貿易交渉(2)

昨日に引き続き今週二回目の更新です。

次回からはまた国内情勢に戻ります。


――――――――


 

 ・貞吉二年(1544年) 八月  越前国敦賀郡 敦賀港  六角定頼



 呆気に取られる俺を尻目に、本物の王直が今まで俺と話していた『王直』に変わって床几に座った。

 用心深い男だという話は本当だな。まさか影武者まで用意して目をくらまし、本物はずっと俺の側にいたとは。


「改めまして、王直と申します」

「……ふん。こちらの言葉も分からない振りをしていたか。お主も随分流暢に話すじゃないか」

「恐れ入ります。何しろ手前は臆病者でして」


 悪びれもせずに悠々と頭を下げる。心なしか所作までもが洗練されたように感じる。

 どこまでも人を食った野郎だ。


「臆病者が聞いて呆れる。本当の臆病者なら、敵か味方か分からぬ所に総大将自ら乗り込んできたりはしないだろうよ」

「この目で見てみとうございましたからな。新たに倭国の王となられたお方の為人ひととなりを」

「ふん……で、どう見た?」

「大きいお方ですな。それに聡明であられる。正直、陸の王がここまで海の事を理解されるとは夢にも思っておりませんでした。しかも手前どもの企みが全て見破られようとは」

「世辞はいい。つまり、お前が日ノ本の戦を食い物にしようとしていたことは認めるんだな?」

「いかにも。ですが、一つ弁解をさせていただきたい。確かに手前どもは倭国の戦で儲けようとは致しましたが、見方を変えればそれは倭国を守ることにも繋がりまする」


 訳が分からんな。

 戦争を食い物にされてなお、国を守ることに繋がるとは思えんが……。


「かつて、南の海にはマラッカ王国という国がございました。その国はマラッカ海峡を抑えてペルシャとの物流を制し、大いに繁栄したと聞いております。

 ですが、三十年ほど前にポルトガルによって呆気なく国を奪われました。マラッカ王国の人々は鉄砲の扱いに慣れてはいなかった。その為、鉄砲の扱いに習熟したポルトガル人によって国を追われたそうです」

「このままでは日ノ本も同じ道を辿る、と?」

「その恐れは大きいかと。確かに手前どもの活動によって倭国内での戦は激しさを増しましょう。ですが、それは同時にポルトガルも迂闊に手を出せなくなるということ。

 倭国の兵は強い。そのことを誰よりも知っているのは、手前どもでございます故」


 なるほど。確かにポルトガルは日本人奴隷を大量に売り捌いていた。戦で捕えられた捕虜を買い上げ、海外に運んで大きな利益を得ていたという話を聞いたことがある。

 それを禁じたのは秀吉だが、当時秀吉の軍事力を恐れたポルトガルは日本に手を出すことを躊躇したとか何とか。

 あながち与太話とも言えないな。戦国当時の日本は東アジアでも最強の軍事国家だった。ヨーロッパからの遠征軍が簡単に勝てると思えるほど甘い国には見えなかっただろう。


 銀の流出か、人口の流出か……。

 日本の為を考えれば、どちらがマシかは考えるまでもない。


 だが……


「それゆえ、この二人を召し抱えてポルトガルとの交渉に当たらせたいと思っている。改めてお主に頼み入りたい。日ノ本を守る為、この二人を俺にくれないか?」

「それは構いません。あなたにここまで看破された以上は、手前にはこの二人にこだわる理由は無い。ですが、よろしいのですかな?」

「何がだ?」


 王直がニヤリと笑う。まだ俺が知らない隠し玉があるって言うのか?


「そこの二人はポルトガルの罪人です。シャムの商館で人を殺し、我らの拠点まで逃れてきました。まあ、使い道があったので手前も歓待致しましたが、ポルトガルとの交渉という大任を果たせるとは到底思えませんな。

 ポルトガルと接触すれば、直ちに捕らえられてしまう立場です」

「なんだと!?」


 驚いて二人を振り返る。訳が分からないという顔で俺を見ていた二人だが、王直がポルトガル語で何かを告げると青ざめた顔になった。

 どうやら、ポルトガルの罪人というのは本当のことらしいな。


 っかぁ~! しくじったか!

 ポルトガルとの交渉を早期に始めようと焦るあまり、相手の心底を見誤った。こいつらを召し抱えても交渉は出来ない。それどころか、日本はポルトガルに対して初手から敵対的な行動を取ることになる。

 こいつらが海の上でポルトガル船を発見すれば、間違いなく攻撃に移るだろう。日本は……いや、俺は海の外にも余計な敵を作るだけになってしまう。


 やはり大人しくポルトガル船が来航するまで待つしかないのか……。


「ま、お気持ちは分かります。随分と期待しておられるご様子でしたからな。

 ……では、こう致しませんか。その二人に与えるはずであった役目を手前どもにお任せいただくことは出来ませんかな?」


 王直が茫洋とした顔でこちらを見据える。


「どういうことだ?」

「ポルトガルとの交渉、我らにて請け負わせて頂きたい。その代わり、我らの拠点を敦賀に設けることをお許しいただき、船の資材や食糧、武具、交易用の銀などの援助も賜りたい。

 引き換えに我らが航海で持ち帰った荷は、六角様に献上致しましょう」

「つまり、俺がお主らのパトロンになるということか?」

「いかにも」


 こいつ、どこまで本気なんだ?

