第6話:遠い日の出来事

 夢を見ていた。はるか遠い昔に確かに起きた、誰かの記憶を追体験しているような夢。


 色濃く鮮明に映し出される景色。しかしそこに美しさはなく、剣激で旋律を奏でながら鮮血を散らした殺し合いの殺戮現場。


 その戦場に立つのは二人の男女。一人は闇のような純黒のドレスに身を纏った絶世の美女。金砂のような流髪を靡かせながらその手には似合わぬ常闇に血を混ぜたような紋様が描かれた細身の長剣を握っている。


 相対するのは洗練された鍛え上げられた鋼のような肉体を持つ男。その髪は女とは対照的に雪世界を思わせる銀色。彼が構えるのもまた、星々を思わせる無限の輝きと人々の希望を内包した聖なる剣。


 光と闇。聖と魔。人族と魔族の命運をかけた頂上決戦が行われていた。


「魔王エーデルワイス! お前はここで…………俺が斃す!」

「私が何をしたというのかしら、勇者様? 私はただ静かに暮らしたいだけなのよ?」


 激昂する男。嘆く女。両者が抱く感情は正反対のものだがその身に纏うは相手を必ず殺すという明確な決意。


「俺が間違っていた。お前は……魔族は存在するだけで人々を悲しませる! その涙の連鎖は今、ここで断ち切る! いくぞ。覚悟しろ……【聖光纏いて闇を断つホーリールークスオーバーレイ】!」


 髪色と同じ、白銀の魔力が身体から噴き出して鎧のように身に纏う。一切の穢れなきその輝きは大地を真っ白に染め上げた大雪が陽を浴びてキラキラと輝いている様に似ていて、それを視た魔王は驚くよりもむしろ感嘆のため息をついた。


「それがあなたの……勇者カルム・グロリオサを勇者たらしめている魔法。フフッ。綺麗なものね。いつまでも観ていられそう。でもね―――」


 女は目を細めながらまばゆい光を見つめながらも不敵に笑う。そして剣を握る右手に力を込めながらゆっくりとその切っ先を勇者に向けて、静かに告げる。それはまるで死刑宣告のように聞こえた。


「【赫月真祖の覚醒リベレイションヴァーミリオン】」


 深紅の奔流が迸る。突如轟々と吹き荒れた嵐を前にして、黄金の輝きを纏う勇者も思わず片眼を瞑る。


「身体強化の魔法は、あなただけが使えるわけではないのよ?」

「それが……貴様の真の姿と言うわけか……」


 女が靄を払うように左手を払う。


 赫と黒が入り混じる混沌とした輝きを身に宿し。空色の瞳は満月を想起させる綺麗な色へと変化している。肉体に男のような変化は見られないが、その身に纏う空気は絶対なる強者ではなく、世界そのものを創造する神の威光。


「現存する唯一の吸血鬼の姫。真祖エーデルワイス。魔王の分際で神を気取るとはな。蝙蝠風情がおこがましいな」

「フフフ。さぁ……恐れぬならばかかってきなさい、人の子よ。脆弱な種族でありながら過ぎた力を宿した勇者。自分が操られていることにも気付けない哀れな男」


 一瞬の静寂の後。白銀と赫黒の輝きが激突する。


 まず仕掛けたのは勇者カルム。地面を深く陥没させるほどの踏み込みで目にも映らぬ速度を発揮して魔王エーデルワイスに接近。両手に握る聖剣を上段から振り下ろすがそれは儚く空を斬る。一切の音を立てず、踊るようにヒラリとカルムの一撃を交わしてその背後を取る。


「―――フン!」


 カルムは素早く左足を軸にしてコマのように回転して横に薙ぎ払う。しかしそれもまたふわりと後方に飛んで回避した。


「……どうした? 攻撃してこないのか?」

「フフッ。遅いわね。とても遅い。気付いていないのかしら? あなた……もう斬られているのよ?」


 ズシャッ。勇者カルムの胸と背中に大きな剣閃が奔り鮮血が飛び散る。


「……馬鹿な、いつの間に?」


 傷そのものは肉体強化のおかげで深くない。戦闘に支障はない。だが、この二連撃を目で追うことはできなかった。その事実に勇者は戦慄を覚える。


「彼我の実力差を理解したかしら? あなたでは私には勝てない。いいえ、あなたでなくても……私を殺せる人はこの世界にはいないわ」

「フン。吸血鬼の魔王様は殺されることがお望みか? なら大人しくしていてくれないか? 俺が一思いに斬ってやるからよぉ!」

「……まずは、私に一撃与えてから言いなさい」


 そこから先は半ば一方的な蹂躙。勇者の身体はボロボロになるまで切り刻まれて、己が流した血の海の中に沈んだ。



 *****



「うぅ……今のは……夢? それにしてもリアルな……」


 窓から差し込む朝陽。その眩しさに耐えきれずにアスタは目を覚ました。やけに鮮明な夢だった。剣と剣がぶつかり奏でる音、飛び散る火花、勇者と魔王がぶつけ合う濃密な殺気。周囲一帯を焦土と化す爆嵐のような激突はまさに勇者と魔王の一大決戦だった。


