第7話:特訓開始

 エルスのお手製の朝食を食べ終えて一息ついてから、アスタは彼女に言われた通り、装備一式を身に付けて庭に出ていた。この一週間は身体を休めるようにときつく言われていたため勇者になってから初めての休みだった。


 そしてかつてないほどに身体が軽くなったアスタは、最古の魔王様がどんな鍛錬を施してくれるのか少し期待に無縁を膨らませていたのだが―――


「さて。しっかり癒えたアスタ君をこれから鍛えていくわけだけど。まずはこの森を使って鬼ごっこをしてもらいます!」

「鬼……ごっこ? っえ? 今鬼ごっこって言いましたか?」


 えへん、とふんぞり返るものだから、ドレスからただでさえ零れ落ちそうな双乳がたゆんと揺れるので、アスタは思わず俯きながら聴き間違いでないことを祈りながら尋ねた。


「そうよ。これからアスタ君は私の可愛い獣たち・・・・・・とこの森の中で一時間、鬼ごっこをしてもらうわ」

「本気なんですね。それに可愛い獣たちってなんですか?」

「フフッ。それは今から呼ぶわ―――【裏切りに死罪を告げる獣ルプスカルミア】」


 ゾクリとアスタの背筋に怖気が奔る。思わず大きく飛び退いて背中に担いでいる剣に手をかけて警戒を最大限までに引き上げる。エルスの足元からぼわん、ぼわんと霞のごとく黒塗りの狼のような四足足の獣が一匹、二匹と生み出されていき、その数が五になったところでその生成が止む。


「これがアスタ君と鬼ごっこをする獣たち、【裏切りに死罪を告げる獣ルプスカルミア】よ。どう? 可愛いでしょう?」


 言いながらその背中をエルスが優しく撫でるとくぅんと可愛らしい声を上げて頭をエルスの美脚に擦り付けて甘える。そして他の四匹も撫でて欲しいのか彼女に密着して大合唱を始める。アスタは目の前で起きていることに理解が追い付かない。


「エルスさんの魔法ですよね、それ?」

「えぇ、もちろん。1匹から最大で666匹の闇の獣を生み出すことが出来るのがこの魔法、【裏切りに死罪を告げる獣ルプスカルミア】の能力よ」


 何でもない風にエルスは魔法の内容を口にするが、それを聞いたアスタはますます愕然となる。エルス個人の戦闘力の高さは身をもって体験したが、その上で最大で666匹の闇の獣を生み出すことが可能なこの魔法があれば彼女一人で軍を―――いや、国を相手にすることさえできるはず。


「個体差は私が発動に使用する魔力量によって調整できるわ。この子達はそうね……今のアスタ君より少し・・強いくらいかしら? あぁ、もちろん強化も何もしていない状態のアスタ君と比べてだから安心してね」


 それを聞いて安心できるのはよほど能天気な人だけだと思う、とアスタは心中で突っ込みを入れながら鋭い視線でエルスに甘える黒い狼たちを睨む。断じて自分も同じように甘えたいとか羨ましいとか思っているわけではない。あくまでこれから対戦(?)する敵の品定め。断じてエルスに頭を撫でて欲しいというわけではない。


「………ガルゥ」


 その中の一匹が小馬鹿にするように鼻で笑うように小さく唸り声を上げた、ようにアスタには見えて思わず斬ってかかりたくなるがその衝動をぐっと堪える。エルスはその様子に首を傾げてから説明を続けた。


「アスタ君は逃げる役、この子達が鬼役で一時間鬼ごっこをしてもらうわ。最初は五匹だけど十分おきに一匹ずつ増えていくから最大で十匹の鬼がアスタ君に襲い掛かることになるわ」

「……襲ってくるんですね、獣だけに。僕の知っている鬼ごっことは違って命がけですね」

「もちろん、逃げるだけじゃなくて撃退・・してもいいわ。補足されたら戦闘して倒してもいい。この鬼ごっこにおけるアスタ君の勝利条件はこの子達全て倒すか、一時間耐えきるか、このどちらかよ。そのために身体強化の魔法を使うことは許可しましょう。ただし―――」


