第14話 彼の晩餐(2)彼女の困惑と彼の渇望

 居たたまれない……

 頼みもしないのに増えていく家具、毎晩のようにあつらえられる高価な衣装。

 シルヴィアの友人のひとり、お金持ちの家柄で血は薄いとは言え血統たしかな一流貴族の傍系、おまけに美人……名門貴族の嫡子の熱烈な求婚をうけていた娘がいるが、そのときの贈り物攻撃……それに似ているような気がする。

 毎日のように友人に宛てて届けられる高価な贈り物を、シルヴィアたちは冷やかしながらも多少は羨ましく思ったものだが、実際に身に降りかかってみれば、羨むのはお門違いだったことが分かる。

 湯水のように使われているであろうお金に、シルヴィアはただ、青冷めるほかはない。

 こんな目に遭わされれば、贈り主に「結婚してください」と言われたなら、うっかり承諾してしまいそうだ。

 嬉しくて、ではない。

 もちろん、愛を感じて、でもない。

 こんなもったいないことを一刻も早くやめて欲しくて。

 まともな神経なら、耐えられるものではない。

 白楓で作られた天蓋つきの寝台。

 すべすべした絹の敷き布。

 一羽の鵞鳥からはほんのすこししか採れない胸の羽毛を、すくなくとも千匹以上から採ってふっくらと詰めた天使の羽のように軽くてあたたかい掛け布団。

 しっくり頭に馴染むふんわりした羽根枕。

 床に敷き詰められた美しい幾何学模様の波斯ペルシャ絨毯。

 壁にはビザンツ様式麗しい異国の物語の場面を意匠した壁掛け。

 四季折々の花を意匠し、精緻な彫刻の施された胡桃材の鏡台、山毛欅材の木目美しい衣装箪笥ガルダローバ

 部屋の四隅に置かれた銀の燭台には、装飾に薄紅の威尼斯ヴェネツィア硝子ガラスが吊されて、燭台の炎をきらきらと反射している。

 衣装に至っては、水鳥の羽根のように柔らかいフランドル産の毛織物や、嬰児みどりごの肌のような手触りの東洋の絹織物に、金糸銀糸の刺繍を施し、威尼斯の技術の精華とも言うべき純白の透かし編みを惜しみなく使って、清楚でありかつ、豪奢に仕上げられたものばかりだ。

