第二話 黒紅の通り
今日は天気が良く、潮風が気持ちいい。潮風に吹かれて、爽快な気持ちになりつつ自転車を漕ぎ進める。
あかがねの森にパンを届けることになっているのだが、森に行くには黒紅の通りを通らなきゃいけない。13歳になってから、という年齢制限のある黒紅の通りは、一体どんなところだろう?期待に胸が高鳴る。
メーテル・マーテルを出て、海岸線をまっすぐに通りすぎると、商店街が見えてきた。商店街には、回転寿司のお店や、スーパー、薬局などの日用品をそろえたお店が軒を連ねる。その商店街をまっすぐに通りすぎると、大きな公道に出る。両側に青々とした木々が植えられた公道は広く、カーブしており、道なりに沿ってゆっくりと進んで行く。十五分くらい進んだ頃だろうか。山のふもとが見えてきた。ここら辺は、海沿いと比べて、なんだかじめじめとして日当たりもよくない。
「ふう……」
一休みをすると同時に、お母さんから手渡された地図を広げ、汗を拭う。
「ここを道なりに進んで、トンネルを出たところに黒紅の通りがあるのね。まずは、トンネルを探さなきゃ」
そう言って、再び自転車にまたがる。トンネル、トンネル、と口ずさみながら、山のふもとをぐるりと取り囲むように進んで行く。もう少しで一周しそうになった頃、小さなトンネルが見えた。トンネルの頭上は低く、大人一人がようやく歩けるくらいの高さだ。入り口は、緑色のつたで覆われており、そのつたにはイチゴがなっていた。
「あら、かわいい」
月海はイチゴをそっと手でなでた。そして、自転車から降り、胸にそっと手をのせて、トンネルに足を踏み入れた。コツ、コツと足跡が響く。この小さなトンネルを出たところに、黒紅の通りが広がっているーー。トンネルの終わりに近づくと、月海は目をつぶって進んだ。目を開けると、世にも不思議な光景が広がっているはず。さあーー。
「あれ?」
たしかに、通りらしき光景が目の前に広がっていた。しかし、それは普通の通り、普通の街並み、特に変わったところがある様子もなく、商店が並んでいるだけだった。雑貨屋さん、香辛料を売っている店、インド風の焼きそば屋台、ケバブを売っている中東人らしき人たち、エキゾチックな雰囲気のある繁華街だが取り立てて不思議なところはないように思われた。月海はちょっとがっかりした。13歳という年齢制限があって、何かこう普通の通りとは異なる装いをした場所だと思って、期待に胸を膨らませていろいろと想像したけれど、案外普通の街並みだった。
ふと塀の上を見ると、黒猫がこちらをじっと見ていた。この期に及んで黒猫くらいでは驚かないが、近づいてみると猫は突然塀から飛び降りて徐に何処かへ歩き出した。このまま何もないんじゃつまらないと思ったから、自転車を置き、猫についていってみることにした。しばらく通りをまっすぐ歩いていると、スッと路地裏に入っていった。月海も猫に従って路地裏に入ってみると、奥にグレーと黒の縞模様の建物が見えた。どうやら商店のようで、猫は建物の空いている窓からスッと中に入っていった。
店のなかは閑散としていて、少し薄暗かった。棚には色とりどりの粉が入った壺や、いろんな大きさの卵、三角形のビーカーや試験管、フラスコなどが並んでいる。ビーカーや試験管などの容器には、ピンク色の液体が入っており、そこからポッポッと煙が出ている。天井には金具がぶらぶらと吊り下げられている。そういえば、さっき建物の中に入っていった猫ちゃんはどこにいったのだろうとキョロキョロ辺りを見回してみたら、不意に後ろから服をクイッと引っ張られたのを感じた。振り返ると、なんと中学校の数学で習うような√(ルート)の文字が二、三、ふわふわ浮かんでいるのが見えた。
「なんだろう?」
ルートに触れてみると、√の文字の先っちょの尻尾みたいな部分がブルッと震えたように感じた。え、なにこれ!生きてるの?
