商人さんに怪しいところなんてないですよ。ただ、人間じゃないだけです!

第1話 クラウス・タジティの悩み事

 近頃、骨董屋『銀の短剣』の『長男』クラウス・タジティには悩みがある。いや、彼の場合、悩み事を抱えること自体は、そう珍しくない。彼は若干二十歳という若さで騎士団の長を勤め、また同時に、まつりごとに詳しくはない『聖女』の、優秀な補佐官としての役回りも勤めていた過去がある。そうした経験から、彼は常に何らかの悩み、というか、とにかく考えなければならない事象を抱えており、それ故、眉間に皺が寄る表情が彼の常態になりもした。

 そんな彼が抱えている最新の悩みは、やはり『聖女』のことである。

 ここで誤解があってはいけないのは、彼が『聖女』のことで頭を悩ませるのを、重荷に感じてはいない、ということである。確かにこれまでも彼が抱えてきた悩みの多くは『聖女』のことであり、そんな彼女がいなければ、クラウス自身が頭を悩ませることは、そう多くはなかっただろう。だが、それがわかっていて尚、彼はそれをむしろ望んで生きている。そうして悩み、『聖女』の為に生きることこそが、自分が生きている意味だ、と。『聖女』の為に悩まないのであれば、自分が存在する意味はない、と。そう思っているのだった。

 そういうわけで、彼は今回も元気に、前向きに、悩んでいた。店のカウンターで、注文のあったプレゼント用の商品を、器用に包装しながら、考える。手は動き続けているので、手首に嵌めた盲人を示すバングルに付いた鈴が、まるで演奏でもしているかのように、小気味良い音色を店内に響かせている。バングルはこのフィン国に来て、国から支給されたもので、実際のところ日常生活には支障はないクラウスではあったが、一先ず決まりということで嵌めるようにしていた。

 盲目にも関わらず、日常生活になんら支障がないのは、彼の武人としての修練の賜物であった。彼は、常に人や物の気配を、鋭敏に感じ取ることができる。この特殊能力といっても決して過言ではない力が、いま、彼が考えている悩みに関係している。

 やはり、あれは人間ではない。

 では、何か、と問われれば、わからない。

 物でもない。だが、『生き物』と断定することもできない。


「それは、シホ様も気付いているはずだ」


 思わず考えが口から音になって出てしまった。クラウスは手を止める。周囲に人の気配はない。クラウスの感じ取ることのできる『周囲』は、常人のそれより遥かに広い。店の外の通りまでが彼の『周囲』であるから、それだけの範囲に誰もいないのであれば、いまの呟きを誰かに聴かれたということはないだろう。クラウスはほっ、と息を付いた。

 最近、この店に出入りしている若い商人がいる。時折、手土産の菓子を持って現れては、商人らしく商談はしていく。先日はクラウス自身も応対し、刀剣を預かる商談をしたばかりだった。

 問題は、その男が放つ気配にある。得体の知れない生き物が、羽のようなものを広げている。クラウスが何度感じ取っても、男からはそんな幻視を伴う気配が放たれていた。柔和に話すその態度と気配の様子があまりにも釣り合わず、一言で言えば、この上なく胡散臭いのだった。

 だが、クラウスが仕える『聖女』にして、いまはこの骨董屋の主、そして便宜上の『妹』であるシホ・リリシアは、あの商人に一定以上の信頼を置いている様子だった。それが、クラウスには不思議でならず、また、心配でならないのだ。

 クラウスたちが生まれた大陸において、『聖女』と呼ばれたシホは、それに見合う、ある特殊な力を有する少女であり、その力は、決して相手を見誤ったりはしない。クラウスが持つ『気配を察知する能力』とはまた違った、もっと相対した存在の本質に迫るような、不可思議な察知能力を持っているはずの彼女が、なぜあの、人かどうかもはっきりとはわからない商人を信頼するのか。このまま放置し、この『銀の短剣』に出入りさせて、本当に大丈夫なのか。


「やはり……」


 万が一、ということもある。万が一、シホが気付いていないのであれば、命をとして護るのは自分の役目である。自分はその為に生きているし、自分はその為に生かされている。自分の存在理由、それがシホという少女なのだ、と規定しているクラウスは、いま、はっきりと決意した。


「一度、ご忠告はするべき……」


 意識して呟いた言葉を、クラウスが途中で飲み込んだのは、店の前の通りに、ふたつのよく知る気配が現れたからだ。ひとつは男の気配で、クラウスはふと、過去のある時点を思い起こした。

 いま、『銀の短剣』に歩み寄ってくる男の気配も、初めて出会ったときには、嫌な気配しかしなかった。あの頃はまだ目が見えていたので、いまほど気配を強く感じることはなかったが、それでも男の経歴と、人智を超えた戦闘を目の当たりにしていたので、危険な気配しか感じなかった。それがいまはひとつ屋根の下、周囲からは『兄弟』と認識される日々を過ごすことになるとは。全く、思いもしなかったことだ。


「……杞憂きゆうならいいが」


 あの商人も、この男と同じように。

 クラウスが顔を上げ、店の入口に視線を送る。それでそこの景色が見えるわけではないが、店に入ってくるものに敬意を示すことはできる。

 ドアベルが鳴り、扉が開かれた。

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