 威尼斯娘なら、一生に一度、花嫁衣装に着てみたいと思わずにはいられない……夢の衣装。

 シルヴィアがアシエルに襲われかけてから一ヶ月と半月。

 いまや、毎日着替えても、ひとつきはおなじものを着ないで済むくらいは揃っている。

 ……これだけ良くしてもらって言うのもなんだけど、もらっていちばん嬉しかったものって……この耳飾りなんだけどな。

 シルヴィアだとて年頃の娘。

 まっさらの家具、美しい衣装、こころ奪われないわけはない。

 けれど、それはそれだけの『物』だという気持ちもある。

 シルヴィアの耳に揺れる、金の華の散る水晶の耳飾り……これは、違う。

 雫の形に加工されたそれは、ガルシア・アリスタの耳に揺れるものとおなじ宝石だ。

「魔法避けだ」

 そう言って、ガルシアが手ずから付けてくれたその耳飾り。

 宝石の名は、黄金輝石おうごんきせきといった。

 どこか夜空を思わせる、紺青のかかった水晶に、陽の輝きのような金のルチルが入っている。

 払暁、明け初める空を貫く朝日の輝き。

 聞けば、ガルシアの祖国で産出していた石だという。

魔を払い、幸運を呼ぶ石として高値で取り引きされていたのだそうだ。

「金持ちが勝手な思い込みで高く買ってくれる……昔は、その思い込みをどう利用しようか、そのくらいにしか考えていなかった」

 シルヴィアの耳に揺れる黄金輝石を揺らし、おとがいから喉元へと、ぬくもりを味わうように辿ってゆくガルシアの指先。

「いまならもっと上手く売り込めるだろう。なにしろ効果のほどは、わたしが保証できる。……幸運が呼べるかどうかは保証の限りではないがね」

 魔に属する者の操る言葉の魔法を退け、身を侵す呪いを軽くする。

 その効果は、本物だった。

 「たとえば」と、ガルシアはふたことみこと、シルヴィアの耳許で眠りを誘う言葉を囁いたが、そのたびに石がきりり、と微かに軋んだだけで、眠くなったり身体の自由が利かなくなったりすることはなかった。

「ただ、これは魔力を退けるのであって、わたしたちに害を及ぼす効果はない。君はあいかわらず非力なままだということを、忘れないように」

 そう彼女に諭しながら抱き寄せる仕草は、石の効果の限界を示してみせると言うよりは、愛しい者に与える抱擁のようで、シルヴィアは困惑する。

 ……そしてこの、連夜の贈り物攻撃。

 こんなに必要ない、もっと安物でじゅうぶん……そう訴えても、曖昧な微笑で受け流されるばかりで、いっこうにやめてもらえる気配がない。

 お金持ちで美人の友人の身に降りかかった攻撃の意図は、『求婚』よりほかにない。

 それは、理解できる。

 もしかしたら、効果もあるだろう。

 実際、最初はあまり気乗りしていなかった友人も、熱心に縁談を進めようとする父親の説得や連日連夜の贈り物に、すこしずつほだされて、結局、くだんの青年に嫁いでいった。

 しかしシルヴィアのこれは……彼らがなんのつもりでやっているのかさっぱり分からないぶん、困惑は増すばかりだ。

 耳飾りを贈ってもらえたときには、迷惑な間借り人から、信用できる友人くらいには昇格できたのではないかと、内心、喜んでいたのだが。

「そ、その……こんなにたくさんものを贈ってくれなくても、血ならちゃんとあげるのよ?」

 シルヴィア自身の手で綺麗に清掃され、高価で上品な調度で埋め尽くされた彼女のための部屋の真ん中に立ち尽くし、シルヴィアは、彼女を訪れたガルシアに言ってみる。

 来訪の目的は、もちろん彼の食事だ。

 ガルシアの希望で、シルヴィアはその日の夕刻、仕立屋が配達に来た純白の絹の衣装と透かし編みの肩掛けを身に纏っている。

 彼女はあいかわらず昼間は掃除をしているので、玄関をノックする音に出てきた埃まみれの娘が、その衣装を着る当事者だとは、仕立屋は夢にも思わなかっただろう。

 あまり締め付けなくても胸が豊かに見えるように補正された、刺激的なほど胸刳むなぐりをおおきく取ったワンピース。

 着脱しやすいようにスカート部分の両脇には腰近くまでスリットが入っていて、そのままだと素足が見えてしまうため、薄くて長い毛織りのアンダースカートを穿く仕様になっている。

 さらに言えば、スリットの上は脇の下まで、縫い合わせていない。

 前身頃と後身頃が分離した珍しい意匠で、腰の部分から脇の下まで、銀糸と絹糸を撚り合わせたものを何本も編んで紐にしたものをコルセットの紐のように編み上げて着用するのだ。

