阿波の風流

 

 ・貞吉二年(1544年) 十二月  阿波国板野郡 勝瑞城  一宮成孝



 ようやく……ようやく、六角定頼公にお目通りが叶う。しかもその席には三好筑前守(三好頼長)、篠原大和守(篠原長房)も同席すると言う。

 ちょうどいい。いかに三好・篠原主従が阿波の統治をわたくしして来たか、直々に定頼公に訴え出てくれる。

 阿波細川家を打倒し、阿波を鎮めたのは我ら阿波衆だ。後から来て主人面する三好も、それに尻尾をふる篠原もまとめて糾弾してくれよう。


「まことに大丈夫でありましょうか」

「美濃守殿(小倉重信)。最初からそのように弱気でどうなされる。

 我らは阿波細川を打ち破ったのだ。少なくとも阿波平定において我らの功は抜群のはず。定頼公ならば、それを正しく評価して下されましょう」

「しかし、三好筑前守殿は定頼公の娘婿でござる。この上で定頼公まで我らの功を無き物とされた時には、いよいよ……」


 いよいよ六角と戦をせねばならなくなる、か……

 確かに戦となれば勝ち目は薄い。それに、一旦事を起こしてしまえば引き返すことは出来ん。波多野のように一族郎党全て斬首される恐れすらある。

 だが、だからと言ってここで泣き寝入りをするわけには行かん。武功に報いてもらえぬのならば、何のための働きなのだ。


「場合によっては、本山や大内、さらには大友との繋ぎをつける必要もありましょうな」

「……そこまで、せねばならぬのでしょうか」


 並んで馬を歩かせていた美濃守殿が不意に馬を停めた。


「我らの本領は安堵されておりますし、三好殿の統治もそれほど理に外れた物では無いように思えます。篠原大和守も今のところ権勢をほしいままにしているという訳でもありませんし……」


 む……

 しかし、このまま何の音沙汰も無しでは折角の我らの武功が……。

 家臣達も武功を挙げようと命懸けで働いたのだ。その働きに何ら報いる所が無ければ、死んでいった者達が余りにも哀れであるし、何より儂のことを仕え甲斐の無い主と思うやもしれん。


「ここまで来たら、腹を括るしかありますまい」


 そうだ。ここまで来たら退くわけには行かん。

 覚悟を決めて馬を進める。間もなく勝瑞城の城下に入る頃だ。


 しかし、先ほどから何やら太鼓や鐘の音が聞こえるな。

 ……んん? 風流踊り?

 こんな冬場に風流だと?


「宮内殿(一宮成孝)、あれを」


 美濃守殿の指さす方向に目を向けると、風流の一団が何やらこちらに向かって来る。

 先頭は……篠原! 篠原大和守か!


「やあ、一宮殿、小倉殿、お待ちしておりましたぞ」

「し、篠原殿……そ、その出で立ちは?」


 篠原大和守が小袖一枚の薄着で風流の先頭を務めている。

 随分と派手な小袖だな。しかも、頭には……


「頬かむりまでして……」

「六角公方様の趣向でござる。ただのお目見えではつまらんから、何かご両所をもてなす趣向を凝らしたいと仰せになりまして」

「ぷっ……はははは。それで、そのようなひょうげた姿形なりで?」

「某だけではございません。あちらにおわすは蒲生左兵衛大夫殿とご配下の一団です。さらにはあちらは三好筑前様の御一統にて」


 なんと!

 見回すと銘々が笛や太鼓の音に合わせて楽しそうに踊っておられる。篠原はさらりと言ってのけたが、これはまさに六角家の中枢ではないか。


「それだけではございません。公方様御みずからもあちらに……」

「なんと! 定頼公も風流を踊ってござるか!」


 儂らの会話に気付いたのか、六角定頼公が頬かむり姿のままこちらに近付いて来る。

 慌てて下馬し、平伏の姿勢になろうとすると、頭上から声がかかった。


「ああ、そんな形式ばった挨拶は後でいい。それよりお主らも踊らんか? 寒空に薄着で体を動かすのもなかなか楽しい物だぞ」

「あ、いえ……しかし」

「んん? 心配は要らんぞ。お主らの小袖と頬かむりも用意してある。ほれ」


 定頼公がそう言うと、周囲の近習から綿布を手渡された。

 儂らも……これを……?