 それが叶うならば俺としても願ったりだ。どのみち明との交渉は一筋縄ではいかない。目前に迫ったポルトガル船の来航を前に、取れる手段としては恐らく最善だ。


「……何が狙いだ?」

「先ほどあなた様が仰せになった通りにございます。倭国と明に交渉が開かれれば、我らは海賊として討伐される運命にある。だが、その前に倭国に正式な拠点が得られれば、例え倭国と明に交渉が開けたとしても我らには生きる場所が残る。

 倭国の王に仕え、はるか南の海に漕ぎ出す。そうなると、我らはもはや海賊では無く、倭国の正式な役人でしょう」

「いずれ明に帰りたいとは思わんのか?」


 王直と徐碧渓が少し顔を曇らせる。


「明は我らを公には決して許さないでしょう。手前とこの徐は元々塩商人でした。ですが商売に失敗し、他に生きる方法が無く海に漕ぎ出しました。

 もはや我らには明に戻っても生きてゆく方法は無い物と思い定めております。……明に帰りたくないとは申しませんが、それはもはや叶わぬ願いと諦めております」

「そうか……」


 これは恐らく王直の本音だな。

 彼らの立場は、俺が思っている以上に脆く儚いようだ。大志を抱いて大海に漕ぎ出すなんて希望に満ちたモンじゃない。本人達は生きるためにやむを得ず法を犯したという認識なのだろう。

 庇護してくれる存在を必死になって探していたのは、むしろ王直の方だったのかもしれんな。


「分かった。お主がそう言うならば、敦賀と堺に唐人町を作って屋敷を構えさせてもいい。船の資材も提供する」

「有難く。されど、松浦様との交易は引き続きお認め頂きたい」

「何故だ?」

「強いからですよ。松浦様はかつて倭寇として明を荒らしまわった海賊の後裔です。その水軍の力は、我らの心胆も寒からしめるほどです。あなたが松浦様と明確に敵対せぬ間は、我らも彼らと友好関係を維持していきたい。

 その代わり、我らはあなた方に造船技術と西への航路を公開いたします」


「お主らが俺を裏切らぬとどうやって証明する?」

「この徐碧渓を敦賀に置きましょう。徐は私の古くからの友人であり、私の不在を任せるほどに信頼している人間であることはご覧の通りです」

「人質というわけか。だが、旗色が悪くなれば人質など簡単に見捨てるのが乱世の習いというものだが?」

「それは……手前どもをご信用頂くしかありません」


 しばし王直と睨み合う。

 海風と波の音が耳に戻って来る。ふと視線を海に向けると、無限に続きそうな水平線が見えた。


 大海賊の本質は陸に生き場を欲する逃亡者、か。


「一つだけ、聞いておきたい」

「……何でしょうか?」


 王直が少し警戒感をにじませる。俺の口調にただならぬ物を感じたようだ。


「お主らは、日ノ本の民を買い取ったか? そしてそれを海の外に売り捌いたことはあるか?」


 これは重要な問題だ。

 この時代では日本人奴隷を売り捌くことは半ば公然と行われている。俺の領内では普請や馬借、開墾などに従事させて領外に売られるという事態は防いでいるが、俺の支配の及ばない土地ではまだまだ行われている。場合によっては武士の貴重な資金源ともなっている。

