第6話 鬱憤晴らしと水の泡

 バシン! バシン! と強く打ち付ける音が響く。

 親の仇と言わんばかりに叩きつけているのは、衣装を汚さないようにと前掛けをつけて三角巾までつけながら、表情を微塵も動かさない夏蓮である。

 第三皇子と接触してしまったことで、溜まりに溜まった鬱憤うっぷんが爆発寸前だった。だから鳳泉に頼み込み、後宮の厨房ちゅうぼうを借りたのだ。

 腹が立つ時こそ趣味に打ち込むのが夏蓮の癖である。

 そして一人にしてくれと鳳泉を説き伏せて、人目がなくなったことを確認してから夏蓮は我を忘れたように料理に没頭した。


 夏蓮がまず着手したのは餃子ぎょうざ作りだ。餃子はいい。生地作りも野菜のみじん切りも、作業は何もかもを忘れさせてくれる。

 その上、叩きつければ叩きつけるほど、細かく刻めば刻むほどに完成させた時の気分は爽快で、しかも美味しいものが出来上がるのだ。

 そして、美味しいものを食べれば気分も心地よく上昇する。


 これぞまさしく一石二鳥。

 美味しいものの前には怒りなど些事に過ぎない、というのが夏蓮の持論だった。


 幸い後宮にはたくさんの女官たちがいるから、たくさん作っても消費に困ることはない。

 けれど夏蓮が怒りに任せて何か作っている間は、荒ぶる鬼神もかくやというほどの勢いで、しかし無言かつ無表情で工程を進めるので、家人曰く「控えめに言っても怖い」らしい。

 暢気な父母さえ苦笑いで曖昧に言葉を濁すのだから、余程のものなのだろう。


(こんな姿、女官たちには見せられないわよね……)


 それでも料理を辞める気にはならないのだから、美味しいものとは真実、罪深いものである。


 さて。すっかりいい具合に捏ねた生地を、丸めて棒状にし、小さく等分する。そして小さく切り分けたそれを手のひらで丸め、潰して広げたら、麺棒で均等な厚さになるように丁寧に伸ばした。


 生地を伸ばし終わったら皮の中央にタネを乗せて皮の端に水を塗り、むにむにとつまむようにひだを作りながら包んでいく。

 これもまた単調な作業だから、気がつけば大皿いっぱいに包み終えた餃子が並べられていた。

 もちろん、これら全てを夏蓮が食べるのではなく、大半は女官たちへのお裾分けである。


(でも、まだ足りない……)


 多少はすっきりしたけれど、夏蓮の中の鬱憤はまだ完全には消えていなかった。

 なにせ二月以上もの間溜め続けたのだ、そう簡単には晴れやしまい。


 夏蓮は誰にともなく頷き、次々と食材を取り出して料理を再開した。


 鶏肉は骨から削ぎ落として細切れにし、塩を加えて粘り気が出るまでよく練り混ぜる。

 粘り気が出たら胡椒こしょうや卵、片栗粉を加えてさらに混ぜ、しっかり混ざったら酒を少量加えてさらに混ぜた。


 大きな寸胴鍋に水を張って湯を沸かし、干した昆布を加えて、鶏団子の半分ほどを一口大に丸めて落とし、茹でていく。

 鶏団子に火が通るまでの間に白菜とにらを食べやすい大きさに切り、生姜はみじん切りにした。


 鶏団子の茹で汁から灰汁あくを丁寧に取り除き、醤油で味付けをして一度煮立たせ、時折灰汁を取りながらまたしばらく煮込み、白菜と香りづけの生姜を入れたら汁物の完成。

 器に盛り付ける時に葱のみじん切りを散らせば見栄えも良くなるだろう。


 残しておいたも半分の鶏団子は一口大よりも大きく丸めて油で一度揚げて、甘酢餡をかければ、もう一品出来上がった。


 主菜に汁物、副菜も一品完成した。けれど、夏蓮の表情はまだ晴れない。当然、気分も晴れ切っていない。空模様でいうなら薄曇り、というところだろうか。


「……野菜が足りない気がする」


 餃子も汁物も野菜をたっぷり入れたつもりだが、見た目的に彩りが足りない。

 ならば作ろう、と夏蓮は嬉々としてまた包丁を手に取った。


 きゅうりは千切りにして塩少々と混ぜて、少し置いてから水気をきる。

 その間にもやしとほうれん草を茹でて、塩漬け肉を薄切りにして細く切った。


 たれは酢、醤油、ごま油を下地に砂糖と塩で味を調えて完成。


 茹でたもやしとほうれん草の粗熱が取れたら水気を絞り、きゅうりと塩漬け肉と合わせて作ったたれを加えてよく和えれば、付け合わせの完成だ。


 これで主菜、汁物、副菜二品。計四品。これ以上作っては厨房の料理人たちの仕事がなくなってしまうだろう。

 大量生産した自作の料理を前に、夏蓮は満更でもない表情で額の汗を拭い、前掛けと三角巾を外した。


 体は少なからず疲れていたが嫌な重だるさはなく、胸中に立ち込めていた暗雲も随分と晴れている。

 後は料理に舌鼓を打てば、快晴さながらの気分となることだろう。


「今日の夕食が楽しみだわ」


 夏蓮はささやかな微笑を一つ零し、軽い足取りで厨房を後にしたのだった。






 ーーそして、夜。


「なんで……どうしてここにいるのよ……」


 夏蓮は満面の笑みを浮かべて自室の前に佇む夫を睨みつけた。


 皇子は昼間は一つにまとめて束ねていた髪を下ろし、衣装もゆったりとした夜着に変わっている。湯上がりなのか湿り気を帯びた黒髪は昼間以上に艶めいていた。

 気を許した出で立ちだというのに漂い感じる気品は血筋故だろうか。


 さながら自室でくつろいでいるように卓に着く皇子は、皇族に相応しい綺麗な箸遣いで夏蓮作の鶏団子の甘酢あんかけを頬張っている。

 どこまでも人の勘所を突いてくる人だ、と夏蓮はふつふつ沸き立つ腸を自覚した。


 皇子の背後に控える鳳泉は、申し訳ないと眉を下げて二人の様子を伺っている。

 一触即発、とまではいかないが、決していい雰囲気ではないことは、肌で感じる程厳しい雰囲気で容易に察せられた。


 皇子は、ゆっくりと浮かべていた笑みをさらに深めた。


「何故とは、それは私の言葉だろう。ここは私の後宮で、お前は私の正妃ーー妻だ。夜に夫が妻の許を訪れる理由など、そう多くはあるまい?」


 態とらしく流し目まで使われて、赤面した夏蓮は言葉もなく一歩後ずさった。

 皇子が立ち上がり、夏蓮との距離を詰める。

 夏蓮がさらに後ずさると、彼女の手首を捉えた皇子は当然のように卓に促した。


「っちょ、わたし、あなたとは……!」

「鳳泉、ご苦労だった。下がれ」


 抵抗を見せる夏蓮を物ともせず、皇子は鳳泉を追い払うように手を動かす。

 諌めるべきか決めあぐねていた鳳泉は、主人に駄目出しのように命じられて、納得もいかないまま恭しく腰を折った。

 静かに閉じられていく扉に、夏蓮は失意を禁じ得なかった。

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