 紐の端には大粒の紅玉ルビノが揺れていて、編み込まれた銀糸とあいまって、純白の衣装を美しく彩っていた。

 純白とは言っても、その衣装には、隅々までおなじ純白の絹糸で咲き乱れる百合の刺繍を施してある。

 布の織り糸と刺繍糸を通した角度が違うことから、光の加減で百合の花が衣装に現れる……そういう凝った趣向だった。

 もうちょっと胸刳りが浅ければ、いまから教会へ向かう花嫁だと言っても通じるかも知れない。

 その露出度の高い肩や胸を、申し訳程度には隠してくれる威尼斯製の純白の透かし編みの肩掛け。

 こんな大判で編み柄の手の込んだもの、いくらお金を積んだのかと思うと、気が遠くなる。

「着飾った君を脱がしてゆく愉しみを追求しているだけのことだ。……気にすることはない」

 肩掛けをしっかりとかき合わせていたシルヴィアの手から肩掛けを奪い去り、露わになった肩にくちづけながら、ガルシアは笑った。

 十二月もなかばの夜といえど、暖炉の熱で部屋はほどよく暖かい。

 いっこうに寒くないその部屋で、シルヴィアは震え上がった。

 気にすることはない、そう言われても、気になることがおおすぎてなにから指摘すれば良いのか分からない。

「あ、あの……べつに脱がさなくても、こんなに……見えてたら、あ、あんまり違いがないんじゃないかと思うんですけど……その、今回は……そういうのはなしってことで……」

 ガルシアに血を求められるのは、これで七度目になるが、そのたびにろくに抵抗もできずにいろいろと無体な目に遭わされてしまうのは、困る……と、真剣に思う。

 とはいえ、嫌なのかというと、そういうわけではなく……と思ってしまう自分が怖いのだが。

「またそういう悩ましいことを言う」

 趣も色気もなく、部屋の真ん中に突っ立ったままのシルヴィアを掬い上げるように抱き上げて、ガルシアは寝台のうえにシルヴィアを座らせた。

「……な、悩ましい?」

 いったいなにが悩ましいというのか。

 悩ましいのはわたしであってガルシアさんじゃないはず……

「毎回、おなじような趣向で飽きたから、違うことをしろと言ってるのだろう?」

 眉根に皺を寄せ、ほんとうになにかを思案しているように溜息を吐く。

「ち、ちが……違います!」

 シルヴィアは全力で否定した。

 そんな話をしてるわけじゃなくて!

 思わずガルシアの衣装の袖に縋りついて誤解を正そうとするが、ガルシアと目が合った瞬間、シルヴィアはそれが無駄な努力であることを悟った。

 含みのある微笑と、愉しげな紺青の瞳。

 ……あ……遊んでるのね……

 こちらがなにかするたびに、寂しそうな表情をすることは減った……ような気がする。

 それは、ガルシアが、みずから作っていた『隔て』を取り払い、シルヴィアを自身に近い者として認識して、うちとけている……そのように感じられる。

 べつの気がかりがないわけではないが、シルヴィアにしてみれば、同居人として上手くやっていくという意味においては、なにがしかの進歩であろう。

 だが、そのぶん自分の居たたまれなさは確実に増した。

 ……こんな会話……まるで、こ、恋人がいちゃいちゃしてるだけ……みたいじゃない?

