VAMQUISH

曼陀羅悪鬼丸

プロローグ 


 走る。

 時間は夜中。正確な時間帯はわからない。しかし頭上真上にて輝く月が、深夜であることを知らせてくる。

 しかし走る彼はそれを知る由はない。知る暇がない。目は走る先を見据える。上にも下にも視線を真っ直ぐ。

 疾走する。

 夜闇の中を走っていく。夜闇から逃げ出すように。闇に潜む陰から逃げるように。

 視線の先に映る、町の光を目指して、逃走する。

 疾駆する。

 呼吸が、心音が、乱れる。地を蹴る足と同調していた呼吸は、過剰に酸素を求めた。背後に迫る危機が迫り、心音はアラーム音のように早く、大きく、乱れていく。

 走る。

 疾走る。

 疾駆る。


「は、はぁ、はっ……!」


 今自分が走っているここは人が全くいない。

 人工物も明かりなどなく、数年間崩れたままの建造物のがれきがあるだけ。

 だから走る。疾走る。疾駆る。

 その時。


――ドンッ


 背後からの衝撃。

 全力疾走する自身の速度より速く、背後から殴られた。

 丁度、肺の位置する部位へと。身体を貫くかのような一撃。それは乱れていた呼吸は一瞬止め、身体を宙へと浮かばせた。


「ぐぁっ……!?」


 全力疾走の速度以上の勢いで地面へと倒れる。

 頭から倒れこむのを防ぐために、両手で頭部をかばう。

 手の肉が抉れ、膝を擦りむいた。それ相応の痛みが走るが、今はそんなことを気にかけている暇はない。

すぐさま立ち上がり、走りだそうとする。


「ぶっ!?」


 しかし、後頭部を踏みつけられる。

 一度ではなく、何度も何度も。顔面は固い地面に擦りつけられ、額や鼻から血が流れる。


「――か、見られ――はなぁ」


 頭を踏みつけているものが何か言っている。

 しかし、今はその言葉も理解している暇はない。

 踏みつける足から逃れようともがく。

 ふと足が頭から離れた。

 この隙に抜け出せる――即、這いずりその場から動こうとする。


「がっ」


 今度は背を踏みつけられる。

 そのまま万力のように足に力が込められていく。

 その箇所は心臓の真上。


「が、が、ぁっ……」


 ぎちぎち、と肉が繊維単位で徐々に、確実に千切れていく。

 みしりと、骨が軋んだ。それでも力は増されていく。


――パキン。


「ぁ――」


 骨が折れた、砕けた。簡単に。

 ぐしゃり、と足が背を貫通した。

 ゴミを踏み潰すかのように、心臓が潰された。


「ご、ぼぁ……」


 一瞬のことに、一瞬の激しい痛み。肉体の一部が破裂したかのような感覚とそれに伴う痛み。

 血を吐いた。背から胸を貫通した穴からは大量に血が流れていく。

 血が体外へと失われていく。それに比例するかのように意識が遠のく。

 痛みはなくなる。感覚がなくなる。

 触れていた地面よりも、身体は冷たくなっていく。


 ぬちゃり。

 まだ聞こえる耳から、粘着質な音が聞こえた。

 薄くなった感覚ではわからなかったが、貫通した足が抜かれたのだろう。

 すると栓が抜かれた容器のように、さらに流血量が増えた。


 力が抜ける。感覚がなくなる。意識が沈む。

 死ぬ。

 最期はそんなことを、感じていた。






†††††






 人の喧騒から離れた、瓦礫と廃墟の中。

 ぽつんと、一つの死体が血に沈んであった。

 うつぶせに倒れたそれは背から胸を貫通した空洞が一つ。そこから大量の血が流れていた。しばらく時間が経ってか、肉体から血は抜けきっていた。


「……」


 そこへ一人、歩み寄る者がいた。

 死体へと近づき、仰向けに裏返す。

 すると流れ出た血が衣服、皮膚にこべりつき、赤く染まっていない場所がほぼない。そして濃い血の匂いが鼻腔に充満する。

 その匂いに近づいたものはごくり、と喉を鳴らした。

 死体の口元の血を親指で拭い、その血を舐めとる。


「うん……」


 何かに納得でもしたかのように頷き、死体を横抱きにして抱える。

 そしてそのままどこかへと消えていく。

 街に響く、人の喧騒とは真逆の静寂の夜闇の中へ。





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