「いらっしゃいませ」
突然声をかけられてびっくりした。
店の奥から髭の長いおじいちゃんがふらふらと杖をつきながら出てきたのだった。
「こんにちは」
恐る恐る挨拶をしてみた。
「ここはなんのお店ですか?」
おじいさんは少し溜めてから笑顔で答えた。
「ここはね、不思議をつくりだすものを売っているお店だよ」
「不思議?」
「そう。君が黒紅の通りで見てきたのは一つの現実。だけど、見方によっては違う世界が見えることもある」
おじいさんが言ってることがもう不思議だった。けど、何かもっと不思議なことが起こりそうな予感がするような、そういう説得力を感じた。
「君はあかがねの森に行きたいんだろう?」
「えっ、どうしてわかったの?」
「わかるさ。パンを持っているところから察するにあそこに行きたいんだろうね。だけど、普通の行き方じゃいけない。どれ、私が一つまじないをしてやろう」
すると、おじいさんは棚にあった青と抹茶の粉を掬い取って混ぜ合わせ、月海に振りかけた。粉は月海の周りでキラキラと輝いていた。
「どうじゃ。これで外に出てみるといい。きっとわかる」
おじいさんが外を指差し導くと、ふわふわと浮かんでいた√が扉の外に出ようとした。月海も√に導かれるがままに外に出ようとついていく。√が一歩扉の外に出ると、黒猫に変わった。さっきの黒猫ちゃんは√になってたんだ!
なんだか、外がまぶしい。店の中が薄暗かったせいだろうか。外に一歩踏み出した月海は、そっと目を開ける。すると、さっきとは違う光景が目の前に広がっていた。
そこには、活気に満ちたれんが造りの街が広がっていた。さっきの、さびれた異国情緒のある黒紅の通りは、消えてなくなっている。月海の目の前の道路を、馬車が走っていく。馬車には、黒いローブを着た一組の若い男女が座っていた。女性は、黒い花の髪飾りをしている。月海がぼーっと眺めていると、男女が手をふってくれた。月海は、思わず手を振り返した。
「魔界へようこそ」花飾りをした女性が、月海に向かってウインクをして通り過ぎていった。
「魔界……」月海は、その言葉を反芻してみる。
「私、魔界へ来たんだ」魔界とは何かわからないけれど、どうやら異次元の世界のようだ。
やっぱり、黒紅の通りは普通の通りではなかった!魔界、ということは魔法が存在するのかな?この街では、何が起こるのだろうか?月海ははやる胸を、なでおろすようにパンの袋を胸の前でぎゅっと抱きしめる。
少し街を探検してみても良いよね?パンは必ず届けるから。
いてもたってもいられなくなり、月海は大きく一歩を踏み出し、街を探検してみることにした。
街は、休暇を楽しむ人々であふれているかのように、楽しげな雰囲気に包まれていた。風船をもった子どもを連れる家族連れ、一つのアイスクリームを一緒に食べる仲良さげなカップル、お小遣いをしっかり手に握りしめてキョロキョロする四人ぐらいの子どものグループ……。そして、ここにいる人たちは、一人残らず足首あたりまでおおわれた黒いローブを着ているのだった。なかには、とんがり帽子をかぶっている人や、リボンを頭につけている人がいたが、飾りも皆黒で統一している。言葉は、月海の話す言葉と同じだが、よく聞いてみると、アクセントが少し違っているようである。
人々を観察していると、ふと視界に小さな青色の光の球が目に入った。それは、すばやく月海の前を急降下したかと思うと、次の瞬間には、弧を描きながら上に向かって飛んでいく。少し視線をずらすと、今度は緑色の光の球が現れた。それは青色の光を追っていくかのように、閃光となって飛んでいく。光の球が飛んだ場所には、かすかに光の粒が舞っている。
「きれい……」
月海は思わず、その光の球にふれようと、手を伸ばした。
「フェアリーだよ」
見ると、小さなバスケットをもった赤毛の男の子が、月海に話しかけている。男の子の両側では、両親がにっこりとほほえみ、成り行きを見守っている。彼らもやはり、黒いローブを着ている。
「フェアリーは、花びらが好きなんだ。ほら」
そう言って、男の子はひな菊の花をバスケットから取り出した。すると、あんなに早く飛んでいた青い方の光の球が、ひな菊の前にふわふわとやってきた。
「見てごらん」
両手でそっと光の球を包むと、男の子はそれを月海の前に差し出した。
よく見ると、それは光の球ではなく、確かにフェアリーの姿をしていた。あまりにも早く飛んでいたから、球に見えただけだったが、人間の体をしている。十センチくらいの背の高さだが、ポニーテールをしており、ピタッとした青いキャミソールワンピースを着ている。ワンピースはキラキラと光り、光る粉が絶え間なく舞っている。
「わあ」
月海は、花びらの匂いをかぐフェアリーに、見入ってしまった。それは小さく、可愛らしく、可憐だった。まるで、ティンカーベルみたい。フェアリーって、本当にいたんだあ。
