第18話 開かずの部屋

 第三皇子の宮は、主人の立場故に権力抗争には縁遠い。

 しかし例に漏れず女の園であるがために、落ち着いた雰囲気でありながらも他の皇子の宮に引けを取らない賑やかさがあった。


 しかし、それもここ数日は違っている。


 後宮のさらに奥まったところに、一際大きな扉の室がある。外側から固く閉ざされたその扉は、後宮に住まう女官の誰一人として開けることを許されていない。

 数日前、そのように下命された。


「ねぇ、聞いた? お二方のこと」

「知らない人なんていないわよ、すごい騒ぎだったもの」

「居合わせたっていう二人も、まだ気が気でないみたいよ。見てるこっちが辛くなるくらい、憔悴しきってたわ」

「いったい何があったのかしら……殿下があそこまでお怒りになることなんて、今までなかったのに」


 気の毒だと口先では言いながらも、噂する彼女たちの口が止まることはない。けれどその前を通るたび、重厚な扉には好奇の視線が向けられた。


 その扉の向こうに、夏蓮はいる。


 まだ午前だというのに、窓を閉め切った室内は宵口を思わせるほど薄暗かった。逃げ出さないようにと鍵がかけられているのだ。

 陽の光を取り入れる天窓にも、硝子を守るように鉄格子が二重にはめられている。


 あの日、辞退を宣言してすぐに夏蓮はここへ閉じ込められた。

 騒ぎを聞きつけて馳せ参じた鳳泉や姚佳の諌言は聞き入れられず、引き離されてしまった。

 けれど、完全に一人になったからか、夏蓮は少しずつ落ち着きを取り戻していった。

 あれほど自制の効かなかった心はすっかり調子を取り戻し、暴走する兆候さえ見せない。

 身の丈に合わない期待を寄せられたことで、知らぬうちに精神的に負荷がかかっていたのだと遅まきに納得した。


 けれど、だからといって悩みがなくなったわけではない。

 彼女たちが今どうしているのか、夏蓮には知る術が無かった。

 せめて扉越しにでも話せればいいのにと、もう何度目とも知れず扉を見つめる。


 扉が開くのは、日に数回のみ。それを開けるのは決まって、夏蓮を閉じ込めた張本人だけだ。


 あの日から、皇子は徹底的に夏蓮を孤立させた。扉の前を誰かが通ることさえ許さなかった。

 一度、春鈴が偶然通りすがっただけだというのに皇子に厳しく責め立てられ、追い出されそうになったことさえあった。

 必死に宥め諌めた結果、彼女が後宮を追われることは回避できたとはわかっているのだが、その後も辛い目に遭っていないだろうか。


 思い悩むことが多すぎて溜息が止まらない。静かな室内に大きくそれが広まった時、歪な音を立てて扉が開かれた。

 強すぎる光が急に飛び込んできて、夏蓮は顔を背ける。

 聴覚ばかりが研ぎ澄まされる中で、開かれた扉の方から誰かが近づいてくる音がした。

 それが目の前で立ち止まり、影が差してようやく夏蓮は顔を正面に戻す。


「腹がすいただろう。さぁ、食事にしよう」


 にこりと笑みを浮かべる皇子に、夏蓮は無言で立ち上がった。


 夏蓮の食事は、必ず皇子が自ら持ってくる。献立も、皇子がわざわざ厨房にまで出向いて言いつけていると扉越しに聞いた。

 二人がけの卓に並べられた今までと変わることのない食事は、皇子と相伴しなければならない。それを拒めば、箸を取ることさえ許されなかった。

 皇子は、とにかく夏蓮を拘束したいらしい。

 けれど倒れては抵抗もできなくなると理解しているからこそ夏蓮は受け入れるしかなかった。

 心は落ち着いてきたとはいっても、状況が状況なだけに皇子への反感が消えることはない。

 当然、そこに会話があるはずもなく、夏蓮は作業のように黙々と食事を口へ運んだ。

 その間でも皇子はたわいもない話を一人発信する。その中に少しでも外の情報がないか選り分けるのが夏蓮の常だったのだが、今日に限って皇子は入室の一言以来口を開かなかった。

 静まり返った部屋が、とにかく居心地悪くて仕方がない。


「少しは落ち着いたか?」


 いきなりの問いかけに、夏蓮は思わず見返した。

 何のことかとも悩んだが、すぐに辞退を取りやめるか、ということだと思い当たる。


 ようやく口を開いたかと思えば、この男はどこまでも気にくわないことをするのか。


 きつく皇子を睨みつけ、顔を背ける。言葉を交わさないことが、夏蓮の抵抗だった。答えてなどやるものかという意地があった。


 それを受けて、皇子はわざとらしく肩を竦めて落胆する。


「まだ出してやれそうにないな」


 残念だ、と言う言葉は嘘だと夏蓮は思った。

 けれど、それでも口を固く閉ざし続ける。

 それでも、皇子の口角はゆるく吊り上っていった。

 楽しませる結果に終わったことに、夏蓮は小さな苛立ちを感じた。

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