「あれは……エルスさん……? その相手は……誰?」


 銀髪の戦士の容姿は端麗でその肉体に一切の無駄はなくまるで手にしていた聖剣そのもの。その剣はアスタの持つ聖剣【グラジオラス】とどこか似ているが、しかしあの輝きは似ても似つかない。だが夢の中の勇者が使っていた魔法。あれは自分の切り札と確かに同じ名前だった。それは何を意味するのだろう。


「んぅ…………」


 それに、夢の中でエルスさんも身体強化らしきものを使っていた。身体が血よりも赤い闘気を纏い、瞳は金色に輝いていた。そしてあの剣は―――


「んん……アスタくん……もう起きたのぉ?」


 夢の中のエルスについて考えを巡らせていたアスタを強制的に現実へと引き戻したのもまた他ならないエルスその人だ。何度言っても聞く耳を持ってくれず、もう好きにして下さいとアスタが折れたことで一緒の布団で寝ることになった。それでも問題はある。


「エルスさん……いつも言っていますけど服は着て下さい。風邪ひきますよ?」


 この魔王様は寝るときは必ず一糸まとわぬ姿なのだ。瑞々しい果実のような張りと艶のある裸体を惜しげもなく披露されてはまだ十歳と幼いアスタでも意識してしまう。それだけではなく艶めかしい寝息を耳元で聴かされることになるので最初の頃は中々寝付けなかった。だがそれ以上に困るのは―――


「うぅん……大丈夫だよぉ……アスタくんをぉ……抱きしめていればぁ……温かいから」

「ちょ、ちょっとエルスさん―――!」


 身体を起こしていたアスタの腰を掴み、そのまま強引に己の胸の中へと引きずり込む。エルスの谷間に顔を挟まれ形になり、逃げようにも腕だけでなく足も絡ませてくるので藻掻く事さえできない。


「はぁ……落ち着くぅ……えへへ……アスタくんもぉ……二度寝しよ?」


 アスタ少年の頭を悩ませる最大の種は魔王エーデルワイスのこの抱き癖だった。自分を抱き枕か愛玩動物か何かと勘違いしているのではないかとさえ思うこの所業。見る者が見れば絶世の美女に抱きしめられて眠れるのだから最高のご褒美だと嘆くかもしれないが、純真無垢なアスタにとってこれはただただ恥ずかしいだけ。


「エルスさん……あなた、その手はいい加減通じませんよ? 寝た振りをして、僕をからかっているんですよね?」

「…………」


 精一杯怒っていることを主張するようにアスタは低い声で尋ねるが、エルスは聞こえていませんよ、と言うようにわざとらしい寝息。アスタは思わず青筋を立てる。


「……わかりました。あなたがその気なら僕にも考えがあります。すぅ……はぁ……【聖光纏いて闇をホーリールークスオーバー……】」

「スト―――ップ!! わかった! お姉さんが悪かったからそれは使わないで! お姉さん起きるから! だから落ち着いてアスタ君!」


 身体能力を極大に上げるアスタの切り札の一つを発動してこの拘束を剥がして痛い目を見てもらうとした矢先、エルスはばっと彼から飛び退いて両手を突き出して少し震えた声で謝罪の言葉を述べた。


 その姿は魔王と言うよりも溺愛する弟から怒られるのが嫌なダメな姉のような感じでそこに威厳はない。アスタはため息をつきながら魔法の発動をキャンセルした。


「はぁ……もう、エルスさん。これも何度も言っていることですけど抱き着くのは止めて下さい。僕だってその……男なんですから……」

「フフッ。もう、可愛いわね。まだ幼いのに大人ぶって……そういう背伸びをするところも健気で好きよ」


 一転して表情に雅さがさしこみ、アスタの心臓が大きく跳ねる。その微笑みはいつもアスタの心をかき乱す。飽きることのない上に独占したいとさえ思う聖母がそこにいた。


「さぁ。そろそろご飯にしましょうか。アスタ君の大好きなたっぷりのハチミツと卵牛乳に着けたパンを焼いてあげるからね」


 毛布を身体に巻き付けて、エルスは立ち上がった。その立ち姿はまさに一枚の絵画のように美しくてアスタは思わず息をするのを忘れるほど見惚れてしまった。


 アスタがエーデルワイスの元で暮らし始めて早いもので一週間。勇者と魔王の奇妙な共同生活は不思議なくらい穏やかなものだった。


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