第8話 帰り道
帰り道。今日は珍しく、能美ちゃんと二人っきりだ。長谷寅君と鵤君は、それぞれ用事でまだ学校に残っている。
「木乃香は何かしないのか? 委員会とか、部活とか」
世間話で聞いてくる能美ちゃんに、わたしはわざとらしくため息をついて言った。
「お店の手伝いがなければ、考えるんだけどねえ」
「あ、そうか。それがあったな。すまない、うっかりしていた」
「ううん、大丈夫。別に嫌なわけじゃないし」
わたしの両親は、今や日本でその名を知らぬスイーツ好きはいない、一大チェーンケーキ店のオーナー。わたしが今住んでいる家も店舗と一体になっていて、どうしてもスタッフが足りない日なんかには、手伝いに駆り出されているのだ。
接客するのは好きだし、お店の人もみんないい人ばかり。だから特に不満はないんだけど、放課後の予定が埋まりがちなのが玉に瑕。
今に始まったことじゃないけどね。
「興味本位で聞くんだが、木乃香は店の手伝いのとき、主に何をしているんだ?」
「わたしはカウンターだよ。あとは、店内で食べる人にウェイトレスする役。ケーキを作るのは職人さんの仕事だし、わたし一人あんまり働いちゃったら、バイトさん雇ってる意味なくなっちゃうしね」
「お小遣いは出ているんだろう? 立派じゃないか。私なんか、バイトのひとつもしたことがない」
「それが普通。わたしたち、まだ高校生なりたてだよ?」
そういえばそうだった、と能美ちゃんが笑う。能美ちゃんは大人っぽいから、ときどき自分でも感覚がおかしくなっちゃったりするのだろうか。
「いや、私にはほら、お前や長谷寅がいるだろう。自分の家の手伝いとはいえ、店に出て働いている友人が二人もいれば、何もしていないほうがおかしいんじゃないかという感覚に陥りもする」
よく分からないけど、そういうことらしい。わたしはとりあえず、ふーん、と適当な相槌を打っておいた。
「能美ちゃんは図書委員だったっけ?」
「ああ、そうだ。特に理由もなく、思いつきでしかないが」
「鵤君がやるんなら、すっごくぴったりだと思うんだけどな。……やりそうにないけど」
「やりそうにないな……」
鵤君は、日々生きるエネルギーを最小限に抑えようとしている人だ。貴重な放課後の時間を、自分のためだけではない何かに費やすなど、最初から選択肢にないことだろう。
「でも、能美ちゃんも似合ってるよ。背高いし、眼鏡とかかけてみれば? ザ・図書委員って感じする」
「ははは、ありがとう。だが、その席は既に埋まっている。先輩が実に図書委員らしい人でな」
なんと。世界は小説よりも奇なり。好奇心ながらぜひ会ってみたいと、わたしは思った。
そのまま能美ちゃんから先輩の話を聞いているうちに、別れ道まで来てしまった。わたしは少し名残惜しくて気づかれないように歩くスピードを遅くしてみたけど、能美ちゃんは気にした様子もなく、あっさりと立ち止まった。
「もうここか。木乃香と話していると、時間が経つのが早いな」
「そうだねー。もうちょっと一緒にいたいのに」
「ワガママを言うんじゃありません。明日も会えるんだ、そう沈むな。どうしても寂しかったら、電話をかけてきてもいいんだぞ?」
「んむーぅ」
なんだかすごく子ども扱いされている気がして、わたしは頬を膨らませた。その頬を能美ちゃんが指で突っつき、ぷすぅと間抜けな音がして空気が抜ける。おかしくなってわたしが笑うと、能美ちゃんもつられて笑った。
ああ、楽しい。高校に入るまで、長谷寅君をはじめ、みんなとは離れ離れだった。時々会うことはあっても、こんなふうに、学校の帰りにじゃれ合うような何でもない幸せな時間はなかった。両親の策略にはまったせいとはいえ、この学校に来て良かったと、今なら思う。
「じゃあな、木乃香。また明日」
「うん。また明日」
それでもやっぱり、名残惜しいけど。ぐっと我慢して、帰ろう。
今日は何をして暇を潰そうか考えながら、わたしは帰路に就いたのだった。
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