出雲出陣
・貞吉三年(1545年) 四月 備中国上房郡 備中松山城 六角賢頼
「尼子は聞く耳を持たぬ、か……」
「ハッ!こちらが何を申しても『毛利から仕掛けて来た』の一点張りです」
「まあ、今更退くに退けんのであろう。亀井能登守(安綱)の軍勢二百は瞬く間に安芸領内に進軍し、今や小勢ながら吉田郡山城の目の前まで陣を進めていると聞く。
尼子の進軍も早かったが、いかに不意を突かれたとはいえ毛利もいささか情けないと言うべきか」
軍議の場にしばしの沈黙が落ちる。
尼子への使者に立った平九郎(山中俊好)が落ち着かぬ様子だ。
「心配は要らん。此度のこと、尼子は毛利が仕掛けたと言い、毛利は尼子が仕掛けたと言う。あまりにも奇妙だ。
誰が使者に立っても調停をすることは難しかっただろう。この場の誰も、平九郎の不始末とは思ってらぬ」
「……ハッ」
少し安堵した顔で平九郎が頷く。
だが、だからと言ってこのまま静観を決め込むわけにはいかんか。毛利からの後詰要請は矢の催促だし、毛利が崩れれば瀬戸内の制海権が不安定になる。
最悪の場合、伊予に進軍した蒲生が孤立する恐れすらもある。
「父上は間もなくこちらに向けてご出馬下さるとのことで間違いないな?」
「ハッ! 五月までには備前へ向けて出陣すると仰せ下されました」
伊予守(池田景雄)が力強く頷く。
「……では、いかがするか。各々の存念を聞きたい」
「ここは尼子の非を鳴らし、毛利への援軍を遣わすべきかと存じます。恐れながら、我ら北軍にその役目をお与え頂きたい」
一瞬の沈黙の後、海北善右衛門(海北綱親)が勇ましく宣言する。
まあ、それが常道ではあるか。
尼子と毛利の戦は大内と陶の戦にも影響する。毛利が尼子に手を取られれば、それだけ大内が苦しくなるは必定。
この遠征の本義からすれば、毛利を助け、尼子を我ら六角が引き受けるべきではある。
ここ松山城は臥牛山の山頂に在り、出雲と安芸・備前を繋ぐ交通の要衝だ。
元々最前線に位置するここに本陣を置いたのは、出雲攻めが念頭にあったからだ。
「されど、尼子と戦をするとなれば少なくとも一年……いや、二年はかかりましょう。兵は長期の遠征で疲れておりまする。陶に加えて尼子とも戦をするのならば、一旦休息を取り、尚且つ糧秣や武具の用意を……」
小寺藤兵衛(小寺政職)が異を唱える……が、海北に睨まれて萎縮しておるな。
播磨国衆の代表の一人として軍議の席に呼んだが、さすがに北軍総大将の海北善右衛門に睨まれればそれ以上は言えぬか。
「良い。兵衛。続きを申せ」
「あ……その……」
「良いと申している。この場は今後の方針を決める重要な軍議だ。父上の後詰を頂いた挙句、我らの方針も決まらぬでは会わせる顔が無い。
皆にももう一度言う。この場での遠慮は無用だ。存念があれば遠慮なく申せ」
備前や播磨の国衆がチラリチラリと顔を見合わせる。
やはりまだ遠慮があるようだな。
「されば、よろしいでしょうか」
「八郎(宇喜多直家)か。構わぬ。申せ」
「此度の毛利と尼子の戦は腑に落ちませぬ。尼子は毛利から仕掛けて来たと申しますが、それがどこでどのようにして毛利が仕掛けたか、その肝心要の所は尼子も言わなかったと聞きました」
山中平九郎が軽く頷く。
確かにそこは引っかかるところではある。
「加えて、毛利がこうもあっさりと敗れ去ったのも奇妙でござる。小勢とは言え、毛利はかつて尼子本軍の進軍すらも跳ね除けた剛勇の士。たかだか二百の先駆けに手も足も出ずに籠城するとは、いかにもおかしい。
冬場ならば敵の息切れを待っているということも考えられますが、今は春先。本来ならば一刻も早く敵を追い払い、田起こしにかからねばならぬはずです」
「つまり、毛利はわざと敗れて見せている、と?」
「某にはそのように見えます」
