首級蒐集

名南奈美

首級蒐集



 新しい首級を拾い、布で包んで鞄に入れる。俺は胸のなかで諳じる。



 男の首をそこにみっつ、女の首をそこにみっつ、どちらでもある者の首をそこにひとつ。

 燭台を囲い安置して、死人の毛をそこで燃す。

 その香りを閉じ込めるように、儀式の間を閉めて放置する。

 明後日の夜明けには毛の主は赤子として蘇る。儀式の間は羊水に満たされている。七つの首を繋げて細めた臍の緒はすぐそばの植物と繋がっている。長くは保たない。すぐに切り離して育てなければならない。



 人間の頭に宿る霊性。それに目をつけた首狩り文化から着想したであろうこの儀式を、俺は愚かに信じてミッドナイトに罪を重ねる。改造スタンガンで気絶させて路地裏で首を切り落とす。

 俺が『首級蒐集(しるしあつめ)』と呼ぶこの行為は、どれだけ証拠の残らないように注意を払っておこなったところで、現場を見られて通報をされてしまったらおじゃんだ。だから俺は、さっさと逃げ帰らないといけない。擦れ違った人間に不審がられない程度に、さっさと歩く――これでもう四度目になるが、未だに慣れない。

 三度目の正直を乗り越えた先が、在り来たりなほど不吉な四(し)だなんて……数字ってやつは温かくない。だから俺は学生時代、数学が嫌いだったんだ――今も好きになってやれないでいる。数学のほうからすれば、こんな三十路の猟奇殺人者になんて好かれたくないだろうが。

 運悪く捕まってしまったときに備えて、家の棚を数学の教材だけにしてやろうか。数学を学んでいると冷たい犯罪者になる、と言われるようになるかもしれない……なんて馬鹿げたことを考えて独りでくすくすと笑う。

 そしてすぐに、それとなく周囲をうかがう。誰もいない。胸を撫で下ろす。笑いながら深夜の住宅街を歩く不審な男がいたと通報されては、そうでなくとも記憶されたらたまったものではない。心配のし過ぎかもしれない。でも、過不足の基準なんて俺には判らない。今回を入れても四回しか殺したことがないのだから、まだまだ初心者なのである。

 時計を見ればもうそろそろ午前二時になる。もう、こうして歩いているだけでも不審だ。もっと早く外に出るべきだったのかもしれない……通り魔に適した外出時間って何時だ?

 明日の予定について考えながら横断歩道を渡った俺は、ついつい歩きすぎてしまう――歩道の向こうの公園に、そのまま足を踏み入れてしまう。

 足に何かがぶつかる。悲鳴は出さないでいられる。足元を見れば、それはただの車止めだった。よかった。車止めにぶつかったくらいで悲鳴を上げていたら恥ずかしい。

 後退する最中、俺は顔を上げる。

 公園に誰かがいたら、怪しまれるかもしれない……もっとも、午前二時に公園のなかにいる人間も、俺と同じくらい怪しいのだけれど。

 果たして。

 公園には、人間がいた。

 けれど、怪しい人間ではなかった。

 疑わしい人間でもなければ、不審な人間でもなかった。

 訝しむ余地もないほど明確に、そこにいたのは殺人者だった――今まさに死んだ肉体を切断しようとしている猟奇殺人者だった。

 悲鳴を上げることもできなかった。



 俺が首級蒐集のために外に出たのは午後十一時で、実際に犯行に及ぶことができたのは午前二時前だった。

 どうして三時間もかかったのか?

 みっつの要因が考えられる。

 深夜の道をひとりで歩いていて、抵抗されたり悲鳴をあげられる前に気絶させることが簡単そうな人間を狙わないといけなかった。さらに、あまり人気のないところで探さないといけなかった。

 そして、俺が殺人を始める前から、すでに二十人くらい殺している通り魔の存在が報道されていたからだ。そのせいで、多くの一般市民が普段から夜道を警戒して歩いているのだ――そもそも夜道を歩かないようにしている人間も多いだろう。

