第25話:真なる勇者の覚醒

 エルスとフユヒコの戦いは一方的に進められていた。


「どうしたどうした魔王様ぁあ! 最強の魔王様の実力はこの程度なのかよ!?」

「戦いの最中にお喋るする男はモテないわよ!」


 フユヒコの剣速はやはり遅い。アスタを含めた勇者や、それ以外にもこれまで戦ってきた無数の戦士と比較しても断トツの鈍足。にも関わらず、エルスの身体はフユヒコの剣閃を浴びていた。美しい白磁の肌に傷が走り、ポタリと血が流れる。それ自体は治癒の魔法で瞬時に癒えるのだが、焦燥は募るばかり。


「―――当たらねぇよ魔王様ぁっ!」


 エルスの突きは音速の壁を優に越える。確実にフユヒコの身体を貫いた。そう確信するが超反応を発揮してこれを交わして反撃を飛ばしてくる。苦悶の声を漏らしながら、エルスは大げさに飛び退いて距離をとる。こちらの攻撃は当たらず、相手の攻撃は当たる。何度試してみても、今のエルスの攻撃はフユヒコには届かない。特別目がいいわけでも体捌きが優れているわけでもない。とすれば―――


「魔法、ね? それも単に相手の攻撃をかわしたり自分攻撃を当たりやすくしたりする、ではなく。結果の操作、未来の強制改変といったところかしら?」


 自分の攻撃を回避されるという未来を当たるという未来に改変し、相手の攻撃を受けるという未来を回避するという未来に改変する。そしてその捻じ曲げた事象を現実のものとする。それがフユヒコの魔法のからくり。


「まったく。本当に……なんて洞察力だよ。あんたの攻撃が当たらないのも、俺の攻撃当たるのも、魔法【我傷つける刃はなく、我が刃から逃れる術は無し】の能力だ。大抵の奴は一方的に斬られることに絶望しながら死んでいくっていうのによぉ。さすがは魔王様ってか?」

「地味だけど対人戦では無類の強さを発揮する厄介な魔法ね。でも……魔王には通じないわ」


 ふぅ、と一息つきながらエルスは切っ先をフユヒコに向ける。いくら一方的に戦いを展開できると言ってもフユヒコの魔法にはエルスを殺しきるだけの威力がない。浅い傷はいくつも付けられているが致命傷が一つもないのがその証拠。それに彼の持つ剣もただの名剣。なら、過度に恐れることはない。


「ハァッ! 確かにあんたの言う通り、この魔法じゃお前を倒しきることはできねぇよ。だがな、俺にはこれがあるぜ? 【裏切りに死罪を告げる獣ルプスカルミア】! 行けよ狼どもファング!!」


 フユヒコの手により闇色の狼達がエルスに襲い掛かる。だが魔王は一切動じない。深呼吸をし、身体強化に魔力を回す。深紅の闘気が彼女を包む。紅い閃光が闇夜を駆け抜けて狼たちを斬り裂き、瞬殺する。


「―――なんだとぉ!?」

「―――死ね、勇者」


 瞬間移動のようにフユヒコの背後に移動したエルスが剣を振り下ろす。当然彼の魔法【我傷つける刃はなく、我が刃から逃れる術は無し】が発動してバックスッテプをして紙一重のところで回避する。だが一撃では終わらない。二、三、四、五と回避されてもめげることなく、フユヒコに反撃する間を与えない。そしてエルスの斬撃が十を数えた頃、ついに彼女の魔剣が勇者の身体を捉えた。


「ッチ―――!」

「回避じゃなくて受け止めたわね、私の魔剣を。それがあなたの魔法の限界かしら?」

「ハァッ! んなわけ………あるかよぉ!!」


 鍔迫り合いを嫌い、フユヒコは力任せにはじき返そうとするがエルスはそうはさせまいと力を込める。この状況はエルスにとっては絶好機。早々に勝負を決める。闇色の合成魔獣を生み出して己の身体ごと勇者を噛み砕く。


「【裏切りに死罪を……ルプスカ……】」

「略奪者の分際で調子に乗り過ぎよ。【千篇挽歌の血染め詩サウザンドティアローズ】」


 キマイラを生み出すよりも早く聞こえてきたのは魔女の声。そしてエルスとフユヒコを取り囲むように展開される橙色の花弁が咲き誇る。それらからエルスを狙った太陽の如き膨大な熱を帯びた光線が放たれる。さすがの魔王も直撃は危険と判断してフユヒコを蹴飛ばしながら射線上から退避する。


「大丈夫ですか、フユヒコさん?」

「―――あぁ、助かったぜ、マリー。さすがにあの状態で魔法を使われたらかわしようがなかったからな」


 フユヒコは光線乱れる中を魔法で掻い潜りながら魔法使いのマリーと合流した。いかに未来に介入して相手の攻撃を確実に回避する事象を手繰り寄せても自爆覚悟で攻撃されてはさすがにかわしようがなかった。