 ガルシアはシルヴィアの内心の困惑に気づいているのかいないのか、自身の黒衣の袖に縋り付いた彼女の手を取って、彼女の白い衣装の袖の縫い目を爪で辿る。

「……そう……絹が裂ける音というのは、なかなか繊細でね。乙女の悲鳴のような響きがする。今夜はそういう趣向を味わってみるというのはどうだろう?」

『ひいいっ』

 衣装を裂くまでもなく、内心できぬを裂くような悲鳴をあげ、シルヴィアは蜂蜜色の髪を逆立てた。

 ガルシアの毒気のない微笑。

 発端が冗談でも、それが面白そうだと思えば、ほんとうに実行に移してしまいそうだ。

 絹の織物の代金で三百デュカート。

 刺繍を入れるのに五百デュカート。

 仕立てに……たぶん百デュカート。

 銀貨にして軽く九百枚はかかっている衣装が、一夜にして塵同然になってしまう恐ろしさに、血の気が引く。

 この衣装が気に入っているかいないかは、この際、問題ではない。

 そんな浪費、シルヴィアの神経が保たない。

 付け加えるなら、この衣装はとても素敵だと思っているのだ。

 胸刳りがおおきすぎるのだって、この屋敷で着るのなら……構わない。

 どうせ、ガルシアさんとアシエルさんしか見ないのだから。

「あ、あの、ガルシアさん?」

 うわずった声。

 ガルシアはシルヴィアの冷や汗すら浮かんでいそうな表情に、「なんだろう?」と、優雅な微笑を返した。

「……い……いつもどおりでいいですから。そういう……変わったことは……なしで」

「いつもどおりとは? わたしは君にどうしてあげれば良いのだろうね?」

 微かに震えるシルヴィアの指を弄びながら、わざとらしい困惑の表情を浮かべて、ガルシアが尋ねた。

「そ、それを言わなきゃだめ? わたしが?」

 どこで間違ったのか……なぜか自分で服を脱がして欲しいと頼まねばならないこの状況に目眩を覚える。

 そもそも服を脱がされるか、破かれるかの選択肢しかないのが間違っているのだ。

 そして、その間違いを指摘するのは徒労でしかない予感がするのは、なぜだろう?

 顔を真っ赤にして、泣き出しそうな面持ちで口をぱくぱくさせている彼女の姿に、さすがに哀れを催したのか、ガルシアが助け船を出した。

「その衣装、気に入ってくれたようで嬉しいよ」

 吐息が触れそうなほど頬にくちびるを寄せて囁く。

「も……もちろん」

 シルヴィアは全面的に同意した。

「貴族の娘さんだって、こんな素敵な衣装、滅多に着られるものじゃないわ。分不相応だし、こんな大人っぽい意匠は、わたしには似合わないとは思うけど……でも、わたしだって人並みには憧れていたもの」

「君がほんとうに似合わないと思っているなら、よく鏡を見てみるべきだね」

 陶然とした声音。

 露わな首筋に触れるくちびる。

 そのぬくもりにきわまったかのように、ガルシアはシルヴィアを抱き寄せた。

 唐突に……切実に。

 その腕に、さきほどまで感じられた『前菜』を味わっているかのような余裕がなくなっていることにシルヴィアは気づく。

 ……まるで、抱き締めていなければ、いまにもシルヴィアが海の泡になって消えてしまうとでもいうような。

 最近、ガルシアさんはおかしい。

 シルヴィアは胸が苦しいほど強い腕のちからに戸惑いつつ、そう思う。

 それは最近感じる、べつの「気がかり」。

 シルヴィアが楽しめているかどうかはともかく、会話を楽しんでいたかと思うと……唐突に押し黙ったり……苦い表情をしたり。

 こんなふうに抱き締めるのは……きっと、表情を見せたくないから。

「……君にまた、怖い思いをさせる」

 淡々と穏やかな、感情を抑えた声音。

 こんな声のときは……たぶん、ガルシアさんは寂しくてならない……そんな顔をしている。

 必死になにかを諦めようとしているみたいに、眉根に皺を寄せて、目を閉じている。

 出会ったはじめのときに見せたような、最初から諦めたような寂しさではなくて……諦めきれないものを手放そうとしているかのような。

 あるいは、手の届かないなにかをまえにして、こうべを垂れるしかない自分を責めるみたいに。

 でも、どうしてそんな表情をするのか……それが分からないのが、シルヴィアにはもどかしい。

「怖くなんかないのよ」

 シルヴィアはほかにすべもなくて、ガルシアの背に手を回した。

「わたしはもう、ガルシアさんもアシエルさんも、怖くないの。だから……気にしないで食事していいのよ? ガルシアさんはときどき、寂しそうにしてるけど……おなかがいっぱいになれば、きっと、すこしは気分も良くなるから」

 シルヴィアのその言葉に、声もなくガルシアが笑った。

 彼の背に回した手に伝わる、笑い。

「そんなふうに誘われるのは、初めてだな」

 かたく抱き締めていた腕を解き、シルヴィアを見詰める。

「永遠のいのちが欲しいと、わたしにみずから首筋を差し出す者は、いくらでもいたが。そう……君は、永遠の時間を手に入れたいとは思わない? シナイの山頂に腰掛けて、君たちの神さまが最後の審判イル・ジュディッツィオを行うのを見物できるかも知れないよ?」

 蜂蜜色の髪に絡められたしろい指。

 仄かな微笑漂うくちびる。

 柔らかい感情の色を宿す紺青の瞳。

 シルヴィアは思う。

 こんなに優しい表情をするひとが、ひとを辞めなければならなかった理由って、なんだったのだろうか?