 隣を見ると美濃守殿がいそいそと頬かむりをしている。


「み、美濃殿!?」

「定頼公が躍られるならば、我らも風流仕らねばなりますまい」


 乗り気だ……。

 そう言えば、美濃守殿はこうした賑やかな場が嫌いではなかったな。


 ……ええい。やむを得ん。


「おお、そうだそうだ。変な意地など捨ててしまえ。皆で踊って、まずは楽しもうぞ」




 ・貞吉二年(1544年) 十二月  阿波国板野郡 勝瑞城  六角定頼



 あいてててて。

 体が痛い。風流踊りのような乱痴気騒ぎは嫌いじゃないんだが、いかんせん昔のように体が動かんな。

 まあ、いきなりお目見えするよりは一宮達の度肝は抜けただろう。

 進藤も面白いこと考えるよな。


『相手が理屈では無く意地になっているのならば、まずは相手の心を溶かすことが肝要。皆で一緒に風流でも踊ればようございましょう』と来た。


 堅物のわりにこういう発想が出る所は、素直にすごいと思うよ。


 さて、衣装も着替えて飯も食った。

 改めて広間に一宮成孝と小倉重信が平伏している。一宮、小倉を正面にして左右には三好・篠原・蒲生・進藤が並ぶ。

 今回の騒ぎの当事者たちが一堂に会したわけだ。ここからが本題だな。


「面を上げよ」


 俺の一声で全員が顔を上げる。

 皆多少疲れたようだな。


「さて、ちと不意討ちのようになってしまったが、なかなか楽しい時間を過ごせた。改めて、お主らの話を聞こうか」

「……もう結構でござる」


 ……ん?

 一宮成孝がスンとした顔で言い放った。気に障っちゃったかな?


「そもそもは、我らに御加増の沙汰が無いことを不満に思い、それを申し上げたいと思っておりました。ですが、こうして共に踊り、酒を飲み、風呂まで頂戴致しますと、何やら意地を張っておるのが馬鹿馬鹿しくなってまいりました」


 ふふ。

 進藤の策は当たったな。


「ははは。随分と大人しくなったものだな」

「恐れ入ります。ですが、我らとしても細川家と戦った家臣達には何らかの形で報いてやらねばなりません。そのことだけは、どうかご理解頂きとうございます」


 一宮が三好頼長に向いて頭を下げた。俺が三好に視線を向けると、頼長も一つ頷いて一宮に向き直る。

 さて、ようやく『腹を割った話し合い』になりそうか。


「こちらとしても阿波細川家を討ち破った者達への報償はせねばならぬと承知しておる。だが、まずは義父上のなさり様を真似て阿波衆の政と戦を分けることを先決としたいと思っていた」

「政と戦を分ける……?」

「左様。今までの阿波は国衆が各地を治め、年貢を徴し、場合によっては段銭を足利公方に納め、一朝事あらば兵を率いて守護の元に馳せ参じていたことと思う」

「いかにも。それが『地頭』という者の姿にございましょう」

「それを変えたい。まずは軍を率いる者と年貢を徴する者を明確に分け、軍役の者は領地では無く守護から直接給銀を支給し、逆に郡役の者は軍役を免除する代わりに守護へと上納米を納めてもらう。

 ただし、軍役を免除すれば兵は不要となる故、その分の年貢は負担してもらうことになる」


 要するに、兵役を免除する代わりに兵を養う分に使っていた費用を上納させようということだな。

 一合銀が浸透してきたことで、徐々に貫高制から石高制へとシフトして行っている。額面が石高で表せるのであれば、そもそも貫高計算をする必要がない。貫高で計算しても最終的に石高で支給するのならば、途中の計算がややこしくなるだけだ。

