魔女のレストラン

高橋レイナ

第一話 物語のはじまり

  ここは、海沿いのパン屋さん。広い道路をはさむと、一面に海が広がっている。海は夏の太陽の光をシャワーのように浴びて、キラキラと輝いている。まるで、無数の宝石が海面に散りばめられたようだ。サーフィンをする人の姿や、ヨット、遠くの方には大きな船も見える。船のボーッという汽笛の音がこだまする。その他には、道路を行き来する車やバイクが走る音が聞こえてくる。

  天野月海は、窓の外から身を乗り出し、うーんと伸びをした。潮風が心地よく顔をなぜ、ポニーテールにした髪の後れ毛が、顔まわりをたなびく。目の前に広がる夏の光景に、月海はそっと目を細める。店の奥の方から、パンの香ばしい香りがただよってきた。十時になったら、店が開店する。厨房から、お母さんが月海を呼ぶ声が聞こえた。

「モーニングクロワッサン、十個焼けたわよー」

「はーい」

  窓の外の景色から目を離し、月海は厨房に入っていく。今日も、夏休みの一日が始まろうとしている。月海は、お母さんが営む海沿いのパン屋「メーテル・マーテル」で、お手伝いをしているのだった。バイト代として、お小遣いがもらえる。

出来立てのモーニングクロワッサンを、オーブンから取り出し、棚に並べた後、「今日は頼まれごとをしてほしいのよ」とお母さんが改まったように月海の目を見て話しかけた。

「なあに、お母さん改まっちゃって」と月海は不思議そうに見つめ返す。

「ほんのちょっと、お届け物をしてほしくてね」とメガネを鼻にかけたお母さんが、さっそく地図を広げる。

「なあんだ、そんなこと」いいよと言うように、月海は肩をすくめる。

「あかがねの森の外れの木のお家なんだけど」

「あかがねの森?聞いたことないな」

月海は地図をのぞき込む。

「ちょうど、黒紅の通りを突っ切った先にある小さな森ね」

「黒紅の通り?!」

黒紅の通りというと、香辛料や、ゲテモノ、ガラクタなどが売られた古くからあるごった返した通りだ。お守りや、薬草などが有名で、オカルト好きな人が通うという印象だ。

月海は、前からそこに行きたいと思っていたのだが、不思議なことにその通りは、入るのに13歳からという、年齢制限があったのだ。月海はまだ行ったことがなかった。今年中学一年生になる月海は、先週13歳の誕生日を迎えたばかりなのだ。胸が高鳴る。

「行きたい!」

好奇心旺盛な月海は、気づいた時にはそう答えていた。

「月ちゃん、黒紅の通りに行くの?」

厨房から、パン作りの見習いの山中かつち、通称かっちゃんが顔を出す。かっちゃんは、大学生で、メーテル・マーテルでバイトをしている。彼はパンにこよなく愛情を注いでおり、将来の夢はパン職人になることだという。お母さんによると、なかなか腕が良く、大学を卒業したら、このパン屋に就職をしてもらうことになっている。

「気を付けろよ」

かっちゃんは、そう言って月海に向かってウィンクをした。

「もう、かっちゃんったら。チャラいんだから」

月海は、そう言って吹き出した。

「これを持っていってほしいのよ。フランスパン3本と、クリームパフ2つ。それと地図も持って行きなさい」

お母さんは月海に、パンが入った袋と、地図を手渡した。

「はーい。じゃ、そろそろ行くね」

パン屋さんらしい茶色い袋に入ったパンを自転車の前のかごにいれ、月海はさっそく自転車にまたがった。行くと決めたなら、早く黒紅の通りに行ってみたい。

「じゃ、行ってきまーす!」

気づいた時には、海沿いの一本道を、自転車で漕ぎ進めていた。お母さんとかっちゃんが、後ろからそっと見送る。

「おばあちゃんと、うまくいくと良いんだけどねえ」

風に揺れる髪を手でおさえながら、心配そうにお母さんが月海の後ろ姿を見やる。

「大丈夫っしょ。13歳になったんだから」かっちゃんが、にっと歯を出して笑う。

「そうね、かっちゃんも通った道だから」

「そう、俺たち魔女のさだめーー」

そう言って、二人は月海の姿が見えなくなるのを確かめると、店の中へ入っていった。今日は、月海の一大事だが、店は通常営業だ。

おや?今日は月海にとって何があるのかな?魔女とはいったい何のことだろう?そんな二人の会話も露知らず、月海は元気に海沿いの一本道を、パンを乗せて走っていた。

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