男は黙って日常なんだよ!
大天使 翔
第1話 これが最近のマイブームなんだよなぁ
季節は春過ぎ、五月上旬。この物語の一応の主人公、田中は退屈な休日を送っていた。
宿題も終わり、漫画を見るのも飽きた。そんな彼はイスに座り、窓の外をボーっと眺めていた。とくに何を考えているわけでもない。
彼は一軒家に住んでおり、自分の部屋は二階にある。家の前には二車線道路があり、向かい側には「発達支援ルーム 輪の子」という生まれつき障害を持つ子が通う施設があり、駐車場もあって開放感がある。休日は人通りもなかなか多い。
田中の容姿は、いたって普通だ。特筆べきところが何もないような、「ザ、普通の人」である。しかし、彼は独特のユーモアセンスを持っていた。彼自身は気づいていないが、彼の漂わす雰囲気は、他の人から「なんかこいつ変だな・・・」と思わせるような、なんとも形容しがたいものであった。
田中は、伸びをするために立ち上がった。「ううぃ~~~~~あはぁん」と喘ぎ声を放ちながら伸びをすると、ふと窓の下を見る。ちょうど、二人のオバサンが甲高い笑いをしながら家の前を歩いていた。
「最近家の子がねぇ、部屋に入るなって言うのよ。全く、何やってんのかしらね」
「思春期の子なんだからしょうがないわよ~」
「あーもうムカつく。てかさ、部屋がめっちゃ臭いのよぉ。もうなんか、ドア開けた瞬間、ムワって来る感じ。こっちから入るの願い下げだっての」
「あー分かるー。うちの子も。この前ファブリーズまみれにしてやったわ」
田中は、途中から話の内容が気になり、窓を少し開けて食い入るように聞いていた。田中も最近親から言われているので、自分の話がああいう風に話されていると思うと、気が滅入った。
家の前を通る人は後を絶えない。田中は、通行人を見下ろしているうちに、案外自分の存在が気付かれないことに気付いた。そして、窓を全開にし、網戸を開けてけっこう責めて覗いてみる。
田中の家の右側には公園があるのだが、そこから数人の子供が出てきた。高校一年生である田中にとって、もう子供の歳は見分けがつかないが、子供の中の一人がイキっていたので、小学三年生だと思った。小学三年生が一番イキりたい年頃なのだ。
「お前、前女子と一緒に遊んでただろー。気色わるー」
(お前の方が気色わるいわ。俺も女子と一緒に遊びたいわ)
「え?あれは姉ちゃんだって」
「うるせーこっちくんな!女子菌が移る!」
(女子菌か・・・なんか触れたら性転換しそう)
「は?なんだよ女子菌って!名前ダセェな!」
(そこかよ)
子供たちは話しながら去っていった。田中は顔が出るくらいに窓から身を乗り出していたが、見向きもされなかった。いかに人が上に注意散漫かが分かる。これなら、頭皮を盗撮し放題である。
その後も人は通るが、誰も田中のことに気付かない。途中何人かはちらっと見たような気もしたが、その人も何もなかったかのように通り過ぎ去っていく。
(もしかして見て見ぬふりしてるのか?)
誰かに気づかれるかもしれないというハラハラ感を楽しんでいた田中だったが、だんだんと腹が立ってきた。
(いくら道端で会話を交わすことがなくなった現代でさえ、わざわざ家から自分を覗く見る人にあいさつもしないとは、なんたることか。このままでは日本はオワコンだ!)