 そうなると、『米』という本位通貨の信用力がモノを言う。


 ついでに言うと、六角領の多くは米の生産力が高い地域だ。

 石高制が浸透するということは、他家と六角家の経済力に圧倒的な差が生まれることになる。まあ、この辺はまだ諸人には秘密だがな。


「そなたら阿波国衆には軍役か郡役か、いずれかをまずは選んでもらわねばならん。どちらが得とか損とかではない。どちらもそれなりの負担はある。

 だが、己の得手とする役目を選べば、それだけ功を立てる機会も増えることになるだろう」

「軍役を選べば、領地は返上する……と。しかし、それならば今我らに臣従している地侍共はいかが相成りましょう?」

「各々がその後の道を決めれば良い。軍役を望む者は、儂の直参となり松永甚介(松永宗勝)の支配に加わってもらう。郡役を望む者は、篠原大和守の支配に入り、支配地の農事に専念する。

 いずれにせよ、今回の阿波平定におけるお主らの働きの分は加増をするつもりだ」

「ほう! 御加増の沙汰を下さると!」

「……ああ。だが、その前にだな……」


 ふふっ。三好頼長も苦労しているな。

 やはり今まで馴染んだ地頭の役目を変えるのは一筋縄ではいかんか。まあ、こればっかりは何度も繰り返し説明して行くしかない。

 場合によっては一度近江に見物に来させてもいいな。百聞は一見に如かずと言う。

 京極や浅見の仕事ぶりを見れば、官吏役の仕事もイメージしやすくなるだろう。


 ともあれ、これで阿波は何とか収まるか。

 だが、今回の沙汰で三好家が六角家と同等の『兵権と徴税権を併せ持つ家』となってしまった。

 当面の一揆を防ぐためにはやむを得ない措置だったが、どこかの時点で三好家の兵権を六角家に吸収する必要があるな……。




 ・貞吉二年(1544年) 十二月  信濃国伊那郡高遠城  斎藤利政



「殿ー!」


 廊下に慌ただしい声と足音に混じって具足の擦れる音が響く。物見に出ていた明智兵庫頭(明智光綱)が戻って来たか。


「殿!」

「兵庫か! どうであった!」

「報告は真にございます! 村上勢が続々と塩尻峠を越えて諏訪湖の北岸に陣を構えておりました! あと数日の内には伊那郡へ向けて進軍する様子にて」

「そうか」


 そろそろ雪が降ろうかというこの時期に進軍してきたか。

 武田が関東に呼ばれたことを好機として決戦を急いだと見えるな。武田が手を出せぬ今この時に我らを叩けば、信濃は村上の物となる。そう思っての進軍と見て間違いあるまい。


「数は分かるか?」

「六千を少し超える程度かと」

「先陣は?」

「葵の紋が見えました。先陣は徳川次郎三郎(徳川広忠)のようです」

「何?」


 やはり徳川が居たか。

 噂には聞こえていたが、もはや隠す必要も無くなったということだな。


「いかが為されますか?」

「無論、城を打って出る。上伊那に陣を張り、村上を迎え撃つ」

「高遠城に籠城では無く、ですな?」


 ふっふっふ。

 兵庫も分かっているだろうに、敢えて念を押してくるか。


「そうだ。高遠城に籠れば、村上は上伊那を適当に焼き討ちして帰るだけだ。こちらも決戦に応じると見せて時を稼ぐ」

「では、手筈通り」

「うむ。小県を追われた……何と言ったか」

「真田源太左衛門(真田幸隆)」

「そう。その真田源太に急ぎ密使を送れ。この好機を活かし、手薄な砥石城を奪取しろとな」

「ハッ!」


 武田が居らぬ今が好機はこちらも同じ。南信濃で手こずっていると見せたのは、一息に飲み込む為の算段よ。

 諏訪湖を越えて侵攻して来たは良いが、本拠地の葛尾城から目と鼻の先の砥石城を落とされて、それでもなお我らと対陣を続けられるか?

 網にかかったのはどちらか、思い知るがいい。


「陣触れを出せ! 出陣だ!」


 小姓が周囲に喚き回り、城内が一気に騒がしくなった。


 ……ふむ。良い機会だ。そろそろ倅(斎藤高政)に一軍を預けてみるとするか。


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