府内崩れ

 


 貞吉三年(1545年) 九月  豊後国大野郡 鎧岳城  大友義鎮



「邪魔をする」


 一言断りを入れて室内に入ると、戸次の老臣達が恐縮した顔で一斉に頭を下げた。

 だが、中心に居る男は褥に横たわったまま動けずにいる。


「大事無いか」

「若君(大友義鎮)……。申し訳もございません」

「ああ、気にするな。そのままでいい」


 起き上がろうとする伯耆守(戸次鑑連)を制止し、褥の横に腰かけた。

 ……存外、血色が良い。少し安心した。


「傷の具合はどうだ?」

「……足が、思うように動きませぬ。傷が癒えたとて、元通り馬に乗れるかどうかは……」

「……そうか……」


 しばし言い淀んだ後、沈んだ顔で伯耆守がポツリと呟いた。

 馬に乗れぬとなると、今までのような戦働きは難しい……か。


 伯耆守が戦に出られぬとなると、塩市丸を擁する者共が勢いづくであろうな。


「宇都宮だがな……」


 伯耆守の顔が曇る。

 良い話ではないと察しているのであろう。


「大友が安芸で敗れたことを受け、河野と六角に降伏を乞う使者を出したそうだ」

「なんと……ですが、遠江守(宇都宮豊綱)は一戦もせずに降るような男では……」

「遠江守は反省を示す為、蟄居していると聞いた」


 伯耆守が黙り込む。

 恐らく蟄居とは名ばかりで、周囲の老臣達が監禁しているというのが実情だろう。

 だが、隠居して家督を譲らせることはしていまい。いざとなれば、遠江守には河野との戦の責めを負って腹を切ってもらわねばならん。


 ……とても他人事とは思えんな。


「面目次第もございません」

「何を言う。一番辛いのはそなたのはずだ。よくぞ大友の為に働いてくれた」

「はっ……」


 儂の言葉を聞いて伯耆守がきつく目を閉じた。

 自責の念に心を苛まれているのであろう。


 大友家中にはかねてより大内の血を継ぐ儂を廃嫡し、塩市丸を嫡子にせんとする動きがあった。六角と対立し、尼子にも歯が立たぬ大内など頼るに値せぬ、と。


 ……まこと、調子のいい話だ。

 そもそも父上は『大内とは争わず』という方針のもと、大内の娘である母上を正室に迎えたのではないか。

 それが、大内の勢威が弱まったと見るや博多を狙って動き出した。約を違えたというのならば、父上の方が先だ。


 伯耆守が陶に加担したのは、家中の暴走を抑えつつ博多の支配を強固にせんが為だった。

 博多の津と小倉周辺の支配を盤石のものとすれば、そしてそれを六角が認めてさえくれれば、その時こそ大友は九州の旗頭として六角の旗のもとに馳せ参じる。

 伯耆守は以前からそう申していた。


 窮した大内が今まで対立していた六角へ頭を下げるとはだれも思わなんだ。

 ……いや、そもそも大内と六角の対立を主導していたのが陶だったということなのだろう。我らは自ら墓穴を掘ってしまったのだ。


 家中での劣勢を挽回すべく安芸に向けて出陣した伯耆守を『短慮に過ぎる』となじる声も出ている。

 ……馬鹿者共が。もはや乾坤一擲の勝負に出る他に道があったと思うのか。


「御屋形様(大友義鑑)は、何と?」