「しかし、何故毛利はわざと敗れたりする?」
「それこそ、御本所様の援軍を仰ぐためにございましょう。尼子に叩かれ、手も足も出ずに郡山城に籠っている様を見せれば、何とかして毛利を助けようと御本所様が思召すと考えてのことでしょう」
ふむ……確かに俺は、ともあれ毛利を救わねばならぬと思った。それがために一息に備中まで軍を進めたのだ。
それが毛利の策略だとすれば、目的は……
「毛利が尼子と我が六角をかみ合わせようとしている、ということか?」
八郎が頷くと広間にざわめきが起こった。
この戦自体が毛利の策略によって起こされたとすれば、毛利は何が何でも六角を尼子と戦わせようとするだろう。
ここはやはり、手を出さずに和睦の仲介に尽力すべきか。
「ですが、これは好機とも言えます」
「好機? 八郎、どういうことだ?」
「そもそも、大本所様(六角定頼)も尼子と戦をすることを視野に入れてはおられましょう。肝心なのは、御本所様が尼子をどう扱うお心積もりか、でございます。
尼子とは対等に近い関係を維持してゆくのか、それとも膝を屈して従うならば良しとされるのか、あるいは……」
あるいは、尼子を攻め滅ぼして知行地を増やすか……か。
しばし黙考していたが、気が付けば
皆の視線が俺に集まる。……視線が重いな。
此度の決断は徳川との戦とは違う。あの時はあくまでも主力は父上が率いておられた。例え俺が敗れても父上に後始末をして頂く余力があった。
だが、此度は六角家の主力は全て俺の下知の元にある。父上はあくまでも後詰という立場でおられる。
決断するのがこれほどに恐ろしいと感じたことはかつてない。
尼子と対峙すれば、戦は長引くことは間違いない。果たして尼子との戦を行うべきかどうか……。
一つ深呼吸をして再び目を開く。
相変わらず皆の視線は俺にひたと据えられている。
「……尼子を、攻める」
「して、いかが為されますか?」
「尼子が従属の意を表するならば滅ぼすには及ばぬ。だが、これ以上曖昧な関係を続けるわけにはいかぬ。
尼子が六角に従うのならば良し、さもなくば……良いな」
「応!」
「善右衛門。北軍は安芸に急行し、吉田郡山城を包囲する敵軍を追い払え。その後、月山富田城に向けて進軍せよ」
「ハッ!」
「久助(滝川一益)は鉄砲隊と共に北軍と行動を共にせよ。我が本陣は雲州街道に出てそのまま出雲に向かう」
「承った!」
「八郎、兵衛。播磨・備前の国衆に触れを回せ。馳せ参じる者は津山に参集せよ、と」
「ハハッ!」
皆が一斉に動き始める。
……これで良いのだろうか。不安は尽きぬ。
だが、肚を決めてやるしかない。
「伊予守は改めて坂本城に参れ。先ほどの決定を書に認める。父上にこちらの方針をお知らせせよ」
「承知致しました」
・貞吉三年(1545年) 四月 出雲国意宇郡 月山富田城 尼子詮久
「式部(尼子誠久)。六角弾正少弼(六角賢頼)が我が尼子の非を鳴らし、即刻兵を退いて松山城に参れと申し送って参った」
「なんと! 六角はそこまで毛利に肩入れすると申すのですか!」
「改めて問う。此度の亀井の出兵は真に毛利から仕掛けて来た物なのだな?」
「無論です。亀井能登守は毛利の兵によって手傷を負いました。これは明らかに毛利から仕掛けた物でございましょう」
ううむ。
やはり六角は我が尼子を討ち滅ぼす存念か。
「こちらの言葉を無視し、必要以上に毛利に肩入れする六角弾正(賢頼)のやり様は承服できぬ。今からこれでは、此度は頭を下げたとて今後謂れなき理不尽を投げかけて来るは必定。
今までは六角内府(六角定頼)に免じて穏当に付き合って来たが、それもここまでだ」
広間に詰める家臣達からは、不安と怒りがないまぜになった微妙な顔が返って来る。
確かに六角は強大だ。だが、以前の上洛と違って此度はあちらが遠征するのだ。