 センスのない誰かが名付けた、通り魔の通り名は『怪人・切り離シザー』。

 明らかに非売品の大ばさみで無差別に刺殺し、正中線をなぞるように死体を左右に切り離す大量殺人犯。

 切断面から特定された凶器の荒唐無稽さから、ワイドショーを騒がせ、犯行地域である恋川県の住民を震撼させた人間が――今、俺の目の前で。

 目の前で、死体を切り離している。

 聞いて浮かんだ想像よりも大きなはさみと相まって、なんだか絵空事みたいな光景を前に、俺は動けない。

 逃げるしかないのに。

 脚が竦んでいて――目が釘付けにされている。

「君は誰かな。そこの君だ」

 と。

 作業をしながら切り離シザーは言った。俺を見て言った。

 コンビニでバイトでもしていれば一日一回は聞くような特徴のない声なのに、発された瞬間、全身に鳥肌が立ったのはどうしてだろう。

「あ……、その」

「名乗るつもりはないのかな。まあいいがね。私は記憶力がいいから、もう君の顔は覚えたよ。私の知り合いには人の顔を全く覚えられない人間がいてね、そいつにはよく羨ましがられるんだ」

 絶句する。絶望する。駄目だ殺される。

 嫌だ、まだ死にたくない。どうやったら生き延びることができるんだ? 真っ白の頭で考えたって嫌な汗しか出てこない。殺される未来しか浮かばない。なんてことだ、儀式の途中なのに……儀式の途中?

 俺は自分の鞄を撫でる。そこに希望がある。


「お、俺は!」

 少し大きな声が出てしまう。咳払いを挟んで、ボリュームを下げてもう一度切り出す。

「俺は、通報しない。だから逃がしてくれないか」

 この言葉に、切り離シザーはうんともすんとも言わない――相槌を待っていても埒が明かない。続けないと。落ち着け。

 落ち着いて、鞄のなかの生首を取り出せばいい――武勲のように首級を掲げればいい。

「俺も、犯罪者だ。だから、通報なんてしない。どんなことが発覚に繋がるか判らないから、なるべく警察とは距離を取っておきたい」

「……そうかい」

「だから俺を殺す必要はない。そうだろ」

「ちょうど、今日はこれで終いにしようと思っていたところなんだ」切り離シザーは死体の頭部を切り進めながら言った。「折角だから話さないか。同じ穴の狢だ、交流をしてからでも遅くない」

 こんな深夜に公園で話すのも、こんな危険な人間と話すのも、冗談じゃないとしか思えなかった。けれど、ここは言う通りにしなければ助からなさそうだ――気に障ることをして、気が変わったらそれこそ危ない。

 殺人犯の考えることなんて理解できない。

 たとえ同じ穴の狢だったとしても。

 頭部を左右に切り離し終えた彼は、真っぷたつにしたその遺体をそのまま公園に放置して、大ばさみの汚れを布で拭きながらベンチに座った。

「座るといい。大丈夫、撒き菱などありはしないよ」

「……お言葉に、甘えて」

 俺は愛想笑いを浮かべながら、それこそ撒き菱の敷かれた床を渡るみたいに、そろそろとベンチに向かった。本当は今すぐにでも逃げ出したかった。殺人犯と語りたいことなんてない。そんなの俺の世界には俺ひとりで十分なんだよ。

 なるだけ距離を置いて腰かけたつもりだったが、それでも大ばさみの届く範囲内になってしまった。

 俺は覚悟を決める。こうなった以上、どれだけ怯えたって変わらない。ならばいっそ堂々といこうじゃないか。

 会釈をすると、切り離シザーも会釈を返して、それから黒くて長い筒に大ばさみを納めた。

 それにしても、長い筒を背負って深夜に徘徊したりして、警察に所持品検査などされたらどうするのだろうか。『怪人・切り離シザー』を一刻も早く捜すために、パトロールにも気合いが入っていることだろうに……。まあ、それに関しては俺も同じで、首を切るための鉈が警察に見つからないよう、毎晩警戒しながらの首級蒐集に勤しんでいるのだが。

「私は徘徊時間が短いんだ。うろつけばうろつくほどに見つかりやすいのならば、うろつく時間を減らせばいい――大ばさみを携えて外出し、殺し、帰宅するまでの時間が短くなるように、なるべく遠出を控えれば済む。それでも危ないときがなかったとは、言えないがね」

 切り離シザーは微笑んで言った。

「つまり、家の近所で犯行をすれば警察に見つからずに帰宅できる確率が上がるって? 一理あるが、それじゃあ二十人以上も殺せないんじゃないか?」

 同じ地区で殺人事件が多発すれば、当然その地区の警戒はどんどん強まって、夜間パトロールも増えるし、より積極的に地区の住人へ協力を仰ぐだろう。監視の目が増えていく一方である。確率が低いのは最初のほうだけではないだろうか。