 ガルシアさんは……自分が吸血鬼ヴァンピーロであることを、喜んでない気がする。

 昼間に外に出られなかったり、聖物が苦手だったり……いろいろあるみたいだけど、でも、魔法が使えて永遠に若いままで死ぬこともないっていうのを羨むひとは多いに違いない。

 でも、ガルシアさんは、それを手に入れることが目的で吸血鬼になったわけじゃない……きっと。

「永遠なんて、あんまり考えたことがないから欲しいかどうかよくわからないわ」

 シルヴィアは困った顔をして、そう言った。

「ひとも羨むほどの美人さんなら、永遠に若く美しいままでいたいって思うかも知れないけど、わたしってほら、ぱっとしないでしょ? 死ぬのが怖いかって聞かれたら、そりゃたしかに怖いだろうなって思うけど……家族もわたしも、運良くたいした病気をしてこなかったし、これでもまだそれなりに若いから、死ぬってどういうことなのか……実感がないのよ。たしかに、最後の審判の日がどんなふうなのか、じかに見られるかも知れないっていうのは、ちょっと……面白そうだとは思うんだけど」

 ……あと、永遠のいのちを持ってるはずのガルシアさんが、あんまり、幸せそうじゃないから。

 こころのなかで、そう付け加える。

「……君のその言葉だけで威尼斯を治めている者たちが、どれほど優秀か想像がつく」

 ひとが、死の恐怖を感じずに、ただ日々の暮らしを続けてゆけること。

 自国の民に平凡で平穏な日常を約束する……ただ、そのことのために、為政者は食糧の備蓄と価格の安定に心を砕き、疫病の蔓延を防ぐためにあらゆる手を尽くし、安定した商路を確保するための設備投資と軍備に努め、周辺の国家との国交の安定のために、諜報と防諜に細心の注意と莫大な資金を用い、誠実と詐術、恩恵と恫喝の外交を展開している。

 かつてどこかの国を治めていたというガルシアらしい感想であったが、シルヴィアにとっては、自分の発言からどうしてそんな結論が導き出されるのか、さっぱり意味が分からない。

 もっとも、彼女はすでに、それがどういう意味なのかと問うだけの余裕がなくなってしまっていた。

 肩口に、祈るようなくちづけ。

 横抱きに抱くように腰に回された腕のちからは甘やかで、胸がときめく。

「……シルヴィア嬢、契約に従って君の血を捧げてもらう。とうのむかしに亡くしてしまったわたしのいのちの代わりに、君のいのちを。死人の如きわたしのからだに、君の熱を。夜の闇と引き替えに失ったわたしの魂のあるべき場所に……君の魂の輝きを」

 儀式めいた口上を、愛の告白のように優しく耳許で囁くのは……やめて欲しい。

 月の光でできた織物が肌に触れるような、冷たく、滑らかな愛撫とくちづけに、魔法にかけられるまでもなく、身体のちからが抜けてしまう。

 と、ぷつん、となにかが断ち切られる音がした。

「な、なに?」

 思わず身を固くするが、なにをしたのかと問おうとする機先を制して、ガルシアの人差し指がシルヴィアのくちびるを塞いだ。

「腰の編み紐を片方、切っただけだよ。仕立屋に、『近頃の衣装は脱がせにくくて困る』と言ったら、この衣装なら編み紐の片方さえ切って解いてしまえば簡単に脱がすことができると言うから、試している」

