帰る街

志央生

帰る街

 冷房の効いた電車から降りると、俺を出迎えたのは蒸し暑い空気だった。先ほどまで涼やかだった肌が一瞬にして熱を持ち発汗を始める。おかげで着ていた服が濡れていく。

 五年ぶりに自分が生まれ育った町に帰ってきた。大学に通うために遠方の地で四年間、一人暮らしをしていた。 いつでも帰ってくることができたが俺は一度も帰ることはなかった。それは俺が、少なからずこの町に帰ってくることに抵抗があったからだ。だが、昨年は就職が内定したことを報告するために帰ろうと試みたが、色々と事情が重なり結局は帰ることが叶わなかった。さらに一年が経ち、俺は五年ぶりに故郷の大地を踏んでいる。

 しかし、帰ってきた町は俺の知る景色とはずいぶんと変わっていた。駅前にあった老婆が経営していたタバコ屋がなくなり、代わりに美容院が建ち、空き地だった場所にはコンビニができている。懐かしい、という感傷に浸ることができないほど様変わりした町は、俺がいなかった五年間という時間を確実に刻んでいた。

 家に帰るための道は体が覚えていた。進む方向は間違っていないはずなのに、目に映る景色ばかりが違い戸惑いを隠せなかった。畑があった土地に新築の家が建ち並び、住宅街へと変わり、昔よく通っていた駄菓子屋はシャッターを下ろしている。知っているはずの道がまるで見知らぬ土地を訪れたような孤独感を俺に抱かせた。

 やっとのことで家の前までたどり着いたが、中に入るのが躊躇われた。実家とはいえ、現在は兄夫婦が住む住居になっている。父と母は俺が高校三年生の夏前に事故に遭い死んだ。それからは、兄と義姉がこの家に越してきて俺の面倒を見てくれた。大学に行きたいと進路について話したときも快く了解してくれた。兄には兄の家庭があったのにも関わらず、義姉もやさしく送り出してくれた。今にして思えば、ずいぶん無理なことを言ったのではないかと思う。そういう気負う気持ちもあり俺は帰ろうとしなかったし、今も敷居をまたぐのを躊躇っている。

 なかなか自分の中で踏ん切りがつかず、立ち止まっていると後ろから子供が二人ぶつかった。その勢いで、門の中に足を踏み入れることができた。俺はぶつかってきた子供を見るが、彼らは何事もなかったかのように玄関まで走っていく。その姿を見て思わず苦笑してしまう。あれは、兄夫婦の双子の子供だとすぐに分かったからだ。俺がここを出る前の年齢が一歳だったから、今は六歳ということになる。背丈は成長していたが兄と義姉にどことなく似ているな、などと二人の成長に感心していると二人は勢いよく玄関の戸を開けた。

「「ただいま!」」

 甥と姪は元気よく家の中に叫ぶ、俺はその後ろからそっと玄関の中に入る。すると、廊下の奥から義姉が姿を現した。こちらを見ると、顔をほころばして優しく微笑む。五年も経つはずなのに、義姉の姿はあまり変わっていなかった。昔からスタイルが良く、何を着ても似合う人だった。彼女を見て俺は、忘れかけていた言葉を遅れて口にする。

「ただいま」

 彼女は何も言わずに手招きして俺を迎え入れてくれた。


 家の中は何一つ変わっていなかった。些細な物の移動はされていたが、それ以外は五年前と何ら変わりない形で置かれていた。俺は居間に置かれた仏壇に手を合わせて自分の使っていた部屋に足を向けた。自分の部屋へと続く廊下を踏みしめると、ギシィと床がきしむ音が耳に聞こえる。知らぬ間に老朽化した木目板が俺の体重に悲鳴を上げている。外観や内観は変わらずとも、確かにこの家も時間を刻んでいた。そう感じながら、自分の部屋へとたどり着いた。

 中は当時のままの姿で残されていた。ゆっくりと息を吸い込むと、嗅ぎ慣れた懐かしい匂いが肺の奥深くに染み込んでいく。わずか五年でここまで懐かしくなるのだろうか、などと思いながら絨毯の上に寝転がる。天井の木目を眺めながら、深く息を吸い込み体全体に匂いを充満させるように何度も息を吸い込んでいった。


 いつの間にか眠っていた。目が覚めると、部屋の窓から漏れる日が夕闇に変わっている。夜になれば、夏でも心地よい風が網戸から吹き抜けた。

 体を起こして、部屋を見渡して夢での出来事ではないと確認する。ホッと安心していると玄関のほうから男の声が聞こえてきた。

「ただいま」

 俺はスマホを使い時間を確認する。午後六時を表示していた。ゆっくりと立ち上がり俺は居間に向かって歩を進めた。

「ただいま、元気にしてたか」

 兄は居間についたばかりの俺に早々に尋ねてきた。すぐに答えようとしたが、甥と姪が兄の足元へと駆けていきズボンの裾を引っ張り何かを話そうと意思表示を示した。よく見ると、お互い体中に引っかき傷があり、目の下には泣いてできた涙の痕が残っている。どうやら、俺が眠っている間にケンカをしたようだ。