「それでも見つからないときは見つからないものか?」

「流石に私も自分の運勢を過信したりはしないよ。なんてことはない、家を増やせば、活動できる『家の近所』も増やし、分散させることができるんだ」

 家を、増やす。

 たしかに、切り離シザー事件は特定の地区に密集して発生している訳ではない。

 むしろ、一回一回、全て違う。

 恋川県内の東西南北、県央から郊外まで、どこででも切り離し殺人は行われている――複数犯説が有力視されているほどに、あり得ないほどばらばらに。

「……なるほど、切り離シザーの正体は金持ちだったって訳か」

「うん? どうしてかな?」

「たとえ安いアパートだったとしても、二十軒以上の家を借りるなんて金持ちでもないと易々とはできないと思うが。自覚がないのか?」

「ああ、違うよ。私の自宅は一軒だ。独り暮らしの狭いマンションだ」

「え、じゃあ他の家はあんたのじゃないのか」

「他人の家だ。信頼できる他人の――盲信してくれる恋人の家だ。私には二十六人の献身的で妄信的な恋人達がいる」

 二十六股って。

 お金持ちを通り越して帝王みたいだ……独身の俺としては、ただのお金持ちだったほうがまだよかった。

 純粋に妬ましい。

「世間もまさか、恐怖の怪人が二十六人の女に支えられて連続殺人してるとは思っていないだろうな……」

「そうだね。私は彼女達に感謝しているよ。彼女達が連携して、大ばさみを家から家へ渡してくれているお陰で、私は安全に別の家に移動することができる」

 大ばさみを運ぶ人間が別にいれば、自分で背負って歩く時間が減って、所持品検査から逮捕に繋がる可能性も減るという対策なのだろうけれど……その場合、代わりに自分の恋人が逮捕される可能性が出てくるのではないだろうか?

 それを訊くと、そうだね、と切り離シザーは言った。

「そうしたら私の恋人は二十五人になり、大ばさみは押収される。もう殺人はできない。もしかしたらそこから私が主犯であると突き止められるかもしれないから、その前に身を隠す必要がある。なんて寂しくてつまらない日々になるだろうか。その日が来ない日を願うばかりだ」

 俺はそんなことを並べながら、能天気にへらへらとしている切り離シザーにぞっとした。願うばかりとは言葉だけで、来たら来たで別にいい、とでも思っていそうな口調だった。

 自分のために恋人の人生が犠牲になることなんてどうでもいい、と本気で思っているのだろうか――恐ろしい。

「恐ろしい、なんて君に言われる筋合いはないがね。鞄のなかの生首にだって人生はあったはずじゃないか。それはどうでもよくないのかね。その人間が自殺志願者だったのだと言うならば、話は別だがね」

「え、いやいや。他人と恋人は違うだろ。他人を自分のために犠牲にするのはまあ罪だけど心は痛まない、でも恋人となれば話は別。普通そうだろ」

「私も君も普通ではないよ。普通の感覚の人間が生首なんて持ち帰ると思っているのか、君は」

「しょうがないだろ必要なんだから。俺だって目的がなかったら他人なんて殺さない」

 目的があったって普通の人は他人を殺せないよ――と切り離シザーは言った。

 そういうものなのだろうか?

「君はどんな目的で他人の人生を犠牲にしているのかな? 教えてほしいよ」

「儀式の生け贄に使うんだよ」

 俺は蘇生儀式と現在の蒐集状況について説明する。切り離シザーは興味深げに聞く。語り終えた頃、彼は、面白かったよ、と言ってから質問をしてくる。

「君は誰を蘇らせるつもりかな。恋人か、友か、そうでなければ家族か」

「そんなもんじゃねえよ。十年間飼ってた猫だ」

「猫。虹の橋を渡ったのかね」

「ああ」俺は愛猫が息を引き取った瞬間を思い浮かべ、胸を痛ませながら頷く。「マリアって名前だった」

「いい名前だね。とても素敵な猫だったのだろうね」

「そうだな。独り暮らしを始めてから十年間、俺の人生を支えてくれた。健康体で、もう何年かは生きるって言われてたのに、ある日突然、事故で死んでしまった。生き物はいつか死ぬものだからしょうがない、とかそんな風に片付けて立ち直ることなんてできなかった。ペットショップで代わりを飼う気にもなれなかった」