かくなる上は、儂が力強く宣言する他あるまい。
「以前は六角の策略に敗れたが、此度地の利は我らにある。亡き興国院殿(尼子経久)も地の利さえ得れば尼子は六角に負ける物ではないと申しておられた」
よし。皆の顔が前を向いた。これならば戦える。
「攻め寄せる六角を迎え撃つ。式部は伯耆に戻り、山中の要害を利して六角の進軍に備えよ」
「ハッ!」
「佐渡守(立原幸隆)は出雲の兵を率いて亀井を後詰せよ」
「御屋形様はいかが為されますか?」
「儂は石見の兵の参集を待って安芸に出陣する。これ以上毛利の増長を許すことは出来ぬ」
「承知しました!」
「お待ちくださりませ」
皆が動き出そうとした瞬間、廊下に山中大蔵(山中貞幸)が現れた。
儂の隣に控える紀州入道(尼子国久)にチラリと視線を投げたか。どうやら大蔵を呼んだのは紀州らしいな。
「大蔵か。隠居のお主が登城するとは、一体どうしたことだ?」
「六角と戦をすると聞き及びました」
「その通りだ。六角弾正のやり様は許しがたい。それともお主は六角の理不尽に耐えよと申すか」
「そうは申しませぬ。ですが、六角と戦うのならば越後に使者をお遣わし下さりませ」
「越後……? 越後公方の元へか」
「いかにも。地の利を得たとはいえ、戦を長引かせるだけではいずれ六角に敗れましょう。六角と戦をするのならば、越後の左馬頭様(足利義輝)と共同すべきです」
なるほど。
六角は六角で後ろに敵を抱えている。敵の敵を味方にする、か。
「分かった。誰か使者を……」
「恐れながら、そのお役目はぜひ某にお任せいただきたい」
「大蔵が……? しかし、お主は隠居の身。それに、越後へ向かうには敦賀を通らねばならぬ。言わば敵中を突破してゆくのだぞ?」
「承知の上にございます。これが最後の御奉公と存じ、老体に鞭打って越後へ船出する所存。何卒……」
大蔵はお祖父様の代より良く働いてくれた。今更そのような危ない役目はさせたくはないのだが。
「大蔵の言、何卒お認め下さいませ」
「紀州……。しかし、大蔵にはこれ以上危険な役目は……」
「大蔵はこの一大事に呑気に留守居をしておれるような男ではございませぬ。大蔵のことを思うのならば、どうかお認め下さいませ」
……お祖父様。この者らは真に尼子の柱石にございまする。
「分かった。越後への使者、見事務めて見せよ」
「ハッ!」
・貞吉三年(1545年) 四月 近江国滋賀郡 坂本城 六角定頼
「……尼子と戦をする、か」
「ハッ! 既に御本所様の軍は動き始めております」
「分かった。俺も明日には坂本を発って備前へ向かう。本所にはそのように伝えよ」
やれやれ、やはり尼子と戦をすることになったか。
しかも目標は月山富田城だ。こうなれば、信濃の方はしばらく手が出せんな。斎藤にはその旨報せておかねばならん。
だが、次郎(大原頼保)の尾張軍だけで村上、長尾の連合軍を相手にするにはちと心許ない。
……少し早いが、アレを使うか。
「新助(進藤貞治)。敦賀に書を送る。使者として向かってくれるか」
「アレを使うのですな?」
「ああ。昔を思い出さんか?」
「左様ですな。あの時も我らは度肝を抜かれた物でございました。此度は尼子がそうなりましょう」
「そうなるといいがな」
とにかく時間をかけるのはマズい。何としても半年の内に尼子と決着を付けねば、長尾が動き出さぬとも限らん。いかな斎藤道三とはいえ、重臣二人を失った状態で長尾景虎と相対すれば勝ちは覚束ないだろう。
「失礼します! お鈴の方様が至急お目通りを願っておりますが……」
鈴が?
鈴にはもはや尼子との連絡はさせていないが、尼子のことで何か動きがあったのかな?
「分かった。通せ」
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