 対してエルスは好機を逃し、一転して窮地に陥る。フユヒコとの近接戦闘は面倒極まりないが、かといって魔法を使えば吸収されて自分の物とされてしまう。さて、どうするか。


「魔王エーデルワイス。あなた、あの銀髪の勇者を生き返らせるために己の魔力の大半を分け与えましたね?」

「…………」

「無言は肯定と捉えます。フッフッフッ。死んだ人間、しかも勇者因子を宿す者を吸血鬼として蘇らせたともなれば今のあなたは全力の半分程度しか力を出せないのではなくて?」


 エルスは口には出さないがこの魔法使いがどうしてそれを知っているのか内心では驚き、戸惑っていた。吸血鬼族はエルスが魔王になった時に全て滅ぼした。だから吸血鬼化による蘇生で大量の魔力を使うことを知っている人間はいないはず。現に隣に立つフユヒコも驚いた顔をしている。


「長きにわたる偽りの魔王の時代は終わり。力は返してもらうわよ、エルス姫」

「あなたは…………一体何者?」

「フフフ。これから死にゆくあなたには私が誰かなんて関係のないこと。それに―――ほら。向こうの戦いは終わったみたいよ?」


 魔法使いが顎で指した先。エルスのとても大事な存在、銀髪の勇者アスタがゲンティウスの大剣にくし刺しにされていた。アスタはなんとか口から血は吐きながらも逃れようと藻掻き、抵抗するが剣は抜けない。ゲンティウスはそのままゆっくりとこちらに向かってくる。


「アスタ――――!!」


 エルスはその非道に激昂しながらゲンティウスに向かって駆け出す。残された魔力の全てを燃やしきる覚悟で己の身体を一次元・・・高みへと昇華させる魔法を発動させる。その魔法の名は―――


「【赫月真祖のリベレイション】―――」

「―――馬鹿が」


 だが。そんな無防備な背中を勇者フユヒコが見逃すはずがなく。彼の剣がこの戦いで初めて深く斬り裂いた。そこにマリーゴールドの花弁の光線が降り注ぐ。エルスの身体は熱に焼かれて身体中を貫いた。喀血し、地面に膝をつく最強の魔王。その瞳の光は弱い。


「―――ガハッ」


 ドサッ、と彼女の目の前にアスタが転がってきた。すぐに血の海が出来る。人間なら間違いなく致命傷だが、吸血鬼となったアスタは生きていた。エルスは地面を這いながら彼の下に近づき、その手を取る。


「エ……ルス……さん?」


 よかった。まだ生きている。これなら治癒が間に合う。エルスは魔法でアスタの身体の傷を癒して命を繋ぐ。吸血鬼は高い再生能力を持っているがまだ成りたてのアスタでは自己再生力は高くない。放っておけば死んでしまう。


「よかった……無事で。大丈夫、アスタは休んでいなさい。あとは私がやるから……」


 痛みに耐え、傷を癒しながらエルスはゆっくりと立ち上がる。アスタは暗転しそうになる意識を必死に繋ぎとめてその傷だらけの背中に手を伸ばす。このままではエルスは死んでしまう。彼女の大丈夫という声に、いつものような安心感はない。そこにあるのは自死の覚悟。死んでも倒すという悲壮な決意。


「ダメ……いかないで……エルスさん…………」


 小さな勇者の祈りは届かず。魔王は最後の魔法を発動させる。


「【赫月真祖の覚醒リベレイションヴァーミリオン】」


 夢で見た、エルスの切り札中の切り札の魔法。深紅の輝きが彼女を包み、その存在をまさしく最強の吸血鬼の神姫へと昇華させ至上最高の身体強化魔法。だが、今のエルスの状態であれを発動させるのは自爆に等しい。何故なら―――


「肉体を文字通り神に等しい存在まで昇華させるその魔法に、あなたの身体はどこまで耐えられるのかしらね? そこまでしてあの坊やを守りたいの?」

「……黙りなさい。あなたの正体、見極めるつもりだったけどそんなことはもう関係ないわ。今すぐ全員、ここで殺すわ」


 深紅の魔王が剣を構え、ゲンティウスも合流した三人の勇者パーティーと最後の決戦が始まる。


「エル……スさん……」


 アスタは四つん這いになりながら、あかい閃光となって勇者たちに挑むエルスの手を伸ばす。だがその手は何も掴めず、力なく地面に落ちる。自分の非力さが恨めしい。何も守れない。


 ―――もう、諦めるのか。それでもお前は勇者なのか?―――


 頭に響く声。夢で聴いたことのある勇者の声。


 ―――お前は勇者だが、そんなことより一人の男だろう。なら、惚れた女一人、守れないでどうする?―――


 あなたのように強くありたい。でも……僕にはあなたと違ってそんな力は……


 ―――お前はすでに新たな力を手にしている。ただお前はその名を知らないだけだ。いいか、一度しか言わないからよく聞けよ? その魔法の名は―――


「―――ありがとう……ございます」


 アスタは剣を支えにしてゆっくりと立ち上がる。最高の切り札の魔法を使っても尚3対1という劣勢を覆せない程に弱っている最愛の魔王の元へ―――


「【真なる勇血の覚醒マーガレットオーバーレイ】」


 ―――今、最強の勇者が駆け付ける。

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