「どうやら儂を京へ人質へ出すお心積もりのようだ。近衛太閤(近衛稙家)が近々京に戻られるそうだが、儂に道中の警護をせよと仰せになられた」

「しかし、今若君が豊後を離れられば大友の家督は……」

「もとより、父上はそのつもりなのであろう。近頃では兵庫(入田親誠)と頻繁に会っているという話だしな」


 儂を体よく豊後から追い払い、塩市丸に家督を譲る。今の父上の頭にあるのはそれだけだ。

 肥後に勢力を伸ばし、大内と九州の覇を争った大友義鑑はもう居ない。


「伯耆守には礼を言う。家中の誰もが揺れる中、お主はあくまでも儂を嫡男として扱うよう父上に進言し続けてくれた」

「……! 若君!」

「養生に務めてくれ。まだそなたに死なれるわけにはいかぬ」


 座を立つと後ろから”若君!”と悲痛そうな声が聞こえた。

 儂とて、出来得るならばこんなことをしたくは無い。だが……だが、もはや他に道が無いのだ。




 貞吉三年(1545年) 十月  近江国滋賀郡 坂本城  六角定頼



 深夜にも関わらず、慌ただしく廊下を駆けて来る足音がする。

 こちらも第一報を受けて布団を抜け出し、顔を洗って頭をシャッキリさせたところだ。


「失礼仕ります」


 進藤貞治に続き、京都奉行の三井高好、それに山科言継と近衛前久の四人が入って来る。

 前久の顔面は蒼白で、言継はその前久を気遣うような顔をしている。


「夜分にも関わらず、申し訳ありません」

「いや、ご苦労だった」


 厳しい顔で頭を下げる三井に労いの言葉をかける。

 だが、三井の顔が緩む気配は無い。

 厳しい顔の原因は……


「……それで?」

「太閤殿下(近衛稙家)に随行していた家人の報せによりますれば、府内館(大友氏館)にて別れの宴を催していた折に賊徒が乱入したとのこと。

 狙いは大友修理大夫(大友義鑑)と思われますが……」


 三井がチラリと前久に視線を移して言い淀む。その言葉を進藤貞治が継いだ。


「修理大夫を討ったのは、嫡男の大友五郎(大友義鎮)の手の者らしいと倅(進藤賢盛)が報せて参りました。

 幼い弟も諸共に討ち果たしたとの由」

「つまりは……大友家の家督争いということだな?」

「左様にございます」


 頭の中で状況を整理し、一つため息を吐く。

 ロウソクの灯りが揺れ、各人の顔に濃い陰影を作り出した。

 戸惑い、驚き、焦り……そして、深い怒り。


「内府殿(近衛前久)には申し訳ないことをした。太閤殿下は、某の依頼を受けて大友を訪ねている最中であった」

「……いえ」


 それだけ言うと、前久が再び黙り込む。

 大人びてはいるが、未だ十歳の子供だ。父が死んだという衝撃は大きいはずだ。しかもそれが巻き添えを食ったというのだからやり切れん。


「大友の家臣達はどうしている?」

「半分は大友五郎が掌握したようです。津久見、田口といった者達が軍勢を集め、府内館への出仕を呼び掛けておると聞きます」

「もう半分は?」

「自領に引きこもり、戦支度をしつつ情勢を見極めようと言った所でしょう。あるいは逐電した者も居るやもしれません。いずれにせよ、未だ明確に五郎に弓を引こうという軍勢は現れておりません」