 そこでエルスは一度言葉を切る。ごくりと唾を飲み込んでその後に続く言葉を待つ。


「―――あの魔法、【聖光纏いて闇を断つホーリールークスオーバーレイ】は使用禁止。それを使った時点でアスタ君の負けとします」

「どうしてですか? もちろん鬼ごっこで使うつもりはないんですけど……一応理由を聞かせてもらえませんか?」

「あの魔法ね……今のアスタ君には身を滅ぼしかけない過ぎた魔法よ。出来ることならしばらくは使わないほうがいいわ」


 暗愁を滲ませた面持ちでエルスは告げた。だがアスタにはその言葉の意味がよくわからなかった。身を滅ぼすとは一体どう意味なのか。何故使ってはいけないのか。そもそもあの魔法はアスタにとって無くてはならないモノ。


「あれは……あの魔法は僕が勇者であるための大事な魔法なんです。それを使うなって言われたら……」


 アスタを勇者たらしめる魔法。それが【聖光纏いて闇を断つホーリールークスオーバーレイ】に他ならない。もう一つ、切り札はあるにはあるがこちらはそれこそ使えば確実に死ぬ、一撃限りの自爆魔法。だからこそアスタはこの魔法に縋り、剣をひたすらにがむしゃらに振って己を鍛えてきた。


「人の話は最後まで聞きなさい。今後ずっととは言っていないわ。今使ってはダメなだけよ。その理由は単純。あなたの身体が魔法による強化に耐えることが出来ず、使えば使うほど自壊してしまうから。自覚はなかったと思うけどね」

「身体が自壊するって……それはどういう意味なんですか?」

「文字通りの意味よ。使い続ければ大切な人を護ることはできなくなる。それどころかあなたの命も花と散ることになる。行きつく果てに待つのは確実な死よ」


 その宣告はアスタの胸に深い絶望が刻まれる。切り札をきればきるほど死に近づく。誰かを護るために振るう力で己の命をすり減らしていく矛盾。幼いアスタでなくても絶望するには十分すぎる真実だ。


「落ち込むことはないわ、アスタ君。あの魔法に頼らなくても君は十分に強くなれる。それは魔王である私が保証するわ」


 俯き、肩を震わせているアスタの頭にぽんと手を乗せながら、優しく諭すように言う。下を向いていたアスタはゆっくりと顔を上げる。その先にあったのは柔和な微笑み。


「そもそも。君はまだ子供だということを自覚しなさい。まだ幼いのにそれだけの力を持っていること自体が異常・・なのよ。この先成長していけば……それこそ私と対等に戦える勇者になれるはずよ」


 だから自信をもってね、とエルスは小さな勇者の頭を撫でた。それは母親が背伸びしたがる子供をあやす光景と似ているが二人は本来なら敵対同士の魔王と勇者。親子というには奇妙な関係だ。慰められることにだんだんと恥ずかしくなってきたアスタはふくれっ面でエルスを睨む。


「フフッ。少しは元気になったかしら? ならそろそろ始めましょうか。この子達もいい加減退屈そう。準備はいい?」

「はいっ。もう……大丈夫です!」

「その意気よ、アスタ君。じゃぁ、まずはアスタ君が森に入って、それから三分後にこの子達を解き放つわ。そこから鬼ごっこ開始。いいわね?」

「一時間、逃げるのではなく十匹全て倒します! では、行ってきます!」


 頑張ってね、というエルスの声を背に。アスタは身体強化の魔法を発動させて蒼光を身に纏い、勢いよく地面を蹴って森の中へと入っていった。その小さいけれど勇猛な背中を見つめながら、エルスは一人呟く。


「あなたならきっと……カルムを越えられるわ。頑張ってね、アスタ」


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