 王直が買ったことが無いはずは無い。そして、ここに至って嘘を吐く男ならば信用に値せぬ。


 王直がグッと口元に力を込めた後、口を開いた。


「はい。大友様や大内様らの戦で行き場を失った者達を買い取り、明や南蛮で売り払っております」

「分かった。お主を信じよう」


 驚いた顔で俺の顔を見る。

 随分と意外そうだな。


「お許しいただけるので?」

「許すとは言わん。だが、お主が土壇場で嘘を吐く男ではないことは理解した」


 意外な成り行きに徐碧渓が心配そうな顔で俺と王直を見比べる。

 場合によってはここで王直共々斬られかねないからな。


「では、手前はどう致せば……」

「今後買い取った奴隷は敦賀へ連れてこい。俺が銀と交換してやる。その者らには、俺の領国内で役目を与える。何、仕事はいくらでもあるからな」


 庄衛門の方を振り向くと、庄衛門もしっかりと頷いた。

 長年の付き合いだ。俺の言葉の先は理解できているだろう。


「それと、今まで売り払った者達も出来得る限り敦賀へ戻せ。ただし、自ら戻りたくないという者は別だ。

 日ノ本に戻りたいという者らは、戻らせてやって欲しい」

「承知致しました。今後は六角様の仰せに従います」




 ・貞吉二年(1544年) 八月  越前国敦賀郡 敦賀湊 船上  徐惟学



 定頼公と共に六角の軍勢が引き上げていく。

 明日には定頼公と改めて宴を持つことになった。それが済めば、我らは本当に倭国王の臣となる。


「王大人……いや、王鋥ワンテイ(王直)。本当にいいのか?」

「ああ。大隅との交易はまたの機会がある。今は敦賀を我らの拠点にすることが先決だ。それを任せられるのは、お前だけだ」

「そうじゃない。わざわざ倭国の臣になる必要があるのかと言っているんだ。棟のアニキ(許棟)に知られたらどうなるか……」


 王直が船べりにもたれかかって外海に視線を向ける。

 確かに倭国との交易は大切だが、わざわざ倭国に臣従までする必要があるのかは疑問だ。


「棟親分(許棟)は儲けを出せばうるさいことは言わんさ。

 それに、敦賀に拠点が出来れば陳の奴(陳思盻)もそう易々と我らに手出しは出来まいよ。例え海上で私達の船に喧嘩を売っても対馬を抜ければ奴らは孤軍になるんだからな。

 それに、陳の奴も最近では倭国にちょっかいを掛けてきている。私が先んじて倭国王の庇護を受ければ、陳の奴もこれ以上倭国に手出しは出来まい」

「陳は所詮小者だ。棟親分(許棟)に手も足も出ずに縮こまっているだけじゃないか」


 確かに陳思盻チンシケイは頑なに許一家の傘下に入ろうとしないが、船の数も少ないしその勢力もたかが知れている。

 棟親分の軍門に降るのも時間の問題だ。


「……どうかな」

「お前は陳がまだ大きくなると見ているのか?」

「わからん。お前の言う通り、棟親分にはまだ歯が立たんだろう。だが、私は棟親分は少々派手にやり過ぎたと思う。なにせ官軍の船を撃破してしまった。次は軍も本気になってリャンポーを攻撃して来るだろう。

 それに、今のところ謝氏とは上手くやっているが、謝は強欲な男だ。我らが儲かれば儲かるほど、いずれその富を奪い取ろうと企むだろう。

 謝が裏切れば、明の将軍が動く」


 王直は許一家が倒れると見ているのか。そして、その後のことを考えて倭国の臣の地位を手に入れようとしている。

 我らを即座に受け入れた定頼公も定頼公だが、王直も王直だ。倭国の力を後ろ盾にしようなどとは。


「分かった。お前がそこまで言うのならば、もう何も言わん。俺は倭国人と共に戦船を作る。それでいいんだな?」

「ああ。いずれ来るその日の為に、な」

「だが、仮にお前が棟親分をも超える大親分になったらどうする? 六角とは手を切るか?」

「さあ……」


 妙に煮え切らんな。こんなに歯切れの悪い王直は久しぶりだ。


「その時は、本当に倭国の臣として南の海に漕ぎ出そうか。二人でまだ見ぬ海の先を見に」

「ばっ馬鹿なことを言うな! 俺たちは明から追われる身だぞ」

「はっははは。冗談だよ」


 本当か? 内心では迷っているんじゃないのか?

 あの倭国王をそれほどまでに気に入ったのか?



――――――――


ちょっと解説


不案内な方の為に筆者の偏見も交えながら王直という人物について少しだけ解説します。


倭寇の頭目として高名な王直ですが、1544年当時はまだ許四兄弟のうち許棟の配下として活動する一船団長に過ぎませんでした。

硝石を売り込む為に日本に鉄砲を持ち込んだと推測する根拠もここにありまして、頭目の許棟はこの時福建人の李光頭と組んでマラッカなどの東南アジア交易を主にしていたと思われます。

王直は日本方面担当であり、恐らく許棟から硝石を日本に売り捌く下地を作れと言われて来航したんじゃないかなと推察する次第です。


なお、この前年の1543年には許棟と李光頭は明の海道副使張一厚を撃破しています。

許棟が明軍に滅ぼされる直接の原因は謝氏と揉めた上に謝氏の屋敷を急襲し、周辺の商人から略奪行為を行うようになったためということですが、その遠因としてこの張一厚の撃破があったのではないかと思います。


史実では、この後の1548年に許棟・李光頭が明軍に処刑され、リャンポーも破壊されてポルトガルと倭寇との繋がりは一時絶たれます。

許棟らの地盤を引き継いだ王直が倭寇の大頭目になるのはその後ですが、同時に徐碧渓が言っていた陳思盻が勢力を拡大して王直と東シナ海の覇権を争います。

1551年には陳思盻を破って王直が東シナ海の海上覇権を取りますが、同時に明の官軍からも目の敵にされました。


王直は明の官軍とは直接争わずに日本に逃げますが、徐碧渓はそれに従わずに独自に密貿易ルートを築きます。この時に徐碧渓が日本人商人に作った借金を返すために徐碧渓死後に甥の徐海が倭寇に身を投じます。また、王直の配下であった海賊達も各地で明の官軍に抗戦していますが、王直自身は徹頭徹尾官軍と争うことを避けました。


最後は半ば罠と知りながら明に帰国して捕らえられ、獄中で海禁解除と自らの管理下での公式貿易を主張します。

明から逃げて官軍との争いを避けて来た王直ですが、それでも最期は明に帰りたがったという点に王直の人間性が見える気がします。

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