 そもそも猫が好きでマリアを飼い始めた訳ではなかったから、どんな猫もちっとも可愛らしいとは思えなかった。マリアと同じ種だったとしても、違った。ただの獣でしかなかった。

「俺は猫が好きなんじゃなくてマリアが好きだったんだ。だからマリアを蘇らせるしかないんだ」

 そのためならリスクを冒し、罪を犯し、他人の生命を侵したってよかった。

 もう一度マリアをこの腕に抱けるのならば――。

「感傷に浸っているところ悪いがね」切り離シザーは言った。「人間の霊魂を捧げて、猫が猫として生き返るものなのか? 人間と猫のキメラのような赤子が誕生するのではないか? そんなことはないかもしれないが、その可能性は全くないのか?」

「なるほど……でも、猫を手にかけるのは嫌だ。その猫も誰かにとっては、俺にとってのマリアなのかもしれない。その命は奪えないよ」

「……ふむ」

 切り離シザーはなんだか納得がいっていないような表情をした。

 まあ、俺と彼は同じ穴の狢ではあるのだろうが、別々の人生を歩んできた別の人間だ。わかりあえないときは、わかりあえない。そこを気にする必要はない。

「あんたは……切り離シザーは、どうして殺すんだ?」

 本当は興味はなかったが、自分だけ明かすのは不公平に思えたので訊いてみた。

「大した理由はないよ」切り離シザーは大ばさみを筒から取り出しながら言った。

 それは本当に大した理由ではなかった――とくに想い出語りもなしに、さらりと言えるほどにちっぽけな理由だった。

「この刃で人を切り離していると童心に帰れるんだ。図工の授業のように遮二無二動かしていられる。だから私は死体を作るのだよ」

 複雑じゃないからこそ理解できない動機がこの世にはままある。俺にとってはこの供述もそうだった。

 わかりあえない。

 気にしなくていい。


 話し込んでいるうちに午前二時を四十分も越えていた。早く帰らないといけない。あまり就寝時間が遅くなると、午後からのアルバイトを寝不足でやることになってしまう。初めて殺人をしたときは非日常感に打ち震えたものだが、非日常だけでは人は生きていけない。働いて生活費を得るという日常も大事にしないとならない。

 俺はベンチから立ち上がり、切り離シザーに言う。「俺はもう帰る。面白かったよ、あんたの話。お互い逃げ延びような」

「うん? もう終わりにするのかね」

「あんたもそろそろ帰らないと、いつ近所のやつが通りかかるか判らないだろ。深夜に公園なんかにいたら通報されちまうよ」

「それもそうだね。私もそろそろ帰ることにするよ」切り離シザーは大ばさみを抜いて、夜空に翳す。「それにしても綺麗な月だったね」

「ああ。それじゃあ……」

「おっと、ひとついいかな。私に君の住所を教えてくれないかね」

「えー……」

 答えたくない。殺される理由がないと判っていたところで、俺としては、無差別殺人犯に住所を教えるのには抵抗がある。

「申し訳ないけど、俺も心配性だからあんたに教えることはできない。一期一会ということにしよう」

 そうかね、残念だ――と寂しそうな彼に手を振り、俺は公園の出口に向かって歩く。


 そして刺される。

 刃物を持った殺人犯に背中から心臓を刺される。


「本当に残念だよ。ここで終わる君の代わりに、儀式を引き継ごうと思っていたのに」

「……どうして」

「言ったはずだがね。今日はこれで、君で終いにしようと思っていたのだと。安心するといい、きちんと意識がなくなってから切り離すよ」

 私も鬼じゃない。

 刃を引き抜かれたとき、全身に身震いするような寒気が走った。芯を失った案山子みたいに惨めに倒れた。顔面が公園の地面にぶつかって鼻をしたたかに打った。砂が舌に触れた。非日常の味。

 声が降ってきた。

「ところで、たくさんの話を聞かせてくれてありがとう、面白かったよ」

 寒くなってきた。走馬燈が回り出した。どくどくと血が流れていく。命がほろほろと崩れていっている。呼吸の音がやかましい。それでも耳が彼の声を拾う。

「――全く共感はできなかったがね。君のような狂った人間がまだどこかにいるかもしれないと思うと、私は少し世界が恐ろしいよ」

 俺の身体は一秒でも無駄に生き永らえることに必死で、何も喋れない。だから返事は胸中でしかできなかった。

 お前が言うなよ、切り離シザー。

 それにしても可笑しな通り名だよな。笑えないくらいに。


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