26話



「はぁ……」



 進路指導室の戸を閉めた途端、崩れ落ちそうなほどの脱力感と共に溜息をついた。



 進路志望は白紙だったけれど、それはさすがにまずいってことでここでしっかりと指導をされた。



 あたしの普段の態度を知っている先生だから、白紙の事を頭ごなしに怒ったりはしなかった。



 ただ、まさかあたしが白紙っていうのは予想外だったみたい。



 いろいろ悩みすぎは良くないぞって最初に言われたけど、その後、何言われたかは全然覚えてない。



 ともかく先生に心配をされたってことだけがあたしの頭にあって、何も入ってこなかった。



 今だって、イライラと情けなさでどうにかなりそうなくらいの気分。



「あたし、どうやったら……ああっ、もう!」



 心から湧き上がって抑えられなくなった気持ちは、キツい言葉となって誰も居ない廊下に響き渡った。



 あたし、何してるんだろ。



 自分の声が耳に入った途端に、後悔となって一気に襲い掛かった。



 こんなイライラを自分の中で抑えられないでこんな声出すなんて、大嫌いな子供みたいなのに。



 なのに、今のあたしはその子供みたいなことをしてる。



『あーあ、ひなってやっぱ子供じゃん』



『子供っていうか、ガキ? あはは、普段は大人ぶってるだけだったんだ』



 聞こえるはずもないそんな声が、頭に響いてくる。



 違う。



 違う。



 あたしは、絶対に子供なんかじゃない!



 だけど、いくら思ってもさっき叫んだ自分の声がその思いをかき消していく。



 ――もう、一人になりたい。



 あたしはその感情のままに、学校を飛び出した。





「ごめん!本当にごめん!」



「謝らなくていいですよ。心配はしましたけど、全く怒ってないです。ともかく、間森さんが無事でよかったです」



 泣きそうに謝っているのに、白雪さんの声は本当に優しい。



 だけど、あたしはどんどん申し訳なくなっていた。



 今は、もう夜もだいぶ遅い時間。



 どうやって家に帰ったかもわからないまま、ベッドに倒れこんで制服のまま寝ちゃったあたしが目を覚ましたのは数分前。



 ぼんやりとしていたあたしを一気に目覚めさせたのは、掴んでいたスマホの画面を見た瞬間だった。



 通知画面には『白雪澄乃』の文字。



 その瞬間、血の気が引いてすぐにアプリの通話を繋げた。



 実は今日も白雪さんと、いつもの場所でいろいろと話をする予定になっていた。



 内容はもちろん、進路関係のこと。



 もちろん真剣な相談って訳じゃなく、いつものお話しレベル。



 だけど、あたしはその約束なんてすっかり忘れてさっきまでベッドで倒れてた。



 つまり、白雪さんとの約束を無断で破っちゃったってこと。



 白雪さんからのメッセージの送信時刻は閉門ギリギリっていうか、もう閉門されていてもおかしくない時間。



『さすがに先生たちにごまかしがきかないので帰りますね。間森さんに何かがあったのなら、心配です。あたしは大丈夫ですので、ご安心を』



 あたしが進路指導室から出た後から閉門までっていうと、大体4時間はある。



 その間ずっと白雪さんは一人であたしを待っていたかって思うと、もうその事実を突きつけられただけで泣きそうになっていた。



 だけど、そんなのは子供だって思って何とか謝罪の通話をした。



 パニック状態で謝るあたしに対して、白雪さんはいつもよりも優しくって柔らかい声だった。



 あたしを怒るなんて全然なくて、無事だったってことを本当に喜んでるみたいだった。



「明日、学校無理そうでしたら休んでくださいね?」



「ダメだよ、病気でもないのに休むなんて。さすがに行くって」



「はぁ……。まぁ、無理には言いませんよ。ともかく、今日はもう休んでくださいね?」



 珍しく白雪さんがあたしに対して、重い溜息をついた。



 何か変なこと言ったかなって思うけど、理由を詳しく聞く余裕なんて今のあたしにはなかった。



「うん、ごめんね。明日行けるように、ゆっくり今日は休むから」



「はい。では、おやすみなさい」



 ぺこりとする白雪さんが浮かぶ声を聴いたところで、通話が切れた。



 最低だ、あたし。



 枕にギュッと顔を押し付けて、あたしは溢れる感情を大きなため息にこめた。



 一番の特別な友達との約束を、自分勝手に破ってしまった。



 それも、連絡もなく。



 いつもの場所で白雪さんがたった一人、ずっと待ってたことはアプリのメッセージから十分わかる。



 今日は白雪さんが怒らないのが不思議なくらいなことをしたのに、そんな事なかった。



 逆にともかく身体は無事だったことを、本当に喜んでくれていた。



 あたしが本当は子供で、白雪さんはあたしよりすっごく大人。



 その事実を、今日強く体に刻まれた。



 でも、ダメだ。



 分かっちゃっても、この気づきを白雪さんに知られるわけにはいかない。



 白雪さんを導いていくって言ったのはあたしで、白雪さんはその約束を大切にしてるからこそ、あたしの一番の特別な友達で居てくれるはずなのにそれが違うとなったら離れてしまう。



 でも、これを知られるのは時間の問題。



 あの察しのいい白雪さんだから、きっと近い内に気が付いちゃうはず。



 子供だって気づかれたらいつも側に居るはずの白雪さんが、あたしの側から居なくなっちゃうかもしれない。



 一番の特別の友達って言っていた相手が、あたしから離れてしまうかもしれない。



 そうしたら誰にも言えないような相談もできないし、あのあたしだけに向けてくれる笑顔だって見られなくなるかもしれない。



 そんな不安の連鎖はあたしの心を、黒く飲み込んでいった。



「お願い……あたしの側から居なくならないでよ……白雪さん……。一番の特別な友達同士だよね?あたしたち……。側に居て、くれるよね……?」



 泣きそうな声で子供のような感情を、ぽつりとあたしは助けを求めるように吐き出した。



 こんなにも誰かを失いたくないって思ったのは、生きていて初めての事。



 もっとあたしは白雪さんの事を知りたいし、あたしが大人になるために色々な事を教えて欲しい。



 違う。



 それ以上に、あたしは大切に思っているんだ。



 あたしの事を真っすぐに見てくれている、あの白雪さんを。



 それは白雪さんがあたしの中で、いつの間にか大切で大きな存在になっていたって事実を認める事だった。

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