「な……」

 シルヴィアは絶句した。

 そういうことなら、この変わった意匠も納得だ。

『この仕様なら両脇のどちらかの紐を解いたら、あっという間に下着姿じゃない』

 そんな基準で衣装を選ぶガルシアさんもそうだが、詰まらないことを伝授する仕立屋はもっと質が悪い……シルヴィアは頭が痛くなった。

 ……どおりで衣装箱に替え紐がたくさん入ってたわけね。

 特注の衣装に替え紐や替えぼたん、共布が用意されているのはあたりまえだが、この衣装の箱には替え紐が十本も入っていたのだ。

 おそらくはガルシアの質問の意図を汲んで、仕立屋が気を利かせてたくさん追加しておいたのだろう。

「なにか希望があれば聞こう」

 愉しげに断ち切れた編み上げの紐を衣装から抜きながら、ガルシアが問う。

 この機会に、べつに服を脱がさなくてもいいじゃない、とか、頬を撫でられたりうなじにくちづけられたり抱き締められたり、いつでもどこでも必要以上に触られているのは恥ずかしい、などということを訴えてみても良いだろうか?

 こうやって血を捧げるたびに、いのちの危険や魂を汚される恐ろしさを感じるより、なぜか貞操の危機……お嫁に行けなくなってしまうような気がするのは、ほんとうに困る。

 真面目に聞く耳を持ってくれるのならば、この際、いろいろと改善を申し入れたいことがなくはなかったが、言ったところで事態を悪化させるだけだという予感がシルヴィアにはあった。

 予感、というよりは確信が。

 これ以上、どこがどう悪化するのかは、シルヴィアの想像の埒外らちがいだったが……きっと、口にするのもはばかられるような、恥ずかしい目に遭わされるに違いない。

「……あ、あの……灯りを消してください」

 お安いご用だと、ガルシアは指を鳴らした。

 途端、部屋を満たしていた燭台の灯りがすべて失われ、暖炉の鈍く赤い炎を遮るように、寝台の天蓋の幕がひとりでに閉じる。

「ずいぶん心臓の鼓動が速い」

 衣擦れの音とシルヴィアの浅い呼吸だけが漂う闇のなか、ガルシアが囁いた。

 シルヴィアの耳に揺れる耳飾りにくちづけし、耳のうしろから首筋へと、丹念に甘噛みしてゆく。

「……こ、怖い……わけじゃないのよ。ただ……あの……」

 さきに「怖くない」と断言した手前、言い訳しておく必要があるような気がして、口を開き、しかし、シルヴィアは言い淀む。

 胸元に触れているガルシアさんの指先と、繰り返されるくちづけのせいだとは……言えない。

 自分の口からは……恥ずかしくて。

「大丈夫、いつも以上に優しく扱ってあげよう。いまでも魅力的だけれど、男の愛撫をうけると、より豊かになるそうだよ」

 いえもう、じゅうぶんです……ガルシアさん。

 胸はその……自分でもそれなりに……おおきいと思ってるんで……。

 顔を真っ赤にして身を固くしているシルヴィアに言葉通りの愛撫を与えながら、ガルシアは彼女の胸に頬を寄せた。

 その鼓動を、その温かな流れを、自分の耳で確かめたいとでもいうように。

 闇のなか、きりり、と、歯を食いしばる音がした。

 ガルシアの与える愛撫と、肌を傷つけられる痛みと、くちづけのもたらす身体の熱に翻弄され、喘ぐばかりのシルヴィアの耳には拾えないほど、ちいさな音ではあったが。

 そう……シルヴィアは気づかない。

 ガルシアの、真紅に染まった瞳にも。

 長く、長く伸びた皓い牙にも。

 そして、彼女の肌を流れ落ちる血を味わうだけでは満たせなくなった渇きに駆られ、ガルシアがその牙を首筋に突き立てようとして……思い留まったことにも。

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