田中は、次に通った人が自分に気づかなかったら、あいさつをしようと決めた。そして、右側の公園がある方から、いかにもこれから遊びに行く風貌のOLがやってきた。田中の真下を通るが、気づかない。というか、ながらスマホをしているので気付くわけがない。田中は、満を持してその言葉を放った。
「おはようございます!」
その一声は、田中が思ったよりも大きく、町に響き渡った。
OLは、急すぎる大声に体がびくつき、スマホを落としそうになった。なんとか持ちこたえると、反射的に後ろを向く。しかし、周りに誰もいない。OLは気味が悪くなって、その場から逃げ出そうとしたが、一応立ち止まって、「お、おはようございますぅ」と尻すぼみに言うのだった。
当の田中は、予想を越えた自分の声に恥ずかしくなり、とっさに机の下に身を隠していた。自分の体を抱きしめて恥ずかしさに身を悶えていた矢先、OLのあいさつが聞こえてきた。田中が思っていたより甲高く、甘い声で、しかもあいさつを返してくれたことに、恥ずかしさは吹っ飛んだ。
「この日本も捨てたもんじゃないな・・・」
田中は机の下から這い上がり、格好をつけながら言った。調子に乗った田中は、この遊びを楽しんでいった。もう挨拶や羞恥心などどうでもよく、「いかに自分だと気付かれずに大胆なことをできるか」というゲームに変わっていった。
言うことはなぜか「おはようございます!」だったが、急に言われてビビった後に「度し難い!」といった表情を浮かべる人たちをこっそり見てクスクスと笑いながら、田中の行動はエスカレートしていく。バレるかもしれないというスリルが田中を掻き立てていた。同学年の女子に免疫の無い田中だが、制服を着た女子高生っぽい人に決死の覚悟で言ったり、黒いスーツをまとったちょっと強面な人に言ってみたりもした。
しかし、流石に一時間もやっていると飽き始めた。いい歳こいた高校生がやるようなことではないと田中も気づき始めていたが、暇を極めた田中にとって、それはどうでもいいことだった。
妙案を思いついた田中は、一階のリビングへと駆けていった。寝ている父を起こさぬよう、そーっとガラス製の机の上にある車の鍵をとると、玄関のドアを開けて家の前にある赤い車へと乗り込んだ。そして、エンジンをかけると、後部座席の家側のサイドガラスを開け、エンジンを止めた。
後部座席に移り、下に潜りながら歩道側のサイドガラスをそーっと見る。近所のオッサンっぽい人が通りかかると、隠れてすかさず「おはようございます!」と叫んだ。オッサンの方からは家側のサイドガラスは見えない。オッサンは、あたふたしながらその場を去っていった。
爆笑する田中。オッサンの驚き方が期待した以上のものだったので、笑いが止まらない。お腹が死にそうなくらい痛い。まるで爆笑問題田中である。
なんとか田中の死の危険は去った。さぁ、もう一回やろうと田中は起き上がり、サイドガラスをそーっと覗きこむと、目の前に顔が現れた。驚いて後ろに仰け反ると、それがツインテールの少女だと知る。その少女は、細い目でじーっと田中を見つめていた。少女のそれは、大人げない人を見るときのものだった。
田中はバレたと悟り、苦笑いを浮かべながら少女とは逆のドアから降り立った。顔を見合わせる二人。少女は、田中の半分くらいの身長で、Vネックの薄い肌色のカーディガンを着ていた。数秒の沈黙の後、少女が口を開いた。
「車からずっと見てましたよ」
「車?・・・まさかその駐車場の?」
田中が指差したのは「発達支援ルーム 輪の子」の駐車場だった。
「はい」
「まじか~!そこは盲点だったわ。外からだと車の中って見えにくいしなぁ~。あははははは・・・」
田中は少女の視線が痛かった。恥ずかしさはないが、休みの日にこんなことをしている自分への失望が大きかった。バレたらこういう気持ちなのかと田中は思った。
「はぁ・・・こんなのが社会の先輩なんて日本は終わってますね・・・」
「そうだね」
「あなたが終わってるんですよ」
「・・・すみません」
「はぁ・・・もうこれに懲りたら辞めて下さい。迷惑です」
「はい・・・」
「子音!何やってんの、行くわよ!」
子音の母親らしき人が呼んでいた。
「あ、は~い。・・・じゃぁね、大きなちびっ子さん。次会う時は”ここで働かせてください”って叫んでね」
子音は少し笑って言った。田中は黒い柄に黄色い文字で「ここで働かせてください」と書かれたTシャツを着ていたのだ。それはジブリ博覧会が県内に来た時に行って買ったもので、二日に一回は着ようと心がけていたものであった。
「私なら別に言っても構わないからねー」
子音は、道路を渡ると手を振りながら言った。
「お、おうー」
田中は少女が自分のことを軽蔑したのかと思っていたが、存外悪く思っていないのだと気付いた。しかし、少女の母親らしき人の怪訝な眼差しを見て、少し落ち込んだ。そりゃそうだ。見知らぬ人と車を挟んで話すというそんな奇妙な光景はない。
子音は田中が悪いやつじゃないことを伝えると、母親と一緒に車に乗り込んだ。田中は歩道まで出て、子音の見送りをした。子音の母親の訝しむ視線が痛かったが、子音の笑顔で手を振る姿に、田中は少し元気をもらった。田中は、年下だとしても見知らぬ女子としゃべるのは実に四年ぶりであった。小学校卒業以来である。
子音は、窓の外を見ながら微笑んでいた。小学校三年生である彼女にとって、高校生は大人のようなものである。大人はつまらないものだと決めつけていた彼女だが、田中の行動は、どうやらそんな彼女の考えを変えるだけのインパクトはあったようである。
「やるじゃん」
果たして「誰にも気付かれずに挨拶が言えるか」というゲーム略して「NNG」(Nobody notice greet)は子音のマイブームとなるのだった。
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