第11話 ネコチャンとヤバイ手抜き

 日曜日の朝、私があくびをしながらリビングに行くと、すでにオジサンが来ていた。もはやオジサンが上がり込んでいるほどのことでは、私も驚かない。


 しかし、オジサンの様子がさすがにおかしかった。リビングの床に正座をし、その手前にちゅ~るを置いている。しかし彼はそれに手を出すことなく、膝の上で握りこぶしを作っている。


 その前には、ネコチャンがきちんと座って、ヨダレをたらしそうな顔をしつつも、やっぱりちゅ~るを黙って見つめている。シュールである。


「ふたりとも、何をしてるんですか?」


「下僕ですか。寝坊ですよ」


「休日の8時ちょっと過ぎですよ。勘弁してください。そもそも一日中寝てるネコチャンに言われる筋合いは」


 ない、と言おうとした私の脛を、いつの間にか音もなく移動してきたネコチャンが噛んだ。


「いったい!」


「私に口答えするのが悪いのです。私は今、オジサンの訓練に協力しているのです」


「訓練?」


「時に下僕よ。最近私の話の更新を忘れているのではありませんか?」


 そう言われて、私はこの連載のことを思い出した。


「ああ、そうでしたね。すみません、最近忙しいものですから……」


 ネコチャンは再び私を噛んだ。


「いだー!」


「私が主人公の話を書かないとは笑止千万。時間がなければ作りなさい」


「そんな簡単に言われても」


「時間がなければ手を抜きなさい。たとえば、感動したときなどに使う言葉を『ヤバイ』に統一するのはどうでしょう」


 ネコチャンはもふもふの胸をそらし、耳をピンと立ててドヤ顔をした。世界一かわいい……いや、ヤバイドヤ顔であった。


「それ、そんなに手抜きになりますかねぇ……ところで、ネコチャンたちはさっきから何をやっているんですか?」


 私が尋ねると、「我慢です」と、オジサンが答えた。


「は?」


「我々は我慢をしているのです!」


 ネコチャンが悲鳴のような声をあげた。


「オジサンは私にちゅ~るをあげることを、私はちゅ~るをいただくことを我慢しているのです!」


「はぁ……なぜそんなことを? いや、いいことだと思いますが」


「それは私が、妻と娘と共に暮らすためです。ネコチャンは私に付き合ってくださっているのです」


 オジサンが歯を食いしばりながら言った。「おお! なんとお優しいネコチャン! ヤバイ!」


「この訓練? が、何か関係あるんですか?」


「大アリです。私はかつて、理想的な女性を妻とし、彼女との間に娘を授かりました」


 オジサンはしばしちゅ~るのことをわすれたように、熱く語りだした。


「元々妻は、私の一目惚れの相手でした。そして、その妻によく似た娘が! ものっすごくかわいいんです! それはもう、巨匠ラファエロの描いた天使のごとき愛らしさなのです!」


 オジサンはスマホを取り出し、待ち受けにしている奥さんと娘さんの写真を我々に突き付けた。確かに上品で綺麗な奥さん、そして奥さんに似た、愛らしく整った顔の女の子だ。これにオジサンの親バカフィルターがかかって、彼には本物の天使のように見えているに違いなかった。


「娘の歓心を買うため、私は彼女が喜びそうなものを片っ端から与えました。お菓子におもちゃ、洋服……娘は喜びましたが、そのことが妻の怒りを買ってしまったのです」


 ネコチャンがあくびをした。どうやら、オジサンの関心がちゅ~るから離れたことを察したようだ。


 オジサンはまだ熱く語っている。スポットライトを当ててやりたいほどの熱気だ。


「あるとき、妻が仕事のために、3ヵ月ほど家を離れた時がありました。その間、私とふたりで暮らした娘は、7歳にして肥満体型、性格はわがまま、生活習慣はめちゃくちゃに……!」


 私は思わず、「奥さん、お気の毒に……」と呟かずにはいられなかった。


「妻は私を張り倒し、娘を連れて実家に帰りました。最初は私と離れて寂しがっていた娘も、私と離れているうちにみるみる標準体型に戻り、性格も我慢がきくようになって、学校でお友達が作れるようになると、様子が変わりました」


「なるほど、娘さんも奥さんの教育方針が正しく、オジサンの方針には問題があるということに気づいたのですね」


「そうなのです! パパといると太るから嫌だと言われ、未だに別居中なのです……そこで私は、かわいいものを甘やかさない訓練を始めたのです!」 


「オジサンが育てたにしては聡明なお嬢さんですね。やはり奥さんのしつけがいいのでしょう」


 ネコチャンが厳しく追い討ちをかけた。


 オジサンは床に突っ伏すと、おいおいと泣き始めた。


「さぁ、下僕よ。今です!」


 突然ネコチャンが私に命じた。


「な、なにが今なんです?」


「これまでの文章、置き換えられるところをすべて『ヤバイ』にするのです!」


「何その命令。ヤバイ……」


 私はそう言いながら、床に置かれたちゅ~るを拾い上げ、ネコチャンが取り出せない戸袋に封印した。


 ネコチャンは私のアキレス腱を噛んだ。千切れる! と思うくらいは痛かった。




====ヤバイ手抜きバージョン====


 日曜日の朝、私があくびをしながらリビングに行くと、すでにオジサンが来ていた。もはやオジサンが上がり込んでいることはヤバくない。


 しかし、オジサンの様子がさすがにヤバイ。リビングの床に正座をし、その手前にちゅ~るを置いている。しかし彼はそれに手を出すことなく、膝の上で握りこぶしを作っている。


