやけに神妙な面持ちになる。それは今の俺にはできない表情のように思えた。自分で変わらなきゃと思って、努力して、恥をかきながらもちゃんと自分として生きてきた人間のできる、環境に甘えていない人間がそこにはいた。

 なんとなくに飲まれて生きるな、だろうか。それとも失敗してもいいからまずは挑戦してみろ、だろうか。2020年の夏、何かに挑戦してみろ、とでも?それで運命が変わるのだろうか。

「2020年の夏、この世界は終わるんだ」

 それだけ言って、具体的な解決案もナシに未来の俺は消えていった。生き方のアドバイスとか、更生の第一歩の励ましもなくあっさりと消えた。


 あれ、これそういう話なの?

 

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