公明正大

 


 ・貞吉三年(1545年) 十二月  近江国滋賀郡 坂本城下  国友善兵衛



「邪魔をするぞ!」


 息を弾ませながら侍従様(織田頼信)が作業場に駆け込んでくる。

 吐く息は白くなり、身震いしそうなほど寒い日だというのに侍従様は額に玉のような汗をかいておられる。


 やれやれ、お役目でお忙しいであろうに……


「侍従様。あまり頻繁に来られてはまた六角様からお叱りを受けますぞ」

「なに、すぐに帰る。それに役目もしっかりと果たしておる。やることをやっておれば、親父殿(六角定頼)とてうるさくは申されまい」


 鍛冶たちも慣れた物で、儂と侍従様のやり取りにも手を止める者は居ない。いや、むしろ巻き込まれまいとあえて視線を手元に落とす者も居る。

 全員、耳はこっちを向いておるがな。


「ま、折角来て頂いたのですから茶など用意させましょう」

「いや、それもいい。今日はどうしても善兵衛に伝えたいことがあって参ったのでおじゃる」

「はて? 伝えたいこととは?」

「これでおじゃるよ」


 そう言って侍従様が鉄砲の筒を取り出す。これは、以前に差し上げた鉄砲筒だな。


「何か不具合がございましたか?」

「まずは、この筒を覗き込んでくれぬか」

「はあ……」


 訳も分からず侍従様から渡された筒を覗き込む。

 ……別段、妙なところはないな。内側にも異常は無いし。


「違う違う。筒を目にくっつけてたもれ」

「こ、こうですか?」

「そう。そして反対側の目を閉じる」


 色々と注文がややこしいな。

 ええと……筒を目につけて、反対側の目を閉じる……と。


「どうでおじゃる?」

「どう……と申されましても……」


 内側が少し見やすくなっただけで、特に変わったところはないが……。


「わからぬか? では、庭先に出て琵琶のうみの方を見てたもれ」


 言われるがままに庭先に出ると、湖に青々とした空の色が映っていた。

 沖合には何艘か船が行き来している。


「あの船を見てたもれ」


 扇で指された船に視線を移す。

 白い帆が美しいな。


「違う! 筒で覗くのでおじゃる!」


 ふむ……?


「どうじゃ?」

「はあ……見にくうございますな」

「近く見えたようには感じなんだか?」

「近く……?」


 そう言えば、ややくっきり見えたような気はするな。


「そう言われればそうも見えますが……しかし、これが何か?」

「内側を磨けば、もっとよく見えるのではないかと思うのじゃ」

「ははあ。つまりは、この筒の内側を磨け、と」


 侍従様がコクンと頷く。

 確かに、近頃では木地師らの使うろくろを筒磨きに使っているから、以前にお渡ししたこの筒よりもより艶やかに磨けるだろうな。


「ただ、この筒ではない。もそっと太い筒で試してみて欲しいのじゃ」

「大きな筒……例えば、このくらいでしょうか?」


 そう言って両手の指先を丸めた。


「いや、それでは太すぎる。このくらいで頼みたい」


 そう言うと、侍従様が両手で丸を作られた。

 ふうむ……六寸(18センチメートル)よりも少し大きいくらいか。


「ふむ……。まあ、どのように仕上がるかは分かりませんが、やってみましょう」

「よろしく頼む。では、麿は京に戻る」

「あ……今お茶を……」


 行ってしまわれた……。

 駆けてゆく馬の背から”茶はまた今度馳走になる”と声だけが聞こえた。

 まったく、近頃では嵐のように突然来ては突然帰られるようになったな。


 さてさて、太い筒を磨く、か。

 まずは太い磨き棒を作らねばならんな。




 ・貞吉三年(1545年) 十二月  近江国蒲生郡 観音寺城下  松平信孝



 観音寺城下の麓に巨大な館が建っている。

 元は六角家当主の居館、いわゆる『御屋形』だったらしいが、今は評定衆の議場になっている。

 今となっては、通い慣れた場所だ。


 いつものように定められた場に座ると、上座の左側に三人の祐筆が居り、右側には進行役の平井加賀守殿(平井高好)の姿が見える。

 かつては輿に乗って戦陣の指揮を執ったという豪傑だが、今では嫡男の右兵衛尉殿(平井定武)に戦を任せて自らは評定衆の一員となっておられる。


 いつもならば上座の一番近くには京極長門殿(京極高延)が着座されるが、今日は空席だ。その代わり、加賀殿の隣に三人ほど見慣れぬ者が座っている。


 ”見よ。あれが噂の宇喜多右衛門尉(宇喜多直家)だ”

 ”親類に奪われた家督を取り戻そうともせず、御本所様(六角賢頼)に付き従って近江にまで来たそうな”

 ”なんでも御本所様が甚く気に入っておられるそうだ。近江に来た方が備前一国を頂くよりもよほどに値打ちがあろうよ”

 ”然もありなん、然もありなん”