 その前には、ネコチャンがきちんと座って、ヨダレをたらしそうな顔をしつつも、やっぱりちゅ~るを黙って見つめている。ヤバイ。


「ふたりとも、何をしてるんですか?」


「下僕ですか。寝坊ですよ」


「休日の8時ちょっと過ぎですよ、ヤバくないです。そもそも一日中寝てるネコチャンに言われる筋合いは」


 ない、と言おうとした私の脛を、いつの間にか音もなく移動してきたネコチャンが噛んだ。


「ヤバイ!」


「私に口答えするのがヤバイのです。私は今、オジサンの訓練に協力しているのです」


「訓練?」


「時に下僕よ。最近私の話の更新を忘れているのではありませんか?」


 そう言われて、私はこの連載のことを思い出した。


「ああ、そうでしたね。すみません、最近ヤバイものですから……」


 ネコチャンは再び私を噛んだ。


「ヤバイ!」


「私が主人公の話を書かないとはヤバイ。時間がなければ作りなさい」


「そんな簡単に言われても」


「時間がなければ手を抜きなさい。たとえば、感動したときなどに使う言葉を『ヤバイ』に統一するのはどうでしょう」


 ネコチャンはヤバイドヤ顔をした。世界一ヤバイドヤ顔であった。


「それ、そんなに手抜きになりますかねぇ……ところで、ネコチャンたちはさっきから何をやっているんですか?」


 私が尋ねると、「我慢です」と、オジサンが答えた。


「は?」


「我々は我慢をしているのです!」


 ネコチャンがヤバイ声をあげた。


「オジサンは私にちゅ~るをあげることを、私はちゅ~るをいただくことを我慢しているのです!」


「はぁ……なぜそんなことを? いや、いいことだと思いますが」


「それは私が、妻と娘と共に暮らすためです。ネコチャンは私に付き合ってくださっているのです」


 オジサンが歯を食いしばりながら言った。「おお! なんとヤバイネコチャン! ヤバイ!」


「この訓練? が、何か関係あるんですか?」


「大アリです。私はかつて、ヤバイ女性を妻とし、彼女との間に娘を授かりました」


 オジサンはしばしちゅ~るのことをわすれたように、熱く語りだした。


「元々妻は、私の一目惚れの相手でした。そして、その妻によく似た娘が! ヤバイんです! それはもうヤバイのです!」


 オジサンはスマホを取り出し、待ち受けにしている奥さんと娘さんの写真を我々に突き付けた。確かにヤバイ奥さん、そして奥さんに似たヤバイ女の子だ。これにオジサンのヤバイフィルターがかかって、彼にはヤバく見えているに違いなかった。


「娘の歓心を買うため、私はヤバイものを片っ端から与えました。お菓子におもちゃ、洋服……娘は喜びましたが、そのことがヤバかったのです」


 ネコチャンがあくびをした。どうやら、オジサンの関心がちゅ~るから離れたことを察したようだ。


 オジサンはまだ熱く語っている。ヤバイ熱気だ。


「あるとき、妻が仕事のために、3ヵ月ほど家を離れた時がありました。その間、私とふたりで暮らした娘はヤバイ体型と性格と生活習慣に……!」


 私は思わず、「ヤバイ……」と呟かずにはいられなかった。


「妻は私を張り倒し、娘を連れて実家に帰りました。最初は私と離れてヤバかった娘も、私と離れているうちにみるみる標準体型に戻り、性格も我慢がきくようになって、学校でお友達が作れるようになると、様子が変わりました」


「なるほど、娘さんも奥さんの教育方針が正しく、オジサンの方針はヤバイということに気づいたのですね」


「そうなのです! パパといると太るからヤバイと言われ、未だに別居中なのです……そこで私は、ヤバイものを甘やかさない訓練を始めたのです!」


「オジサンが育てたにしてはヤバイお嬢さんですね。やはり奥さんのしつけがヤバイのでしょう」


 ネコチャンがヤバイ追い討ちをかけた。


 オジサンは床に突っ伏すと、ヤバイほど泣き始めた。


「さぁ、下僕よ。今です!」


 突然ネコチャンが私に命じた。


「な、なにが今なんです?」


「これまでの文章、置き換えられるところをすべて『ヤバイ』にするのです!」


「何その命令。ヤバイ……」


 私はそう言いながら、床に置かれたちゅ~るを拾い上げ、ネコチャンが取り出せない戸袋に封印した。


 ネコチャンは私のアキレス腱を噛んだ。ヤバイほど痛かった。

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