2話

 あの口調と内容で入りづらかったあたしは、男子生徒が出て行ってからしばらくしてこっそりと教室に入る。


 教室には、あたしの斜め前の席で机の上に腰掛けている一人の女の子。


 荷物を取らない訳には行かないのでその席に近づくと、女の子はやっぱり白雪澄乃さんだった。


 放課後だけど、今は夏。


 まだまだ明るい季節の光は、白雪さんをしっかり照らしていた。


 その横顔はあれだけの言葉をぶつけられたはずなのに、泣いた様子もなく当然のことをされたというような顔をしていた。


「あ、間森さん。どうしたんですか? いつも、早く帰ってますよね」


「今日は、先生のお手伝いしてたから。それで、さっきの……」


「あ、聞いちゃったんですね。気にしないですけど、誰にも内緒にしてくださいね。あたしは平気ですし、お兄ちゃんに悪い噂立てたくないので」


「あの、お兄ちゃんって、誰?」


「えっと、お兄ちゃんはお兄ちゃんですよ? あ、えっと、郡司晃ぐんじあきらって学校では言った方がいいかもしれません」


 何を聞くんですかってくらいのきょとんとした顔で白雪さんは、少し小首を傾げたけれど、ちゃんと説明してくれた。


「それってまさか、実のじゃないよね」


「当然です。あたしなんかにお兄ちゃんと同じ血が流れてたら、迷惑です。でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんですから」


 全く迷いなく言われると、それ以上何も言えなくなっちゃう。


 郡司先輩は、あたしたちの中でも話題が上がるくらいの先輩。


 成績優秀、容姿端麗。


 そんな言葉がぴったりで、常に何人もの女性を連れていてそれが似合っちゃうくらい。


 たぶん全校生徒の中で、知らない人はいないってくらいの有名人で人気者だ。


「お、幼馴染……とか?」


「はいっ! お兄ちゃんはいっつも一緒で、あたしなんかの事いっつも気にかけてくれて、色々あたしのためにしてくれて。ほんと、ほんと大切なお兄ちゃんなんです!」


 あれ、白雪さん怒ってない?


 白雪さんの顔はきらきら輝いているから、どうしてもそう思っちゃう。


 だけど、さっきの先輩の言葉を思い出す。


 大分ひどい感じでこっぴどく振られてたんだよ、怒らない方がどう考えったっておかしい。


 だけど、目の前の白雪さんを見るとそうは思えない。


「でも、さっき……」


「仕方ないですよ。妹なのに、あたしはただの妹なのに、もっと側に居たいって出しゃばっちゃったあたしが悪いんです」


 ぐちゃぐちゃの頭の中をなんとかするための質問に、白雪さんはあまり表情を変えなかった。


 けど、言い終わった後、あたしから目を外してぼんやりと先輩が出て行ったドアの方に視線を移した。


「だから、お兄ちゃんは悪くないです。悪いのはあたしです。暗いところがお似合いなのに、光に近づこうとしたら不幸になる。お兄ちゃんはその前に止めてくれたんです。だから、感謝しなきゃいけないし、あんなきつい言葉を出させちゃったあたしが情けないし……」


 さっきの顔とは正反対の苦しそうな横顔になって、肩も落としていく白雪さん。


 ああ、やっぱりこれはダメ!


 そうは言ったって白雪さん、落ち込んでる。


 幼馴染にあんな言葉で振られたら、落ち込まないはずはない。


 それも妹って言ってるってことは、本当に近くにいたはず。


 あたしは大人だから、こういう子を目の前にして放っておくなんてできない。


 それに、白雪さんはあんまりクラスに馴染めてない。


 理由は分からないけど、いつの間にか浮いていたって感じ。


 新しい学校の一年目のクラスは大事で、その後の学校生活に影響が出る。


 だから、あたしが白雪さんがクラスに馴染めるように話せればよかったんだけど、どうもその機会もなかった。


 あたしとしても、こんな状態の白雪さんをほっといて帰るなんて事は絶対にできない。


 それに、先輩の言葉はどう考えても納得出来ないから、白雪さんがどう考えても納得してるはずないし、無理してるに決まってる。


 そういう子を、あたしは大人として絶対に守らないといけない。


 だから、あたしは帰り道一緒に帰ることを思いついた。


「ねぇ、一緒に帰る? 話、聞くから」


「大丈夫です。あの、本当に内緒にしておいてくださいね? お兄ちゃんの幸せのために、絶対にお願いします」


 あたしの誘いを、白雪さんは丁寧に一礼して断った。


 そして、かわいいキーホルダーのついた白のリュックを背負って教室を出て行ってしまった。


「え、あ……。あの感じ、大丈夫には思えないんだけど」


 と言っても、追いかけて捕まえるのは違う。


 でも、白雪さんの意思も尊重したい。


 大人ってそういうものだ。


 あたしはもう子供じゃないし、大人にならないといけないから。


 だから、あたしは白雪さんを追いかけることも、引き留めることもなく自分の鞄を持って家路に着いた。

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