「花びらの種類によって、それを好むフェアリーは変わってくるんだ。青のフェアリー、リーナはひな菊の花によってきたでしょ。緑のフェアリー、サリはコスモスの花を好むんだ。赤のフェアリー、モダンナは桃の花によってくることが多いよ」と男の子が得意げに話す。
「へえ。お花の種類によって、フェアリーの属性が変わってくるんだ。じゃ、このフェアリーは、リーナっていうの?リーナ、初めまして」
男の子の手のなかで、ひな菊の香りをかいでいたフェアリーは、リーナと呼ばれて一瞬こちらに顔を向けた。
「かわいいー!」
月海は思わず感激してしまった。
「君、フェアリーが大好きみたいだね。気が合いそうだ」
男の子が手のなかのフェアリーをはなし、にっこりと月海に笑顔を向ける。
「このお花は、ここの角を曲がったところにある『フラワー・マーリン』というお店で買えますよ」と、男の子のお母さんが月海に教えてくれた。不思議なアクセントがついた話し方だった。
「そうなんですね。行ってみます!」
月海は、そう言うと、深々と頭をさげて男の子にお礼を言い、フラワー・マーリンに向かって一直線で走って行った。
お花の看板がぶら下げられた、黄色い屋根のお店、フラワー・マーリンはすぐに見つかった。めがねをかけた、年配の気のよさそうなおじいさんが、お花にじょうろで水やりをしていた。
「やあ。私は店長のマーリン。お手伝いできることがあれば、なんなりと」おじいさんが、フレンドリーに話しかけてくれた。やっぱり彼も、言葉に不思議なアクセントがついている。
「あのお、ひな菊の花が欲しいんですが……。あと、桃の花と、コスモスの花も。フェアリーが好きなお花は全部ください」
「この店には、フェアリーの好みの花は全部おいてあるよ。フェアリーと遊ぶには、もってこいだろう。ここにあるスイトピーと、百合の花も。ラベンダーの花は、もちろんラベンダー色のフェアリーを引き寄せるよ」
そう言って、気前よくどんどん、バスケットのなかに花を入れていく。さっきの男の子がもっていた、バスケットと同じものだ。たちまちバスケットは花でいっぱいになった。
「じゃあ、これ全部ください。あ、おいくらになるんでしょう?」
月海がたずねた。
「えーっと、二百マガロンですね」
「マガロン?円じゃなくて?」
月海は目を丸くした。
「ああ、君、もしかして魔界は今日が初めて?」
「は、はい」月海は緊張気味にそう答える。
「おばあちゃんには会った?」
「おばあちゃん……まだです」その時なぜマーリンがおばあちゃんと聞いたのかわからなかったが、月海はそう答えた。
「そうしたら、マガロンはまだ持ってないよなあ。よし、今日は魔界が初めてで、戸惑っていることだろうし、負けてあげよう。そのかわり、花を三種類くらいにしぼってくれないかな?」
「ありがとうございます!」月海はお礼を言って、男の子が教えてくれたひな菊、コスモス、桃の花にしぼることにした。
「君、魔界が初めてなら、『ミス・カポネ』に行った方が良い」
「ミス・カポネ?」
「石の店なんだ。たくさんのパワー・ストーンを作っている。そこの店主のおばあちゃんが、いろいろ教えてくれるだろう」
「本当?私、ここがどんなところなのか、全然わかっていなくって。行ってみます」月海は元気よくそう答えて、店を出た。
店を出たら、また光の球が月海の前を横切った。どうやらこの街では、フェアリーたちがいたるところで、飛び交っているらしい。
「ようし」
月海は、さっそくさっき買ったばかりの花を手に、フェアリーに近づいていった。すぐに、緑のフェアリー、サリが花の香りをかぎにやってきた。月海が手を差し出すと、その上でそっと一休みをした。
「かわいい」
くすっと笑うと、月海は、フェアリーをなでた。まるで、小さなペットみたい。
しばらくフェアリーと遊ぶと、月海は少し、街をふらふらすることにした。魅力的なお店ばかりで、ずいぶんと長いこと時間を費やしてしまった。トーキー映画が上映されている映画館をのぞいたり、体に良いという薬草が売っているお店、いか墨で作られた黒いパスタがメニューにあるレストランまで。そして、店に入ってから気がつくことは、マガロンを持っていないことだった。
「魔界にも、お金があるようだわ」
お金がなかったら、何も買えない。一通り、れんが造りの街を歩き終わった頃に、花屋の店主が言っていた、ミス・カポネのことを思い出した。
「そうだ、ミス・カポネへ行かなくっちゃ」
そう口に出すと、にゃあ、という鳴き声が聞こえた。見ると、さっきの黒猫がいる。黒猫は、こっちへついてきて、というように、早足で歩き出した。月海はもちろんついていく。フラワー・マーリンの角を曲がり、さらにそこから二つ目の角を曲がった奥まった場所ーー。そこにひっそりと、ミス・カポネは建っていた。
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