「まったく、それで何が原因なんだ」

 服を着替えながら兄は二人の意見を交互に聞いていく。

「お兄ちゃんが、わたしの人形を勝手に」

「借りるっていっただろ」

 お互いの言い分に不満がある二人は、またケンカしそうな雰囲気を漂わせ始める。

 兄が悩んでいると義姉がそばに行き、何やら耳打ちをした。どうやら、ケンカの経緯を説明しているようだ。

「そういうことか」

 兄は話を聞き終えると、甥と姪の頭に軽くげんこつで小突く。頭を叩かれた二人はきょとんとした顔で兄を見上げる。

「ケンカをするなとは言わないが最後には絶対に仲直りすること。約束できるな」

 兄が言っていることが分からないようだったが、二人とも互いに謝り仲直りさせた。

「さて仲直りしたし、ご飯にしましょうか」

 義姉の言葉を聞いた兄と甥と姪は「はーい」と返事をして食卓を囲む。俺も遅れながら、机の上に並べられたご飯を見る。久しぶりに誰かの手料理を食べるため、その味を噛みしめるように口を運んでいく。大学に通っていたときは、ほとんど外食で済ませていた。ファーストフードや味気のない即席麺を作って一人で食べる生活が当たり前だった。だから、こうして誰かと食卓を囲み食べるご飯に温かみを感じずにはいられない。それが家族とであればなおのことだろう。先ほどまでいい塩梅の味だった料理に少しだけ塩気が増していることに気が付いた。知らぬうちに流れ出していた涙の味と混ざり合っていた。それを隠すように下を向く。

 和気あいあいとした食卓で俺は一人俯いて、義姉が作った料理を食べ続ける。

 この家を離れていた五年間、本当にいろいろな事があった。見知らぬ土地で知り合いもおらず、一人孤独に暮らしていくことに不安がなかったかと言えばウソになるだろう。

 それでも俺はこの家を出て違う場所に行きたかった。兄と義姉、甥と姪と暮らしていく中で俺は自分の異物ではないだろうかと感じていた。本来であれば、家族四人で暮らすはずの場所に、俺は紛れ込んだ迷子のように思えたのだ。

 遠くに行きたかったのは、帰ることができないよう。近ければ、帰る口実ができてしまう。だから遠方の大学に進学した。

 知らぬ土地で初めての一人暮らし。大学に通いながらバイトをこなして生活をしていた。時間が経てば仲のいい友人もでき、アパートの住人とも仲良くなった。

 大学最後の夏は、内定をもらえたことを伝えるため帰省しようとしていた。ただ、予期せぬ大雨で電車が動かなくなり帰ることができなかった。

 それから一年遅れたが、こうして懐かしい我が家に帰ることができた。兄と義姉、甥と姪の元気そうな姿を目にすることができて本当によかったと思うばかりだ。

「元気か」

 晩御飯を食べ終え、片付けられた食卓に取り残されているように座り続けていた兄が話しかけてくる。甥と姪はすでに自分たちの部屋に姿を消し、義姉も一日の疲れを落としに風呂へ行った。

 俺は兄の問いかけに口をつぐんだ。いったい、何をどう伝えればいいのだろうか。この五年間の暮らしについて話せばいいのだろうか。

「元気だったよ、兄貴が心配する必要もないくらい」

兄は何も言わずに目を閉じて俺の声に耳を傾けながら手に持ったグラスを口まで運ぶと、中に入った酒を飲み下していく。

「どうだ、うちの子供」

 兄は頬を緩ませながら自分の子供の話を始める。幸せそうな表情を浮かべた顔はわが子を溺愛する世間の父親と同じだった。

「バカ親っぷりが板についてたよ」

 兄は俺の返答を聞いて笑い出した。俺も兄と同じように笑う。

「あなた、お風呂あいたわよ」

 湯上りの義姉が兄を呼びに姿を見せた。髪は濡れたままで寝間着に身を包んでいた。

「あぁ、今行くよ。それじゃあな」

 兄はグラスに残った酒を一気に飲み干して席を立った。


 一人、取り残された食卓に蝉の鳴き声が響く。俺はふと、居間の仏壇へ目をやった。

 母と父の写真が置かれている。二人とも満面の笑みを浮かべて、この世には何の未練もないような顔をしている。その写真は、兄と義姉の結婚式で撮られた家族写真を切り取ったものだ。

「なんて顔しているんだよ」

 俺は思わず笑ってしまう。普段はあまり笑顔を見せない父親が、この写真では満足そうな顔をしている。その隣で笑う母も父に負けず劣らずのいい顔をしていた。

 

「ふぅー、いい湯だった」

 兄が風呂から上がり、再び居間に戻ってきた。そのまま仏壇の前まで来ると線香をあげて手を合わせる。

「もう一年が経つよ」

 仏壇に語りかける兄は、父と母の遺影に向かって話しかける。先ほどまで子供の自慢をしていた甘い顔は無い。

 それ以上何も語ることなく、兄は立ち上がり仏壇の前から去って行った。

 俺は兄が立ち去った仏壇の前に座る。先ほどあげたばかりの線香が煙を上げて、部屋の天井へと消えていく。

 視線を線香から仏壇に飾られている遺影に向ける。隣り合うように置かれた父と母の写真に隠れるようにもう一つ写真がある。その写真を俺はそっと覗く。

 父と母と同じように兄と義姉の結婚式で撮られた写真。そこに写っているのは笑みとは言い難い、不服そうな顔を浮かべる俺自身だ。なにが邪魔したのかわからない。多感な時期だったからなのか、無為な反発心だったのか。当時の俺は素直に兄の結婚を受け入れることができなかった。

「今なら笑えるのにな」

 俺は心の底から思っていることを口にして仏壇の前を後にした。

                                    了

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