 自然と周囲のヒソヒソ声が耳に入る。

 まったく。人と言うのはどうしてこう、他人の下世話な噂話を好むのか。


 ……なるほど、確かに良く知恵の回りそうな顔立ちをしているな。

 西国遠征にて御本所様(六角賢頼)に見出され、召し出されて側近く仕えることになったというが、俄かには信じられぬ話だ。


 ……いや、六角とは家だったな。

 そうでなければ、今儂がこうして評定衆の末席に加えられているはずは無いのだから。


 伝統ある守護家とはもっと堅苦しい物と思っていたが、存外……


「御静粛に」


 加賀殿のよく通る声が議場に響くと、そこここで起きていた騒めきがピタリと収まった。儂も隣の者との軽口を控え、袖を払って背筋を伸ばす。

 それを合図にしたように奥から御本所様がお出ましになり、上座の一番近くに座られた。


「先だってご承知の通り、今回の評定から御本所様(六角賢頼)が臨席されることと相成った。とはいえ、我ら評定衆の役目はいつもと変わらぬ。いつも通り、忌憚なく肚の内を述べられるがよろしかろう」


 そう言われて、はいそうですかと本音を晒す者などおるまいに。

 元々大本所様(六角定頼)がほとんど長門殿に任せきりであったため、皆評定の場に六角家の御方がお出ましになることに慣れておらぬのだ。


 案の定、全員が頭を下げたまま周囲の様子を窺っておる。


「いかがなされた? 方々、遠慮は要らぬぞ」


 …………


 ええい、このままでは埒が明かぬ。


「よろしゅうございましょうや」

「おお、蔵人佐殿(松平信孝)か。申されよ」

「では。この二月の間三河を見て回りましたが、大本所様のお下知にも拘わらず三河や尾張から甲斐へ荷を運ぼうとする者が後を絶ちませぬ。

 聞いた所ではその多くが貧しき者らであり、そもそもお下知の内容を理解しておらなかった様子とのことで、塩は駄目でも綿布は良かろうと述べる者も居たとか。これは由々しき事態と申さざるを得ませぬ」

「その件は尾張の織田弾左殿(織田信康)からも報告が来ておりますな。して、蔵人殿には何か腹案がおありか?」

「はい。そもそも民の多くは字を学ぶ機会に乏しく、今の如く下知状を各郷に回す形式では必ずしもお下知が行き届くとは限りませぬ。

 彼らとて大本所様のお下知を理解しておれば、このように奉行所が走り回る事態にもならなかったのではないかと思われます。

 そこで、各郷にお下知の内容を噛み砕いて教えるお役目を新たに作ってはいかがかと愚考致します」


 一瞬、広間が水を打ったように静まり返る。

 その後、火が付いたように騒めきが起きた。


「御静粛に! 御静粛に!

 発言はお手を上げられてからになされよ!」




 ・貞吉三年(1545年) 十二月  近江国滋賀郡 坂本城  六角定頼



「ふぅむ……下知を各郷に理解させる役目、か……」

「はい。松平蔵人からの提案ですが、某は妥当では無いかと思いました」


 賢頼が祐筆の記した文書に目を落としながら、評定の様子をかいつまんで報告してきている。

 要点を抑えた報告で分かりやすい。この辺は尾張での経験が活きているな。


 賢頼につられて俺も文書に目を落とす。

 よほど活発な議論があったのだろう。祐筆の筆跡がだいぶ乱れている。


「しかし、そうなると奉行所の人員がまた増えるな。ただでさえ郷方の見回りで人手不足だが、そこはどうする?」

「新たに召し抱えるしかありますまい」

「……ふむ」


 文官は武官と違って育成に時間がかかる。

 そもそも武士と言う武士が全て領地を手放したわけでは無いしな。血の気の多いヤツは大方旗本に吸収できたと思うが、文官気質の者は未だ自領を手放さずに領地経営に専念している者も多い。


 それらを飛び越して郷村に直接人を遣るというのなら、嫌がる者も出てくるだろうしなぁ。


「分かった。この件はしばし考える」

「評定では蔵人の意見に賛成が多うございましたが……」

「分かっている。だが、賛成多数だからといってそのまま通すわけでは無い」

「はあ……」


 賢頼が幾分か曖昧な顔で頷く。

 ふむ……今一つ分かってはおらんか。


「評定の結果は確かに重要だが、評定で決まったことが必ずしも実行されるわけでは無い。評定は言わば、民の声を聞く場に過ぎぬと心得ろ」


 ……まだ得心がいかんか。


 評定は確かに重要だが、それは最高行政執行者である鎮守府大将軍に世論を教える為のものに過ぎない。

 と同時に、配下の者に自分の意見が述べられる場があると思わせるための物でもある。


 誰だって、自分の意見が通れば喜ぶ。やりがいを感じる。

 たとえそれが予め決まっていたものであったとしても、だ。


 要は公明正大にやっていると見せることだ。


 今までの武家政権では、将軍と一部の側近だけで物事を決することが多かった。

 そうなると、どうしてもすべてが密室で行われていると思ってしまうのが人情だ。


 例え実態は将軍と側近の密議によって決まっていても、評定に諮ることでオープンな議論の結果と認識される。

 評定の結果はあくまでも全体の総意に過ぎない。最終決定権は、あくまでも鎮守府大将軍が持っている。

 つまりは、評定そのものが一種のパフォーマンスということだ。


「評定で賛成多数を得た意見が必ずしも正しいとは限らん。だが、それは民の声でもある。評定衆の意見を無視するのではなく、何らかの形で取り入れるのだ。

 決めるのはあくまでも将軍であるということを忘れるな」


「……ハッ!」


 少しだけ理解したような顔になる。

 いずれ賢頼に将軍職を譲ることになる。その時、世論に振り回される将軍ではいかん。世論を無視してはいかんが、それにこだわりすぎると時にとんでもないことにもなる。


 まあ、いずれ賢頼も分かって来るだろう。

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