「こちらへ使者を寄越している者は?」

「それも未だ……大友五郎の蜂起は完全な奇襲であったようで、未だ豊後国内は揺れに揺れている最中のようです」


 一月近く経っているのに、未だ対応を決めかねている……か。

 何も動きがないとは思えんな。恐らく何者かが五郎と国人達の間に立って水面下での交渉を進めているのだろう。

 本来ならば、海北に命じて西国鎮台軍を九州に向かわせ、調停に当たらせたいところではあるが……


「今は動けん……か」

「いかにも。西国鎮守府の政が始まったばかり。今この時に鎮台軍を外に出せば、どのような混乱が起こるか想像も付きませぬ」


 進藤の眉間の皺が深くなる。

 こちらの態勢が整う前を狙ったか。……いや、大友義鑑は近衛の仲介で俺に詫びを入れるつもりだったはずだ。近衛稙家を歓待していたのはその証拠。

 降伏が決まる前に五郎が焦って盤面をひっくり返しに来た、と見た方が正確かもしれんな。


「いずれにせよ、太閤殿下まで亡き者にしておいてただで済ませるわけにはいかん。

 鎮守府大将軍の名を持って大友五郎へ詰問状を出す。朝廷からも同様にお願いできますかな?」

「無論のこと。しかし、詰問状を出したとて五郎が素直に頭を垂れるとは思えませんが……」

「詰問状は五郎だけでなく、周辺の国人・城持らにも送る。このままでは五郎は朝敵・幕敵となると思わせ、五郎からの離反を促しましょう」

「なるほど。心得ました」


 山科言継が渋い顔で頷く。

 これで五郎は相当に味方を集めづらくなるはずだ。九州北部の国人層も、直接六角家と繋がる好機と思えばこちらに使者を寄越して来る者も出てくるだろう。

 そうして西国が安定するまでの時間を稼ぐ。


 問題は、東国情勢だな。

 甲斐の塩の占有は未だ始まったばかりだし、長尾との決戦も時期尚早に過ぎる。

 下手をすれば西と東に同時に敵を抱えることになってしまう。

 東国の情勢が煮詰まるまでにどれだけ五郎の足を引っ張れるかが勝負だな……。




 ・貞吉三年(1545年)  十月  近江国蒲生郡 日野中野城  蒲生定秀



 縁側に座って外に視線を向けると、紅く染まった山々が目に入る。

 そういえば、大本所様(六角定頼)に従って音羽城を攻めた時もこんな時期だったな。秋風に身を委ねていると何やら心地よい。

 脇に置いた茶碗に手を伸ばすが、上手く取れない。

 体の左側に茶碗を置いたのは失敗だったな。


 試みに左腕を動かしてみるが、本来そこに在るべき腕は無く、不格好に括られた袖先だけが奇妙に動いている。


 ……早く慣れねばな。


「あら、いけませんわ。お休みになっていないと……」


 妻の辰が新たな茶碗を持って居室に入って来た。


「辰か。薬湯ならば、もう足りているぞ」


 そう言って脇にあった茶碗を持ち上げる。

 茶碗を取る仕草がぎこちない物になってはいないだろうか。


「薬湯ではありませんよ。お茶をお持ちしました」

「お茶を?」

「たまには薬湯ではなく茶を飲みたい。と、昨日そう仰せでしたでしょう」


 そう言えば、そんなことも言ったな。

 本音を言えば、薬湯でも茶でもなく酒が飲みたい所だが……。


「お酒はいけませんよ。傷が癒えるまでお酒は控えるようにとお医者様にも言われております」


 心の内を言い当てられたことに驚いて辰の顔を見ると、こちらを見返す辰と正面から目が合った。

 そういえば、こうしてしっかり顔を見たのはいつ以来であったかな。


「……いかんか?」

「いけません。今は養生に専念なさってください」


 悪戯っ子のように笑う辰から茶碗を受け取り、茶を一口すする。


「御無事でお戻り下さり、安堵致しました」

「無事……と言っていいのかな? いくさ人としての儂は死んだも同然だが……」

「それでも、御命を持ち帰って下さいました」


 命か……大本所様にも言われたな。”俺より先に死ぬことは許さん”と。

 まったく、あのお方の無茶には慣れたと思っていたのだが……な。


「これより先は近江に留まり、新たな旗本衆の教練に当たられると聞きました。もう、戦場に赴かれることもありますまい」

「……ああ、そうだな」


 大本所様は、新たな旗本衆を作ると仰せになった。かつての南北軍ではない。新たに近畿鎮台軍として再編する、と。

 総大将は儂ではなく滝川久助(一益)が務めることになる。


 滝川は鉄砲の扱いに巧みだ。そこに兵を送り込む儂自身も鉄砲の扱いをよく知らねばならん。


 まったく、あのお方の無茶には慣れたと思っていたのだが……な。

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